54,帰還
逃げられて頬を膨らませたレオンハルトが、身体ごと向き直る。
「姫様。さっさと言っちゃえばよかったのに」
「よかったけれど……。それを信じてもらうまでの関係がなかったからな。それに教えていたとしても、制御できない力で屋敷を吹き飛ばし、王都を半壊滅状態にしては問題だ」
「強い力が降り注いで問題のない場所も必要だったってわけですか」
「そういうことだ」
納得のオスカーとは違い、ギルベールは少々苦々しいような顔をしている。
ギルベールがここまですんなり守護獣を認めたのは、信じられると思ってくれたからだ。そしてそれは、以前のシルティとの間にはなかった。
『守護獣をいないと思っていらっしゃる。だけど、それをお教えすることができない』
シルティも解っていた。だから沈黙を保った。
少し考えるような顔をして、頭に手を向けたままギルベールはレオンハルトやオスカーを見る。
「ファルダ国は守護獣がいないと聞くが、詳しいんだな……。俺のこの守護獣についても、拝むだとか、御方だとか」
「そりゃあな。ファルダ国には確かにあんたらが言うような守護獣はいねえが、そもそもにあんたらが守護獣って言ってるそれはファルダ国から流れたもんだからな」
ギルベールが目を瞠る。わたしもオスカーに一瞥を向けた。
わたしが知るのはあくまでシルティの日記の内容だけだ。より詳細を知りたい気持ちもあるが、獣人たちの前でそのボロはだせない。
「そんな話は初耳だ……」
「国によって違うと思うぜ。だが、だからこそファルダ国の獣人たちには守護獣が視えるってのもある」
「……俺は、昔この辺境領で過ごしていた。獣人の商人にも会ったことがある。だが、誰もなにも言わなかった」
「獣人にとって、守護獣なんて見慣れた隣人だ。あんたのそれはちょいと他の守護獣とは違うが、それもはしゃぎたてるもんじゃなく、まさに、遠くから拝む存在ってやつだな」
「……」
ギルベールがなんとも言えないような様子で天を仰ぐ。
獣人にとっては見慣れている守護獣。いちいち指をさしてどうというものでもないからこそ、辺境領でもギルベールは気づかなかった。辺境領で過ごしている中でも気づかなかった要因は分かった。
「その……こいつはなにか、他の守護獣とは違うのか?」
「違うな。俺たち獣人にとっては敬い拝む存在の一体だ。……まあ、そう急がなくても姫様もご存知だ。ゆっくり聞きゃいいさ」
「……そうだな」
オスカーの視線がちらりと動く。ギルベールの後ろから走ってくるのは副官のガードナーだ。「師団長!」と呼びかける声にギルベールも振り返り、わたしたちに「失礼する」と断って駆けていく。
それを見送って、オスカーはやれやれと肩を竦めた。
「守護獣について無知が多いな。この国は」
「仕方ない。歴史は平然と書き換えられるし、すべてを知ることができるほど万能でもない。人間も、獣人も」
「……姫様、なんか変わりましたね」
レオンハルトが少し首を傾げてわたしを見る。けれど、それに心が波立たない。
ふっと軽く口端が上がった。
「かもしれない。わたしもやるべきことが見つかったからな。――陛下になにか聞かれたらこう伝えてくれ。わたしは、わたしの夫を誰よりも幸せにします、と」
さて。わたしも少しギルベールを手伝うとしよう。
ひらりと手を振ってギルベールの後を追う。その後ろから聞こえた会話は、聞こえないふりをしておいた。
「……姫様。王太后様みたいになってません?」
「やっぱり姫様もあのご両親を持つ方だな」
♢
帝国側との戦は収束した。
追撃指示を受けていないギルベールは、相手側を殲滅後に帝国側に書状を送った。
収束後もしばらく監視は続けたが、相手側に動きはない。
王都へ戻りたいところだが、相手がまだやる気であるか否かでわたしたちの動きも変わる。
ギルベールやバートハート殿たち主要級は、もしまだ続くようなら…と想定の上で会議することもある。緊張を忘れない頼もしい動きだが、わたしは、おそらく帝国側に続ける余裕はないと踏んでいる。
わたしが出した炎の力と、ギルベールが起こした風の力。帝国側はギルベールの守護獣を見る前に潰れたけれど、誰も戻らずにいるところで圧倒的な結果はみえている。
それでも戦力を投入して散らすか。するならばもちろん容赦はしないけれど、なんとも無駄な使い方だ。
圧倒的な力で帝国側を牽制した功労者は、姿を消すことなく常に顕現したままギルベールにぴったりくっついている。
