50,風の刃
再び地面を蹴る。
部下たちには「無理でしょ!」「なんでできるんですか!?」と愕然とした顔をされることが多い聴覚で音を拾い、剣を振る。
迫る音にはすぐに身体を動かす。いくら風の刃が鋭くとも、それは四方八方休みなくというわけではない。右に迫れば上下は空き、上に迫れば左右が空く。守護獣の力は決して万能ではないと、俺は実戦から知っている。
息も吐けない攻防が始まる。
剣にまとう風、その音に気をつけながら隙を狙う。常に動く俺の体力は削られ、しかし決して集中力は切らさない。
腕に、脚に、頬に、切り傷ができ痛みが走っても、剣を振る勢いは決して弱めない。
距離をとってしまうと風の攻撃で攻められ、再び懐に入ることは難しくなる。このまま、この距離で、この攻撃で、討つ。
風の刃を避けてすぐ打ち込んだ剣がドゥーラの腹を斬る。それでもその膝が崩れることはなく、奥歯を噛む音が聞こえたと思うとぶわりと風が吹いた。
耳が鋭い音を拾う。風が動きを補助するかのようにドゥーラの剣の切っ先を天へ向ける。
(マズイッ……!)
鷲の鳴き声が耳を衝く。翼をうつ音が聞こえる。
迷うことなく後方へと飛び退いた。風をまとう刃は地面を砕き、破片が飛び散る。
のんびりそれを見ている暇などなく、耳が風の音を拾った。
視えない。だが分かる。
耳に意識を集中させて第一撃を避けても肩口が裂け、痛みが走った。
耳が続けて風の音を拾う。あちこちから届く音に耳がだんだんと麻痺しだす。
(っ、耳鳴りが……)
酷使したのか耳鳴りが強くなり、音を捉えづらくなっていく。
足を止めることなく耳と目を頼りに身体を動かす。
――来たと感じたとき、避けられないと直感した。
視えない刃が目の前に迫るような、そんな感覚。
息を呑んだ。負傷を最小限にしろと頭が訴える。
防御しようとして――また、頭にあの表情が浮かんだ。
『ギルベール。わたしの頼みは――……』
奥歯を噛んだ。ぎゅっと目を閉じ、心の中で叫んだ。
――瞬間、砂煙をたてるどころか、すべてを噴き上げるような暴風が吹き荒れた。
迫っていた刃が押し返される。ドゥーラも腕で目を守りながら体勢を低くさせているが体がかなり風に押されている、守護獣の鷲が突然の暴風で体勢を崩して飛ばされる。
あちこちから悲鳴が上がる。帝国兵が暴風に呑まれ、空へと舞いあげられていく。
なんとか味方陣営に視線を向けるが、砂煙ではっきりとは見えない。
飛ばされていない様子だけはかろうじて見えたが、砂塵がひどくて目を開けていられない。
風で髪が暴れ、隊服が音をたてる。嵐の中に放り出されたような周囲に意識を向けつつも、動くことはできずにひたすらに風のおさまりを待つ。
暴風が鎮まったとき、周囲で起こっていた戦いは綺麗さっぱりなくなっていた。慌てて後方を見れば、ロドルス国軍は離れて固まっている。その中心にいるのは銀色の彼女だ。
帝国兵は…と思って見るが、いない。
(どこへ行った? まさかあの暴風の中を撤退した……?)
