52,この目に映る
危機に対し、心が叫んだ。
応えるように、風が吹いた。
迫る敵を見つめ、俺は一度息を吐いてから彼女に問う。
「念のため聞いておきたい。さっきの暴風はあなたの力か?」
「いいや。わたしはそれから味方を避難させるのが精一杯だった」
「えっ! あれってシルティ様じゃなかったんですか? え、あ、いや。でもシルティ様は火の力か……」
「いやもうなんでもできそう……。って、なら誰が?」
「あんなとんでもない力持ってるとか……ファルダ国の誰かとか?」
あれほどのことができたのだ。その正体を知りたくなるだろう。
ならば誰だと後ろが少しだけ騒がしい。なにも言わず静かなのはファルダ国の騎士たちだ。彼らもおそらく彼女と同じで、視えている。
それが、本当なのだと俺に突きつけてくる。
だから無意識に拳をつくった。
(俺が自覚しなければ)
でなければ、守護獣は決して視えない。誰の目にも映ることはなく、いないまま消えていく。――たった独りで。
孤独を、辛さを、俺も彼女も知っている。どうしようもない理由でも、自分の意思でなんとかなることではなくても、心はどうしても揺れ動く。
(彼女と言葉を交わすようになって、その考えを知って、孤独は少し薄れたのだろうか……。そうなら、彼女のおかげだな)
付きまとっていた虚無に似た何かは、思えば最近さほど感じない。代わりのように頭痛が増えて、彼女の面白がる笑みが浮かぶ。
四六時中一緒というわけでもないのに、屋敷でも離れている時間は平然とあってこれまでと変わらないのに。
(違うのは、目を見て話をするようになったからだ)
見ること、知ること。
些細なことが大きく変えてくれた。彼女との距離も――きっと、これからの新しい存在も。
一歩、前へ踏み出す。ここで応戦するのかと少しだけ戸惑う気配を感じる。
「師団長?」
「少しだけ、時間をくれ」
怪訝と不安に彩られる部下たちを見てから、俺は正面を見据えた。
敵が迫っている。あまり悠長なことはできない。……それでも。
そっと目を閉じる。
いないと思っていたものを、そう信じているものを、今更そうではないと思うのは難しい。しかし同時に、それが孤独になっているなら独りではないのだと教えてやりたい。
俺も幼い頃からそうだった。あの戦でそれはまた深まった。
それでも、第九師団がいた。ハインやセバスがいた。自分の傷は自分のものでも、ひと時でも安らぐ時間があった。
……守護獣に、それはあるのだろうか?
俺がいないと思っている守護獣は、他の守護獣に視えているのだろうか? 同胞だと思われているのだろうか? そうでないなら、まさに孤独の中だろう。
そうさせてしまっているのは、俺だ。
そんな俺に呆れず、守護獣は俺を助けてくれている。
言い表せない感謝を抱く。謝罪を抱く。不甲斐なくて、情けなくて、捨てられて仕方ないと思う。
だが、いるのかもしれないと思った以上、主としての責任を俺は果たさなければいけない。
捨てられるなら、せめて最後には「これまでありがとう。すまなかった」と伝えなければ。
(それでも、もし、俺に呆れずこれからを共に在れるなら、決して孤独にはさせない。一緒に、これからを。彼女も一緒にゆっくりと過ごす時間をつくろう。俺はなにも知らない愚か者だ。これからたくさん、これまでの愚行を挽回していかなければいけない。彼女のことも、おまえのことも)
いるのだ。彼女の言葉と、守護獣自身の行いが、俺にそう思わせてくれる。信じさせてくれる。
もう、目を逸らしてはいけない。
「……いないと、そう思っていた。――……だが、いるんだな。気づいてやれなくて、すまない」
触れてみたい。この目に映してみたい。
ぬくもりを知ってほしい。その目に映りたい。
ひどく胸が苦しくなる。急激に絞られるように、切なくて寂しくて、それがあふれるほどに湧き起こる。
手を伸ばして、触れたくて――……
「――……!」
ゆっくり目を瞠って、息を呑んだ。
それは俺だけでなく、後ろにいる騎士たちからも大きな動揺と混乱となって背に刺さる。
視えないモノが、目に映る。
なにもなかった視界に、まるで最初からそこにいたかのように現れる。
太陽の下、その色はあまりにも眩しい。見たこともないほどに大きな身体は見上げるしかない。その体のおかげで敵影が見えなくなった。
