55,あのときよりも逸る
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空が白む頃には目が覚める。
広い野営地に立つ天幕はごく僅かだ。ほとんどの団員は外で寝転がって眠っている。その中で火の番をする騎士や周辺の見回りから帰ってくる騎士の姿が見える。
これくらいの時間から騎士は目覚め、出発の準備と朝食の支度にかかる。
今朝の当番の者たちはすでに動きだしている。それを見て声をかけ、軽く身体を動かすために少し離れる。
朝の鍛錬はいつだって欠かさない。すでに身に沁みついた行動だ。していると第九師団の騎士が数名駆け寄ってくるので共に鍛錬をする。
鍛錬を終えて野営地に戻ると、すでに騎士たちは起きていて動き回っている。
今日も問題なく出発できそうだ。そう思っていると、第九師団の騎士が一人駆け寄ってきた。
「師団長! そろそろ朝飯なんですけどシルティ様がまだ起きてこなくて。声かけてるんですけど反応がないんです」
「……分かった」
珍しいな。彼女はこういった環境に慣れもあって、朝も起床は早いんだが。
騎士団は男ばかりだ。なので彼女には就寝のための天幕をあてがっている。俺の妻ということもあって他の者たちは天幕には入らない。
(……なんだ。この感覚は)
嫌な予感がするような。心臓が妙に逸るような。反応がないと聞いてどうしようもなく心が逸る。
俺の肩でまだ眠そうにこくりと船を漕いでいた守護獣が、俺がいきなり走り出したのでがくんと体勢を崩した。すぐにしがみついて離れまいとする。
彼女の天幕の前まで来た俺は「俺だ。入るぞ」と声をかけてすぐに入り口の垂れ布をずらす。
仄暗い内部。あるのは就寝用の簡易ベッドと彼女の小さな荷物だけ。組み立ても解体も簡単にできる、木の棒を固定させて布を被せた簡易的な天幕だ。
ベッドの上に横になっている彼女がいた。もこりとした尻尾が腰から足先まで膨らんでいる。こちらに背を向けていてとくにおかしな様子はない。
それにほっとしつつ、そろそろ起きて返事くらいしろと思いながら足を踏み出す。
「朝食ができる。そろそろ――」
守護獣が肩を離れて彼女の傍へ飛んでいく。
とんっと彼女の顔の前に立ち「きゅぅきゅぅ」と悲し気に鳴きだした。その目は彼女と俺を交互に見つめる。
「どうした? 一体なにを――」
微かに聞こえる、荒く苦し気な呼吸音。眼下に見える上気した頬。僅かに寄った眉間の皺。
――呼吸を忘れて、心臓が跳ね上がった。
守護獣があわあわおろおろとしている。視界にそれが入りつつ、俺はすぐに簡易ベッドに腰掛けて彼女の額に手をあてた。
(熱い。……それに脈も少し弱い上に速い。……風邪か? ここにきて緊張が解けたのか?)
原因はいくつか考えられる。一切不調など感じなかったせいか衝撃を受けてしまったが、なにもおかしな話ではない。
戦後は砦でも体調を崩す騎士がいた。傷痕もちゃんと治療するよう言っていた。おかげで今は問題ないが、目の前の彼女はずっと平然としていたから大丈夫だと思いすぎていたのかもしれない。
「報告に行ってくる。俺が戻るまで彼女の傍にいてくれ」
「うきゅっ!? きゅ、きゅぅぅ……」
「頼む。すぐに戻る」
今の彼女をこの場で任せられるのは俺の守護獣しかいない。軍医を連れてきて、バートハート殿とボルダッツ殿と予定の組み換えを話し合わねばならないが、独りにしておくのは少し心配だ。
そう思って頼むがなぜかひどく驚いた顔をして、傍へ来ると嫌々と言うように俺の服の袖を掴む。泣きそうな顔と思わぬ反応に意表を突かれつつも、そっと小さな頭に手を置いた。
「頼む。おまえ以外いないんだ」
「きゅぅ……」
「すぐに戻る」
行かないでと言わんばかりの表情だが、彼女を見て、承知したのかそっと手を離す。
もう一度だけそっと頭を撫でてからすぐに天幕を出た。「あ、師団長。シルティ様起きて――」と声が聞こえるが、今は急ぐのですぐに走りだす。
同行する軍医のもとへ走り、簡単に事情と容態を伝えて天幕へ向かってもらう。今日の行程について話をしているバートハート殿とボルダッツ殿のもとへ向かうと、すぐにボルダッツ殿から鋭い一瞥が飛んできた。
「なにをしていた。遅いぞ」
「すみません。少々問題が起こりました。彼女の容態がどうにも芳しくありません。出発は少々遅らせてほしいのですが」
「なに? 容態は?」
「今軍医に診せています」
