番外編 落ちこぼれ公爵の新しい日 その3
仕方がないので、俺は一度木剣を下ろし、少し離れた場所に守護獣を下ろした。なんでと問うように首を傾げ、丸い目で俺を見上げる。
「その……鍛錬中は隠形してもらえるか? 終わったら呼ぶから、そのときに顕現してくれれば」
守護獣が目を瞠り、愕然とした顔をした。
俺を見つめ、固まり――ふるふると体が震えて瞳が潤みだす。
(これは……マズイ…?)
思った矢先、守護獣が口を大きく開けたのを見て、俺は反射的に耳を塞いだ。
――瞬間、鍛錬場の空気が震えた。
「ぴぎゃあぁぁぁあっ!」
頬を緩ませてのほほんとしていた部下たちがばたりばたりと気絶する。なんとか堪えて耳を塞いだ者も、すぐさま鍛錬場の端へと避難する。
至近距離の爆音。
俺もすぐさま耳を塞いだが、正直意味をなさない程に耳への振動が激しい。
(っ……。マズイ……)
空気の震えが手をすり抜けて耳の奥へと直撃する。頭が揺れ、気分の悪さも出てくる。
それでもなんとかしなければと思うのだが、泣いている守護獣に手を伸ばすことができない。
手を離せば俺も失神するだろう。だがそれを懸念するよりも、腹の奥から迫りくる気持ちの悪さが酷い。
ぐわんぐわんと耳に入る音がだんだんと遠く、不鮮明になっていく。
(意識が……)
もう今後守護獣を泣かせるようなことはやめよう。守護獣がなぜ泣くのかを急いで考察しよう。
そして、こういうときの守護獣の鎮め方を誰かに教えてもらおう。切実な問題だ。
意識が遠のきかけて俯く。
ぼんやりと映る視界には、ぼたぼたと涙が地面に落ちて、けれどすぐに消える不思議な涙が視えている。なんとか視線を動かすと、その涙を流す存在は嫌々と首を横に振って全力で拒絶している。
(辺境では、彼女がみていてくれたんだったか……)
俺が部下たちと鍛錬するとき、彼女がひょいと守護獣を掴んで下がっていた。当初はあわあわと嫌そうだったが、彼女が声をかけて宥めながら一人と一体で待ってくれていた。
……あれは偶然にもこうなる事態を回避することになっていたのか。偉大だった。
(どう、すれば……)
気分が悪くなる上、視界がぐらぐらと歪み始める。……これはもう、駄目だ。
――地面に立つ守護獣に向かって視線が落ち、意識が消える寸前の俺の上に、影ができた。
そして、ぴたりと泣き声が止まった。
「……?」
だらりと手が耳から離れる。それでもあの空気を震わせるような音はもうしない。
数度呼吸を繰り返し、気持ちの悪さをなんとか抑えながら心を鎮める。そして、ゆっくりと頭を上げた。
白い身体。その中にくっきりと見える鋭い赤は瞳の色。三つの首のうち左右が動いて周りを見遣り、真ん中の首は冷淡な眼差しで俺を見る。
真ん中の頭、その口の中に頭が消えてぶらーんと吊り下げられている、もう一つの白。
「……」
ぱちりと瞬いて、視線を頭と口許に向ける。
口の中に消えている物体が、ぶるぶると震えているように見えた。
「ぎゃああぁ! 師団長の守護獣が食われたあ!」
「な、ななななんじゃありゃ!?」
「だっ、誰かすぐに師団長の守護獣の救出ぅ!」
爆音が消えたので、部下たちの声がよく通る。鍛錬場の端まで避難していたおかげで症状は俺より軽いようだ。
(……なるほど)
部下たちは知らないが、目の前のこの守護獣は陛下のそれだ。
ではなぜそれがここにいるのかということだが、恐らく……あまり考えたくはないが、俺の守護獣の泣き声が城内まで届いてしまったのだろう。城内の被害状況が気になる。すぐに謝罪に走ろう。
そう決めた俺の前で、陛下の守護獣は、咥えて黙らせた俺の守護獣をぼとりと落とした。
もう泣いていな――……いや、恐怖心にやられたのだろう。うるうると瞳に涙が溜まってガクガクと震えている。「うきゅ、うぎゅぅ…」と泣きべそをかいてせかせかと俺の元へ戻ってくると、ひしりと俺の足にしがみついた。
「だ、大丈夫か……?」
「うきゅぅぅ……」
よほどに怖かったのか。また瞳に涙が溜まり今にも泣きだしそうになる。慌ててそれを宥めようとすると、
――ぱくり
また、俺の守護獣は陛下の守護獣に咥えられた。
(きょ、強制泣き止ませ法……)
しかも、これでは堂々巡りだど瞬時に理解したのか、陛下の守護獣はくるりと身を翻す。
一度俺を振り返ってから、悠々と鍛錬場を出ていく。俺の守護獣を咥えたまま。
それを見送るしかない俺の傍に部下たちが駆け寄ってきた。
「し、師団長、あれいいんですか放っておいて!?」
「……ああ」
「で、でもすぐに助けなきゃいけないんじゃ……。あれってなんなんでしょう?」
「あれは……へい――……」
「師団長!?」
「師団長をすぐ医務室に運べえぇ!」