ぼとんっとなにかが落ちてきた。それも一つだけではない。二つ三つと数を増やして落ちてくる。
見ればそれは――帝国兵の格好をしている。腕や足が歪に曲がり、周囲に血だまりができているが間違いない。叩きつけられ、息をしていない者や虫の息である者がいる。
(ドゥーラはどこへ行った……)
周囲にできた光景にはさすがに気分が悪くなるが、優先事項を思い出してすぐに視線を動かす。
慌てて周囲を探すとそれらしい人物がいた。しかして彼も他の者同様の有様。
思わぬ形で決着がついた。
俺がなんとか立ち上がると、後方から騎士たちが駆けつけてきた。
「師団長! ご無事ですか!?」
「問題ない。すぐに息のある敵兵を捕虜にしろ。左翼右翼の戦況はどうなっている?」
「はっ。シルティ様の指示で中央から挟み込み、各隊の働きによって優勢、隊長格も討ち取っているとのことです」
「よし。敵将ドゥーラは捕虜になったとすぐに伝えろ。降伏する者は無下にしない」
「「「はっ!」」」
すぐに伝令に走る騎士、敵の拘束に動く騎士。それぞれがいる中で、悠々と歩み寄ってくるのは獣人の女性。
「お疲れ。ギルベール」
「まだ終わっていない。油断はできない」
「そうだな。……にしても、ふふっ」
「……」
笑う彼女には渋面を返してしまって、思い出してしまう。あの夜の見張り台での会話。
俺にやってほしいこと。
正直に言って、馬鹿馬鹿しい話だった。疑ったし、信憑性も確証もなにもない話だった。
それでも、身に覚えのあることがあったせいか、心に残った妙な棘。
その違和感が。彼女が持っていない証明を、俺自身がしてしまったような、そんな感覚。
(見て見ぬふりはできないな……)
ため息を吐いた俺に、馬で駆けてくる伝令が「帝国軍制圧しました」と勝利の知らせを持ってきた。
伝令が行き交い、中隊と後方隊にも勝利の知らせを運ぶ。
息のある敵兵は拘束し、捕虜として砦へと連行する。捕虜とはいえ暴力や拷問は認めない。そういうことがないようにも伝令を頼み、彼らを騎士に託す。
俺が預かる前隊の被害状況は思ったほど悪くはなかった。想定よりもずっと少なく抑えられたことには驚きほっとしつつ、失われた命に黙とうをささげる。
(ありがとう。共に戦ってくれて。忘れない。その働きで平穏を過ごせることを)
ガードナーやディザルバ、オスカー殿たちも隊長格を討ち取り、隊をまとめてくれたようだ。優秀な方たちで安心だ。
「皆、まだ気を抜かず、砦へ戻った後は――」
「伝達! 緊急伝達!」
緊迫した声にがばりと振り向いた。瞬時に隊全体にも緊張が走る。
馬で駆けてきた騎士は息を切らし、落ちるように馬から降りるとすぐに膝をついて俺を見た。
「西側より敵襲! 相手はダグダ族を中心にその数およそ二千!」
「「「!」」」
「奴ら、まだそんな手使う気か」
ダグダ族といえば国境沿いの帝国領では大きな民族だ。近年力をつけていると聞いている。
……これも帝国側の策略だろうか?
しかし、ダグダ族は帝国に決して従順というわけではないとも聞く。こちらを攻める一手か、それともロドルス国と帝国、弱ったほうを潰そうということだろうか?
(どのみち、野放しにするわけにはいかない)
知らせはすぐに各隊にも伝えられるだろう。負傷者は砦へ戻し、捕虜の連行にも人数を割いている。ここに残る面々でも対処はできるが、ついさっき一戦を終えた兵ばかりでは安心とはいえない。
「前隊が即座に対応すると後方に伝達。下がった者はバートハート第二師団長の指示を仰ぎ、防衛を強化するよう伝えろ!」
「はっ」
すぐさま伝令が俺の言葉を伝えに走る。
問題ない。バートハート殿ならば的確な指示ができる。下がっている人員もこちらへ戻るだろう。
あとは、ここにいる俺たちの動き次第。
「動きが鈍るほど疲労を感じる者は下がれ!」
「てめえらはまだいけるなぁ!」
「「「おおぉぉっ!」」」
「ファルダ国の騎士は心強い」
「姫様とあんたのおかげで随分楽な戦いさせてもらってるからな。俺たちだけでも充分だが?」
「そうはいかない。これはロドルス国の問題だ」
ファルダ国の騎士と共闘したことなどない。して初めて分かる。これほどに頼もしいとは。
未だに獣人たちの威勢は衰えない。敵に対してその目をぎらつかせる様は身震いするほどだ。
息を吐いて前を見据える。そんな俺の隣に立った人。
再びの緊張状態だというのに、落ち着き払ったその様は開戦前となにも変わらない。
緊迫の状況にも関わらず、一切緊張も感じていない様子の彼女。
その横顔を見てから、もう一度前を見た。
「行くぞ」
「「「おおっ!」」」




