65,もう一人の落ちこぼれ
この緊張感の漂う場で悠然と俺たちの方へ歩み寄ってくるのは、陛下の隣に立っていたユリフォード・グランジオン王太子殿下だ。
俺よりも二つ歳上で、亜麻色の髪と薄青の瞳を持ち、その容貌は中性的で穏やかな印象を与える。いつも穏やかに微笑んでいる表情は今もさして変わらない。
俺と彼女は突然やってきたユリフォード殿下に膝を折った。しかし殿下は気にした様子もなく「二人とも立って」と彼女に手を差し出す。
自然と出された手を受けて彼女は立ち、俺も立つ。すると殿下の目は俺の肩に向いた。
「初めて視る守護獣だね。いつ分かったんだい?」
「……戦闘中にもしやと。とくに戦闘中、私の耳はよく音を拾うのです。部下にも驚かれることがあったのですが、剣が風を斬る音や不自然な風の音、地面の隆起や亀裂音、それに僅かな熱源や水の冷たさが風に運ばれてくることもありました。そして、まるで私の心を読むかのようなタイミングで突然風が吹くことも。今回は偶然にしては不可解にも感じ、もしや……と」
「そうか。確かに、そんなことができるのは守護獣だけだ。ギルベール第九師団長の推測は、枠にとらわれず希望を失わない、柔軟性に富んだ素晴らしいものだね」
殿下は手を上げ、俺の肩へと持っていく。
俺の守護獣は殿下の指にこてんと首を傾げ、その小さな手でつんつんと触れた。なんだこれはとでも言いたげな表情に殿下はくすりと笑う。
「で、殿下危険です! そのような訳の分からぬものに触れるなど!」
「危険などないよ。こんなにも愛らしいじゃないか。ギルベール。触れてもいいかな?」
「どうぞ」
守護獣を手に持ち、俺は殿下の手に渡す。
守護獣はきょろきょろして俺を見ると、駄々をこねるように俺に向けて必死に短い手を伸ばす。そんな守護獣の頭や背を殿下は興味深そうに撫でたあと「ふふっ」と笑った。
「まるで、君とお別れさせられるみたいで必死だね。大丈夫だよ。君からギルベールをとったりしないから」
「うきゅぅ……」
本当かと問うような様に殿下は笑うと守護獣を俺に戻した。そして、半身を重鎮たちへ向ける。
「さて。セドアル侯爵、イーヴァ伯爵、グラム伯爵以下ギルベールの守護獣は守護獣にあらずと賛同した者たちは、その主張を変えないということでいいかな?」
「殿下。ロザロス公爵の出自がいかなものであれその籍はすでに離れ、過去の不忠とて消えはしませぬ。その上守護獣を冒涜するなど不敬罪に相当いたしますぞ!」
「存在しない姿は守護獣にあらず、それを守護獣とするは不敬……。存在する姿をしていることが一般的だけれど、そうではないという可能性はないかな?」
「そのようなことは聞いたことがありません」
重鎮たちは明らかに、彼女と同じ主張をする殿下に苛立ちをみせている。こちらの味方をしていると感じるのだろう。
俺と殿下は従兄弟であり、俺が辺境領で暮らすことになるまでは共に過ごして遊ぶこともあった。そんな幼いころのことは記憶にないのだが、そのせいなのか、殿下は今でも俺にはごく自然に接してくださる。
ここで殿下の敵を増やすわけにはいかない。
俺はすぐに殿下を止めようとしたが、非常に困ったというような、それでいてどこか悲し気な表情を浮かべた殿下が早かった。
「そうか。残念だ。――……では、陛下もまた守護獣なしの落ちこぼれというわけか」
「「「………は?」」」
重鎮たちの表情はおそらく俺とも同じだろう。それほどに殿下の言葉は理解が追いつかなかった。
そんな俺に後ろからそっとバートハート殿が教えてくれた。
「それぞれの表情を見てみろ。面白いくらい反応が分かれているだろう?」
「……言われてみれば…」
言われて気づいた。
重鎮たちの中、圧倒的に多いのは俺と同じ表情をした者たち。しかしその中……いや、陛下に近い場所にいる側近や宰相、公爵家当主を始め数家の当主、後は高齢の域にある重鎮、その面々だけは表情が違う。
憤り、無反応、呆れ。異なる表情を浮かべている。