肩に乗って頬を寄せたりうつぶせで寝たり、頭に乗ってうつぶせていたり。ギルベールの膝に乗って「撫でて」と言わんばかりに鳴いていたり。なんとも自由に気の抜けた可愛らしい姿を見せてくれる。
おかげで、砦中がなんだかほんわかとしている。ファルダ国側は気にしていないというか、遠くから拝んでいたり、見かけたときには「拝見できた栄誉は一族に語ります!」と目を輝かせてギルベールを困惑させたりしている。
ギルベールには守護獣の力の制御を学んでほしいところなのだけれど、今ここでそれをすると帝国側を刺激しかねないからまだ提案はしていない。
ギルベールがそれをするときには同席しようとは思っているけれど、今はそれがないからわたしも自由に過ごす。鍛錬に参加したり、町へ出かけてみたり、ヒュリオスの所へ行ってみたり。有意義な時間を過ごさせてもらう。
そうして一月後、国同士の決定が通達された。
これ以上戦闘が続く結果にはならず、ギルベールたちの帰還が許可された。やっと帰れる。
「では、今後もなにかあればすぐ城に。今後も国境を頼む」
「はい。皆さまのご活躍に心からの感謝と敬意を」
ディザルバを始め国境兵たちが膝を折る。ギルベールもしばし、そんな彼らを見つめた。
そして、顔を上げて身を翻す。
「帰還だ」
ギルベールの声に一同が声を上げ、騎士団は砦に背を向けた。
往路ほど急ぐこともなく騎士団の一行はゆっくりと進む。帰還の道はバートハート殿やボルダッツ殿もいるから大所帯だ。
さすがにこれじゃ馬の気力を回復させるのも難しい。まあ、ゆっくり帰るだけだから不要か。
わたしもギルベールも一団の少し後方を進んでいる。ゆっくりとした足取りで進んでいると、度々ギルベールの視線がどこかへ向いていることに気づいた。
長閑な光景。広がる畑や森。気持ちがいい見晴らしの景色をギルベールはじっと見ている。
「なにかあるのか?」
「……なんでもない」
そう言って誤魔化す様子を見て、無理に聞く気が起きない。
ここはギルベールが幼少期を過ごした場所だ。思い出の場所の一つや二つはあるだろう。
そう思って聞かずにいたわたしは、ギルベールがなにを見ていたのかを休憩中に知った。
それは、ギルベールとバートハート殿が離れてしていた会話が聞こえたときのこと。
「ギルベール殿。少しくらい隊を離れても構わないぞ。たしか……シャス湖の近くじゃなかったか? ここからなら往復しても日帰りできる」
「そういうわけにはまいりません。俺は今仕事中ですので」
「二年、会っていないのではないのか……?」
「……」
「すまない。余計なお世話だったな」
「いえ。お気遣いありがとうございます。……ですが、母を余計に苦しませたくありませんので」
困ったように眉を下げるバートハート殿と、師団長らしく背筋を伸ばすギルベール。
一瞥だけして、なるほどと理解して視線を戻した。
シルティの日記にギルベールの母についての記載は一文だけ。
『セバスに、ギルベール様の母君にご挨拶したいと言ってみたけれど「大奥様は辺境領にてご養生されておられます。旦那様からも知らせを送り、挨拶は不要と申しつかっておりますので…」とのことだった。いつかちゃんとご挨拶したい』
それ以上を記してはいなかった。その日以降、シルティがギルベールの母に会ったという記載もなかった。
シルティにとっては義母と思える人だけれど、ギルベールの母からすればどうなのか……。息子が自分の夫と嫁の父を斬り、反逆者の伴侶。肩身の狭い息苦しいところもあるだろう。
(とはいえ、為人が全く分からないし、今はまだギルベールもわたしに会わせようとはしないだろう……。もう少し時間をとろう)
「シルティ様。飯どうぞ」
「ありがとう」
結論付けて、わたしは給仕された料理に手をつけた。
今日の夕食は昼間のうちに狩った鹿の肉で作ったスープと携帯食の硬いパンだ。
食事の主材料は各師団で異なる。理由は簡単だ。獲物の捕獲は各師団次第だから。
それでも全団員の腹を満たすのは非常に難しいけれど、狩った命は無駄なく使い、ちゃんと分けている。捕獲は各師団の腕次第だからこれはこれでいい訓練だ。
ちなみに、今日の第九師団の夕食の主材料である鹿肉は、わたしも狩りに参加して捕獲したものだ。
当番制で狩る人員を数名決める中にわたしも入れてもらい、団員と一緒に森へ入った。「師団長! これシルティ様のおかげで狩れました!」「俺らはシルティ様の指示どおりに罠仕掛けました!」と笑顔で報告する部下にギルベールは最早なにも言わず顔を覆っていた。
騎士たちがうまく調理してくれたそれは、実に美味な料理になっていた。




