十一時の図書館。
十一時の図書館。
ふと、いつものように足を運んだだけだったのに、
そこに華麗な君がいた。それだけのことだ。
それだけのことなのに、私はどうしようもなく心を奪われてしまった。
私はこのかた、誰かを深く愛した覚えなどない。
だが二月、私の独りよがりな恋は静かに終わった。
その方は、僭越ながら“愛人”と呼ばせていただくが、
奇しくも、今日見た君はその愛人にどこか似ていた。
私の性癖が、まことに下劣ながら、そこに匂い立った。
春の終わりかけの、あの寂しい空気のように、
胸の奥で修羅がうめき、私はそれをごまかすように生きていた。
だからこそ、名も知らぬ人に胸をつかまれたこの感覚が、
いまだ信じがたいのだ。
それでも、こうして反芻するように、あの人のことを思い返してしまう。
名前も、顔の輪郭さえ覚えていない相手に、
なぜ私はこれほど惑わされるのか。
同じ空間にいたいがために、
聞いたこともない著者の小説を手に取るなど、
私らしくもない行いだった。
題名は『ロマンス』。
一匹狼の主人が優しい婦人とめぐり会い、結ばれる話だという。
私にはまるで理解できなかった。
描写に自分を重ねるのが普通というが、私には到底むずかしい。
私は、生まれてこのかた誰の温もりをも知らぬ、寒い者である。
そんな私に恋愛小説への感情移入を求めるなど、無理難題というものだ。
物語に没頭して、ふと顔を上げると、
そこにはいつもの日常があり、赤子のような私がいた。
そして、窓際に可憐な君を見つけた。
ブラインド越しに、秋の終わりを告げる紅葉の光が差しこむ。
君はカウンター席に身を寄せ、帳面を広げていた。
その紙の端には、茜の光が静かににじんでいた。
やがて君は立ち上がり、どこかへ消えてしまった。
思わず手を伸ばしかけたが、
名も知らぬ女子に名を尋ねる勇気など、私には端から持ち合わせていない。
だからこそ、私の卑しいストーカー気質が際立つのだろう。
結局これは、名も知らぬ女子に恋をしてしまった“もの”の、
身の丈に合わぬ、捻くれた片思いの記録である。