「な、なにをおっしゃるのですか、殿下。陛下が犬の守護獣持ちであられることは誰もが承知の……」
「では問おう。この中で、陛下の守護獣を視たことがある者はどれくらいいる? 私は一度だけあるんだけれど、そのときは六日五晩陛下の後を追いかけて駄々をこねて陛下を根負けさせて視せてもらったんだ」
……殿下、なにをなさっておられるのですか。そしてシルティは俺の傍で笑うな。
殿下の問いに一同はまず陛下を見た。のんびりと傍観に徹する陛下は「王太子の問いに答えよ」と一同を促す。
それによって、百を超える人数の中でほんの十名ほどが手を挙げた。先程から違う表情を浮かべていた者たちだ。
その事実に俺は驚かされた。
日常生活において守護獣を顕現させることは少ないとはいえ、仕事の中で守護獣に用事を言いつけるというお使いまがいのことをさせる者もいると聞く。それに、貴族が外出するようなときには護衛として守護獣を顕現させておくこともあるらしい。社交の場でもある種の優劣のように判断されるのが守護獣だ。視せることがないわけではない。
それに、陛下とはいえ幼いころから公私にわたり友人関係を築けている相手もいるはず。そういった者は守護獣を視たことはあるだろう。陛下は馬が合わないそりが合わないからと人を遠ざける御方ではない。
(にしては、陛下の守護獣を知る者が少ない。……そういえば、陛下は式典や社交の場でも守護獣を出さない)
手を挙げる者が圧倒的にいない。その状況に言い出しっぺの重鎮たちもたじろいた。
それを見て殿下は微笑むと、身体ごと陛下に向き直り深く頭を下げた。
「陛下。陛下があまり守護獣を顕現させることを好まれないのは承知しております。ですがここは、同じものを他にも持っているかもしれぬまだ見ぬ民のため、どうか」
「守護獣はかくあるもの……。それが外れた者の未来を曇らせるならば、それを払うも私の役目だ」
トンッと肘掛を指で叩く。――その瞬間、俺たちは目を瞠った。
玉座に座る陛下のすぐ傍。そこに顕現した陛下の守護獣。
白く美しい毛並みに包まれた体躯は、人の身の丈より少し大きいかもしれない。鋭い爪を宿す太く大きな手足が床を踏みしめ、立派な身体を支えている。ゆらりと揺れる尻尾は獅子のそれに似て細く、先端に房がある。
身体は例えるならば獅子のそれ。――しかし驚愕なのは、首から生える頭が三つあるということ。一つは唸り声を上げて威嚇し、一つは冷淡な眼光を向け、一つは甘えるように陛下に擦り寄る。表情顔つきがそれぞれ違うが、その目の色が赤いというのは共通だ。
――誰だ。あれを犬などと言ったのは。
その姿を視た俺の守護獣がなぜか震えながら俺にぴたりと寄り添う。
甘えてくる頭の一つを離しながら、陛下は重鎮たちを見遣った。
「さて。これで私も守護獣なしの落ちこぼれというわけだ」
「……! いえそのようなっ……!」
「そうなのだろう?」
「っ……」
知らなかったとはいえ許されることではない。知っている者は知っているのだから。
これまでどおり俺を嘲笑おうとしたのだろうが、思わぬところに飛び火したものだ。
重鎮たちがすっかり収まったことで、陛下はその視線を俺に向けた。
「その守護獣はまごうことなくそなたの守護獣だ。そなたを悪く言う者に怒る。守護獣として当然の行動だ」
「はっ。感謝いたします。それに……大事にさせてしまいましたこと、陛下が望まれぬことにお手数おかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」
「よい。言ったであろう。そなたの守護獣には人並み以上に関心があると」
あの瞬間から陛下も殿下もこうなることを読んでいたのだろう。
こちらとしては肝が冷えることなんだが……。そう思ってハッとした。
ここにもう一人、この展開が読めただろう者がいる。
ちらりと見れば、「ん?」と首を傾げて俺を見る金色の目。
(や、やめてくれ……)
今になって、非常に胃が痛くなり始めた。




