後日談 とある暗部の話 その4
重厚な扉を開けて屋敷に入る。
使用人らしい者たちの礼を受けつつ足を進めた獣人姫は、応接間らしいその部屋の扉を開けた。
「どうぞ、座って」
……まるで、本当に客人の扱いだ。だが、これからどうなるのかも分からない身なので油断はできない。
豪奢な物も華美な物も一切ない、公爵邸のわりに非常に質素だが造りだけは立派な室内。どこか寒々しい印象を受けるのは屋敷の主の立場を知っているからかもしれない。
自然と視線が動いて周囲を観察してしまう。隠れられそうな場所、退路、使えそうな武器になりえる物。こればかりは消えなくなった癖のようなものだ。
柔らかだが柔らかすぎないソファに座れば、ロイジーが「わわっ…」と落ち着かない様子。無理もないし、易々と通された俺も正直戸惑いが消えない。
俺はロイジーの隣に、リーダーは一人掛けソファに座った。
俺とロイジーの前に座った獣人姫は、その視線をリーダーへ向けると口端を上げた。
「遅い」
「……そりゃすんませんね。こっちはこれでもかなり早く王都に着いたんだが――……ってか、なんで俺が来るって前提なんだよ」
「どうせ主人はクズだろう」
「クズだけど……」
まるで顔の知った者同士のようだ。軽快なやり取りを俺は見ているしかできない。
獣人姫は俺を見て、リーダーを見る。その意を察したようにリーダーは俺とロイジーを示した。
「俺の仲間……元部下のアラン。アランの妹のロイジーだ」
「……アランです」
「ロ、ロロロロイジーでふっ……!」
「そう緊張も警戒もしなくていい。わたしはシルティ。ギルベール・ロザロスの妻だ」
……やはり。この女は俺たちが殺そうとしていたその人だ。なぜリーダーはこいつのもとに……。
ちらりとリーダーを見るが、なんてことはないような視線しか返してこない。
「で、肝心の君の名前は?」
「あ? あー……いるか? どうせ俺は表に出ないだろ?」
「いる。個人を呼べないのは不便だ」
「……ゼノン」
「素直でよろしい」
タイミングよく扉がノックされ、先程のメイドが入ってきた。
てきぱきとカップに紅茶を注ぎ、皿に乗った菓子を置く。それを見てロイジーの目が輝くのを見た。
「ありがとう、リアン。もう下がっていい。他の者にも呼ぶまで下がっているよう伝えておいてくれ」
「承知しました」
そう言って、ささっと部屋を後にする。
(得体の知れない客相手によくまあ公爵夫人を一人にする……)
軽視されているのか、この姫なら問題ないと思っているのか。俺には分からない。
それをちらりと見送った俺は、ロイジーがうずうずしながらも菓子に手を伸ばさないのを見た。
それは獣人姫も同じだったんだろう。微かな笑みを浮かべると先に手を伸ばしてマドレーヌを手に取り、皿をロイジーの方へ押す。
「好きに食べるといい」
「あ、で、でも……」
「これはもてなし用だ。もてなされる側が食べてくれなければ無駄になる。食べ物を無にするのはよくないと思わないか?」
「思います!」
「では食べてくれ。――おまえたちも」
妹に遠慮させるなよと言うような、そんな笑みが俺とリーダーにも向く。……妙な圧を感じるのは気のせいではないな。
僅か頬を引き攣らせるリーダーも手を伸ばす。俺も同様にすればロイジーもほっとしたような様子で菓子を食べる。
(よかった……)
緊張し通しだろう。少しはリラックスできただろうか?
意図的なのか、しばらくは茶と菓子を楽しむゆったりとした時間が流れる。
獣人姫は「ここまで大変だっただろう?」とロイジーに声をかけ、「はい。でも…」とロイジーは道中の不思議体験を語っている。獣人姫は笑うどころか「なるほどなるほど」とロイジーの話を馬鹿にするでもなく真剣に聞いている。
(こんな滑稽な話を本気にするのか……?)
