黄金の月と君の声
はじめまして。
オリジナルで長編をと温めている設定ではあったのですが、モチベーションが持続しなかったので短編として世に出してみます。
お目汚し失礼します。
それは、微睡み誘う午後の光。
一時の安穏と、これから訪れる苦難への準備期間。
「黄金井」
「なんですか、姫」
山奥の、渓流に二人。小さい女の子と、大きな身体の男。男は大きな岩に腰掛けて、釣り糸を垂らしている。その横に寄り添って、おにぎりを頬張る女の子が問うた。
「楽しいか?」
「…ええ、まあ。唯一の趣味ですから。」
「黄金井、たいこーぼー」
「おや、難しい言葉を知っておられますね」
「うー、全部漢字だから苦労したぞ」
「いや全く、本当に姫様は聡明でおられる」
黄金井と呼ばれた男が、姫と呼ぶ幼子の頭を撫でる。そうされるのが好きらしい姫は、猫が喉を鳴らすように微笑んだ。
全く、黄金井にこうされる為に頑張った甲斐があるというもの。
黄金井に喜んでもらいたくて、姫は今やこの渓流の魚の名前さえ全て記憶していた。無論、それを教えたのは黄金井である。教えたものを全て吸収する姫に、彼もまた彼女に主の風格を見出すのだった。
さらさらと、渓流が音を立てる。
時間もその軽やかな音に耳を傾けているようだった。
ご飯を終えた姫は、そそくさと岩を下りていく。ばしゃばしゃと音がして、川に入ったことを伝えた。
ああ、これで今日の釣りはお終いだな、とぼんやり思う。人が近くで騒いでは、魚も警戒するというものだ。だがしかし、あの楽しそうな姫の顔を見ると怒るに怒れず。ついつい溜息だけで終わらせてしまう自分がいる。
「お召しものを濡らさぬよう、お気をつけくださいね」
「うむ!」
「それと、そこから先は深いので立ち入らぬように」
「うむ。もう何回も来ているから知っておるぞ」
「本当に、わかっておられますな?私めは覚えておりますぞ。そういった矢先に流されて大変な目にあったのですから」
「あれは、事故じゃ…」
黄金井の笑顔に、ちょーっと気が緩んだだけじゃ。
なんて、口が裂けても言えない。まあ、言ったところでこの鈍い男は気がつかんだろうが…
「ともかく、もう無茶はなさらないで。約束できますか?」
「うむ。妾は約束を破らぬ」
「ならばよかった。私はここでもう少し魚を待ちます故」
「うむ!ならば妾は魚を捕まえて見せようぞ!!」
「では、勝負ですな」
「妾は負けぬぞ?川に入った時点で妾の勝ちじゃからの!」
「ぐ…、計算の内でございますか」
「無論じゃ」
そういって、なんの悪びれもなく笑う。眩しささえ感じる笑顔だ。その笑顔を見るためには、どんな死地にも赴ける。
まあきっと、そんな顔で私を送り出してくれることはないだろうが。
いくら鈍感な私とて、姫からの特別な眼差しに気付かない筈がない。心の底で燻る思いを、今はまだ吐き出してはならない。姫が耐えていらっしゃるのに、私だけが楽になってはいけない。
身分の差を越えた思いを、私は冥土まで持っていかなければならないのだ。
修羅道に待ち受ける試練さえその思いだけで乗り切れるのだから。
「あ、…姫」
「あぁ、逃がした!!なんじゃ黄金井?」
「どうやら私の勝ちのようですな」
「なに!!!?」
くんくんと撓る竹竿。黄金井はいとも簡単にその竿を引き上げ、その先にきらきらと光る銀色のものを見せ付けた。
「山女です」
「く、くぅぅぅぅ…!!!」
悔しそうにばしゃばしゃと水面を叩く。飛沫はきらきら銀色を放ち、姫のいる空間を彩った。
その子供っぽい仕草でさえ、私をこんなにもぐらつかせるのに。
気付かないはず、ないでしょう。
「…姫」
「なんじゃ」
「あれほどお召しものを濡らさぬようにと…」
「悪いのは黄金井じゃ」
つーんとそっぽを向いて、その髪から雫を落とす。諌める男も濡れ鼠。
あの後、黄金井の元までずかずかとやってきた姫はその顔目掛けて水をぶっかけたのだった。
「黄金井のけち」
「姫様が先です」
「童相手にムキなるなぞ、黄金井も大人じゃのぉ」
からからと笑う。その嫌味な口調と裏腹に、瞳はきらきらと輝いていた。その顔をそっと心の内に留める。
いつか、彼女はその瞳を曇らせ残酷な言葉を可愛らしい唇に乗せるのだろう。そして自分は、対照的な満面の笑みを浮かべその御心を称え返答するのだ。必ずや姫様を守り通します、と。
そんな心境を察知したのか、姫様は笑いを収め真剣な声で呟いた。
「黄金井」
「はい、姫様」
「妾はまだ幼い」
「はい」
「じゃがこれでも、この地を背負う次期領主じゃ」
「存じております」
「皆が皆、妾を認めてはおらぬじゃろう」
「そのようなことは…」
「よい。それは周知の事実じゃ」
「姫様…」
「だがな、黄金井」
たたっと、姫は黄金井の前に躍り出る。黒曜石の瞳を潤ませて、その愛らしい頬を紅潮させて、しっかとこちらを見て言った。
「妾は何より、お主に相応しい主君となりたいのじゃ」
幼子は今、己を捨てた。
それはとても残酷な言葉で、そして何より自分が望んでやまなかった言葉。自然と膝を付き頭を垂れて答えを返す。
「この黄金井、不肖の身なれど死すその時まで咲耶様の盾となり剣となりましょう」
「許す」
言葉と同時に、体に衝撃。姫様が私に飛びついてきたのだ。その体が震えていても、肩口に押し付けられた目元に暖かい何かが染み出していても、私には何もすることはできない。
彼女は選んだ。私も選んだ。それは何人にも証明されない二人だけの密約。
「姫様の第一家臣とは、なんとも身に余る光栄でしょうか」
「ずっと一緒じゃ。約束違えるなよ」
「はい。この魂は常に姫様の御許に」
「…黄金井の、ばか」
この期に及んで馬鹿正直なこの男に苦笑が漏れる。魂は共にある。ならば、その身はどうなろうと構わないということか。
「ふん、まあよい。妾がうまく立ち回ればよいだけじゃ」
「姫様?」
「独り言じゃ!」
ぴょん、と黄金井の胸から離れる。その勢いのまま走り出すと、さっきまでの重さを感じさせない年相応の声が響く。
「競争じゃぞ、黄金井!負けた方が今晩のおかずを献上するのじゃ!」
「…それはなんとも分の悪い」
勝ってしまったら、それはもう最悪の未来しか待ち受けていないだろう。頑固な姫と厳格な参謀に睨まれてどちらとも選択出来ず、夕飯を前に生殺しの憂き目に遭うに違いない。
「手を抜いても同じじゃからな!」
からころと下駄の音が響く。楽しそうな自らの主君の後を追って、男は走り出したのだった。
ご拝読ありがとうございました。
もともと温めていた設定では敵は妖怪軍団だったり黄金井は岩長姫に呪われた不死身だったり姫様は後に覚醒して此花咲耶姫の巫女になったりと厨二病設定満載だったのですが、私には書ききれませんでした…