身体を覆う白く硬そうな鱗。額に生えている二本の角。鋭くぎらりと並ぶ牙はひと噛みで簡単に命を奪えるだろう。太く大きな手足にはこれまた鋭い爪が備わりひと裂きの威力を想像させる。そして、その背に有する大きく強靭な翼。
畏怖を抱くほどに圧倒的で、足を引きそうになるほどに本能を刺激する。畏怖と神々しさが溢れる、見たことのない生き物。
「な、ななっ、ななななんですかこれ!?」
「敵襲!? 新手の攻撃か!?」
「一斉に距離をと――ファルダ国側何やってる!」
「拝んでますけど?」
「いや、おがっ、拝むってなに!?」
「滅多とお目にかかれないなんと神聖なる御方か……。一目拝見できただけでも末代まで語れる誉です。って」
「いやちょっと意味が分からない!」
レオンハルトの「当然でしょ?」と非常に落ち着いている様子にはロドルス国側がなにやら叫んでいる。背後が煩い。国が違えば反応が全く違うようだ。
頭のどこか冷静な部分が呑気にそんなことを考える。
後ろはともかく、俺は不思議と恐ろしさは感じない。藤色の瞳はまっすぐ俺を見つめて、無邪気な子どもが喜ぶように明るく元気に鳴く。
鳴き声一つで後ろから悲鳴が上がっているのは気にせず、俺はそっと手を出した。嬉しそうに俺の手に鱗を寄せ、目を閉じてすりすりとすり寄せてくる。
「し、しし師団長……! 食われますって!」
「大丈夫。こいつは……俺の守護獣だと思う」
「「「はっ!?」」」
守護獣なしの師団長がなにを言うのかと愕然としている様子は振り返らずとも分かる。
隣を見ると彼女も静かに頷いた。やはり、そうなのだろう。
「し、師団長、それはどういう……ああ、いえ。この状況でのんびりそんな話はできませんね」
ガードナーも驚いているがさすがだ。すぐに目の前の敵へ意識を戻す。
もっともだ。俺も驚いているが詳しいことは後々だ。
そう思っていると、隣の彼女が動いた。
「時間をかけるのはやめよう。ギルベールの怪我も早くちゃんと手当てしたいし、幸い、第九師団に加えて国境兵、向こうからは第二師団の応援も見える。守護獣なしと言われ続けた君がいかに素晴らしい相棒を得ているか、見せつけてやろうじゃないか」
「いや、そんなことはしなくとも――」
「ギルベールを侮る声をひっくり返してやれる。見返してやれる。ギルベールを馬鹿にする馬鹿どもに一泡吹かせてやろうと思わないか?」
「いや俺は――」
「「「! すんごい思います!」」」
「……」
「ファルダ国とてこの御方の力を見たいだろう!」
「いやだから――」
「「「めっちゃ見たいです!」」」
「……」
俺の意見を聞け。俺の守護獣についてだろうが。
俺を置いてけぼりに「おおぉぉっ!」と勝手に盛り上がっている。開戦時よりも熱を感じる。
「さあ、ギルベール」
「……好きにしてくれ」
「あい分かった。では頼もう。――ギルベールをいじめる奴らだ。思いっ切り追い返してやりなさい」
なんとも威勢のいい言葉が俺の守護獣に向けられる。
言葉を理解したのか守護獣は分かったと答えるように咆哮を上げ、飛び立った。威風あふれるその姿を俺はただ見送ることしかできない。
頭上を飛び、旋回して敵の方へ向かう。
そして再び、咆哮が響いた。
まるで空気を震わせる音の衝撃。そして――経験のない暴風が敵影の方から吹いてきた。
体勢を低くしなければ体が流される。部下たちの中から「ひげっ」「いぎゃあ」と飛ばされている声が聞こえるが、俺もこればかりは自分のことで精一杯だ。
が、そんな衝撃がふと止む。
何事かと思って見ると、前方に大きな土壁ができていた。
「想像以上の風だな……。ここまで離れていてもこれほどとは」
「助かった」
彼女が咄嗟に土壁を築いてくれたようだ。俺の部下たちはそこまで余裕がない。無理もない。
彼女が複数属性を使えることを知るガードナーが、それを部下に悟られぬよう「代わりましょうか?」と申し出るが、彼女も小声で「難しいだろう。ふりを頼む」と土壁をガードナーによるものと見せることを指示する。それには俺も反対はないし、部下も気づいていないようだ。
それほど間を置くことなく風は止んだ。彼女も土壁を崩し、敵の方を見る。
――そこには、なにもなかった。