面倒事だと言うようにボルダッツ殿はため息をつき、バートハート殿は顎に指をそえる。
「分かった。少し様子をみよう。他の者にはこちらから伝えておく。君は彼女の傍にいてあげなさい」
「ありがとうございます」
頭を下げ、俺は再び彼女の天幕へ向かう。こうなるとさすがに何かあったと団員たちも勘づく。
ゆったりとした朝の空気はどこか緊張を帯び、いつでも動けるようにと朝食を食べる手も早まっている。
「入るぞ」
一声かけて天幕に入ると、ばひゅーと飛んできた何かに衝突された。
僅か呼吸が止まりつつ受け止めると、まだ少し慣れない白い姿がある。
目尻に涙を溜めて俺を見上げるその姿。離れたくないと訴えていた俺の守護獣は、戻ってきた俺の服を掴んで必死に離れまいとする。
そんな必死な姿を見て心の緊張が少しほぐれた。
「留守番ご苦労だった。ありがとう」
そっと撫でながら言うと、涙はまだ溜めつつもひしっと俺の服を強く掴んだ。しばらく離れそうにないのでそのままに、俺はすぐにベッドの方へ向かう。
そこではすでに軍医が彼女の容態を診てくれていた。
「どうだ?」
「戦後にみる騎士と同じ症状です。おそらくはお疲れが出たのかと。少しお休みになられれば問題ないかと思います」
「そうか。ありがとう」
軍医は薬を置いて天幕を出ていった。それを見送ってほっと息を吐いてベッドに腰掛ける。
(ファルダ国では戦の経験もあるとのことだが、ロドルス国へ来て二年。久方に無理をさせすぎたか……)
なにせ、これまでそれほど大胆な行動に出ていない彼女だ。突然に戦となれば慣れていると思っても体が悲鳴を上げることは珍しくない。
それが分かって身体から力が抜けた。
(よかった。なにかあったらどうしようかと……。ひとまず今はゆっくり休ませて、それで――……)
ふと、脳裏をよぎった。
体調を崩していると報告を受けた。医者を手配するように指示し、ハインもセバスもそう動いた。しかし「風邪でしょう」という診察のわりに薬もさして効かず、回復もせず、悪化の一途を辿った。
別の医者に診せた。獣人という相手にあからさまに嫌そうな顔をして「獣人を診た経験がありませんので」と断られた。それから何人にも頼み、断られたり診てもらえたりした。診てくれた少数の医者の見解は同じだった。それでもなにも変わらなかった。
陛下の侍医を借り、それでも数日変化はなく、そして――……
「うきゅぅ……?」
「っ!」
小さな、問うような鳴き声が俺の思考を引き戻す。はっと視線を向けると、俺にしがみついたまま大きな目で俺を見上げている。
そっと撫でると、嬉しそうな顔をみせた。
(嫌なことを考えてしまった……)
己の思考にため息を吐いた。眠る彼女の横顔を見るが、少し苦しそうなのは変わらない。
(本当に疲労からくるものだろうか? 獣人特有のなにかの病の可能性も……。いや。全く体調に問題はなかったんだ。病なら何か症状があったはずだ)
だから、大丈夫。何度も自分にそう言い聞かせる。
それでも脳裏に残る嫌な想像。思わずぐっと奥歯を噛んだ。
(獣人特有の病の有無を彼女にちゃんと聞いたこともない。オスカー殿に聞いておくんだった)
全く考えもしなかった。そんな自分に苛立ちを覚える。
けれど、今はそんなことを考えるときではない。だから頭を横に振った。
「師団長。います?」
そんなとき、垂れ布の向こうから声が聞こえた。
守護獣がてちてちと肩に乗り直している中、俺も腰を上げる。
垂れ布をずらすと、そこにいたのは第九師団の面々だった。
「どうした?」
「師団長。朝飯食ってないですよね。これ」
差し出された器。中身からは湯気が立っている。
ちらりと彼らの背後を見れば、もうすでに片づけを始め出発準備に移行している。指示しているのはガードナーだ。
すっかり任せきりにしてしまっていた。申し訳なく思いながら器を受け取る。
「すまない。ありがとう」
「いえ。その……シルティ様は?」
「どうにも疲れが出たらしい。少し休ませる」
「分かりました。あとでバートハート師団長をお呼びしましょうか?」
「……そうだな。頼む」
気の利く部下で助かる。悪い思考に陥ってしまって全く周囲に思考が向いていなかった。こういったことがないよう努めるのが師団長だというのに、全くもって不甲斐ない。
皆が摂る朝食から随分遅れた時間でありぬるくなっていてもおかしくなかったが、渡された食事は温かい。
団員たちの心遣いが胃の腑にも心にも染み渡るようだった。