その目は決して、ロイジーを馬鹿にしているようには見えない。ロイジーもそれが分かるのか、緊張も薄れたように話し続けている。リーダーはなぜかじたりとした目を獣人姫に向けていたが、綺麗さっぱり無視されていた。
話し終えたとき、獣人姫は笑みを浮かべていた。
「面白い体験だ。誰にもあることではないだろう」
「はいっ。動物さんって優しいんですね!」
「ははっ。人間と同じだ。優しくなれ、悪くもなる。互いに領域を侵さなければな。――ところで、その鼠が持ってきたという契約書は?」
「俺が持っています」
懐に入れていたそれを出すと、獣人姫がそれを手に取って目を細めた。
内容を読んでからその目は俺を見る。
「これ。貰っても?」
「……どうするつもりです?」
「燃やす」
「「も……え、もや……」」
「え? まだいる?」
「「いらないけど……」」
「ならいいだろ」
ぽいっと雑にローテーブルに放られた一枚の紙。唖然とするしかない。
あまりにもあっさりと決定を下して、あっさりとロイジーを解放した。
その書類の意味はロイジーも薄らと理解していたのだろう。俺の隣で驚いた顔をしている。
「ざっと見たが、馬鹿げた契約書だ。勤務時間の長さと理不尽な要求、その割に賃金が安すぎる。というかこれ、ないようなものだろう。こんなものを結ばせたんだ。君たち兄妹はろくな環境で雇われたわけではないだろう?」
「……ああ」
ロイジーの雇用は腹立たしいことこの上ないものだった。
当然だ。ロイジーは内容も分からず名前だけ書かされたのだから。そのせいでロイジーは随分苦労させられた。
俺は技を教え込まれ仕事に出され、ロイジーとの時間をつくることも稀にしかできなかった。
ロイジーが一人で逃げられるわけもなく、契約書に加えてロイジーに目をつけていた元主が逃がすわけもなく。ロイジーは人質として屋敷という檻に閉じ込められた。
「ロイジー。君のこれは不当な契約だ。そしてこれがわたしの手にある以上、燃やすも抹消するも容易い。つまり、君と雇い主との関係は綺麗さっぱりなくなるわけだ」
「え……で、でも……」
「待ってくれ。そんなことすりゃ向こうが黙ってない」
「黙るしかない。――わたしとギルベールがこれを把握すれば、あちらは事を公にさせるのを渋る。それに手を出してきても、肝心の雇用証明にあたるこれがこっちの手だ。証言があろうと雇用の決定的証明はこれだ」
「……なにも、表立ってだけ動くとは限らねえだろ?」
リーダーが重々しく声を潜めた。
俺にはその意味が解る。だからこそ、ロイジーの肩に手を回して引き寄せた。
(リーダーの言うとおりだ。俺たちの他にも暗部が向こうにはいる。ロイジーはあの野郎が目をつけていたようだから、まだ付け狙ってくる可能性がある)
結局俺は、妹を守れない。なにを賭しても守ると誓っているのに。
手に力が入る俺を少し不安そうに見上げるロイジーを安心させようと笑みを返す。視線を上げたとき、リーダーが身を乗り出して真剣な顔で獣人姫を見つめていた。
「姫サマよ。頼みがある。こいつら兄妹をなんとか守ってほしい。置いておけずに連れてきたのは俺だ。なんでも言うことは聞く」
「リーダー……!」
リーダーは他の奴らとは違って、俺とロイジーを微笑ましそうに見つめていた人だった。
家族なんて、暗部の人間には縁のないものだ。理解もされない。そういう奴らの集まりだ。――でも、リーダーは違った。
仕事のできる暗部の人間なのに、どこからしくない。
リーダーだけに負わせるわけにはいかないと俺も言葉を出そうとすれば、真剣なリーダーがそれを制止する。それを見て獣人姫は微かに口端を上げた。
「手を出しづらい理由をつければいい」
「って、どんな……?」
「ロザロス公爵邸のメイド」
「「「……え」」」
「後は、わたしの侍女、ギルベールの侍女、養女にするのも手としてはありだが、そうなると将来的な問題が出てくるしギルベールも他の手を勧めるだろうな。公爵家と縁ある商会に入るというのもアリだ」
「「「……」」」
……あっさりととんでもない選択肢が出てきた。室内がしーん…と静まる。
俺もリーダーも唖然と口が開いて閉じられない。ロイジーもきょとんとした顔で瞬いている。
「……いや、いやいやちょっと待ってくれ。すげえ混乱してきた」
「なにが?」
「なんでそうあっさりしてんだよ!」
リーダーが思わず大きな声を出し、天井を仰ぐ。……気持ちは解る。
だというのに、俺たちの前で獣人姫はこてんと首を傾げる。
「要は公爵家を相手にするぞと睨めばいい」
「そ、それはちょっとは抑止力にはなるだろうが……」
「選択は自由だ。王都で自由気ままに暮らしたいならわたしも力になろう。ゼノン。君はわたしの下で働きなさい」
「……へいへい」
「やる気で結構。まずは一月山でしごくから」
「……」
……リーダーが天を仰いでなにも言わなくなった。




