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落ちこぼれ公爵の守り獣  作者: 秋月
第一部

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46/209

46,知っていること、知らずにいたこと

 食事を終え、彼女を部屋に送り届けた後、俺は砦の見張り台に立つ。あと数時間はこの役目をこなし、それから仮眠をとることになっている。

 夜間のうちに隠れて行軍してくる可能性もある。偵察隊には気を緩めぬよう言い含めてある。それに、ファルダ国からも偵察隊が出ているようで「相手が動けばすぐ分かります」と、その優れた五感を誇らしく語ってくれた。頼もしい限りだ。


 見張り台の上は夜風が心地よいくらいだ。残念だが、それをのんびり感じている暇はない。

 そこにはすでに二名の兵がおり、訪れた俺に礼をする。


 見張りの目を光らせながら、ほっと小さく息がこぼれた。


 忙しいものだ。到着後すぐに戦闘を行い、ファルダ国の騎士団を迎えて会議を重ね、鍛錬相手もして。こういう時間はこれからしばらく続く。

 体力と気力の維持に努めるのも大変だが、適度に身体と心を休ませなければ長く持たない。


(それに、彼女がやることなすことも心臓に悪い……)


 揶揄われているのだとしか思えないことばかりだ。

 しかし一方で解ってもいる。ファルダ国の騎士団が来てからも、彼女は俺の傍を離れず、故国の騎士たちのもとへ自分から行くことはない。

 どういう意図をもってそうしているのだろうか。自分のためか、故国のためか。


『君を幸せにする』


 風が頬に触れて、熱を奪ってくれる。おかげで頭が冷えていく。


 夫婦だからと彼女は言った。だが、それで素直に納得などできるわけがない。夫婦だといっても所詮は国の政略だ。望まれたものではないし、相手が俺だ。

 以前、町で彼女は言った。「情はない」と。……俺も彼女も、そういう関係でしかない。

 ファルダ国での死生観は理解したが、だからと言ってあっさり「そうですか、では夫婦としてやっていきましょう」なんて思えるわけもない。


 彼女は、国王の身内だ。だからこそそんなあっさりいくわけがないと思っている。


 俺は陛下の命に逆らう権利を持たない。反論も拒否もできないし、しない。

 だから彼女も巻き込んだ。その結果、俺は彼女に何をしたか――……


「いい風だ」

「……休まなくていいのか」

「少しくらいは」


 気配は感じていたので驚かない。

 隣に立つ彼女には視線を向けずともため息がこぼれた。それが聞こえたのか、彼女は小さく笑う。


 仕方なく、俺は見張りに立つ二人の兵に少し休息をとるように告げ、下がらせる。

 もしも彼女が今後の作戦立案のためにでも来たのなら重要な話になる。出回る可能性は減らさなければいけない。

 時に遠慮なく、思わぬことも言う彼女だ。少々警戒してしまう。


 兵を下がらせれば静かな中に二人だけなのだと、ふと気づく。隣の彼女はなにを言うでもなく星空を見上げている。


「こういう緊迫した状況ではなく、今度はのんびり屋敷の庭で星を見よう。一緒に」

「……考えておく」

「またそれか」

「あなたは、あまりにも当然のように王都へ戻ってからの話をするんだな」

「帰るんだから当然だろう?」


 戦場での経験があると聞いている。しかしそのわりに、なんとも気楽な内容だ。


 戦場となるといつ死ぬか分からない。命が簡単に失われていく場所。

 彼女がただ己を鼓舞するためだけにそんなことを言っているようには見えない。あまりにも自然すぎる。


「帰らないと従者君が泣くぞ」

「……泣かないと思うが」

「そうか? 悔しそうな顔をして涙を堪えるに一票入れる」


 ……なぜだろう。想像できてしまうのは。

 ハインは真面目で責任感も強い。俺になにかあれば多少なりと責任を感じるだろう。俺にはもったいないほどよく仕えてくれている。幼い頃からの付き合いで、これまで色んなことがあったが、それでもずっと俺の傍にいてくれる。頼もしい従者であり補佐官であり、信頼できる友人だ。


 表情に出ていたのか、彼女は軽やかに笑った。


「ハインのこと、よく分かっているんだな」

「いや。ただの想像だ。従者君も執事君も、リアンも、知っていることがあまりにも少ない。だから想像するしかない。……君のことも」

「……」

「わたしは君の妻だけれど、君のことはよく知らない」

「それはっ――……」


 ――……それは、俺のほうだ。

 言いかけた言葉が、なぜか音にならない。


 きゅっと唇を引き結ぶ俺を見ることなく、彼女は暗い地の先を見つめたまま。


「でも、分かることもある。君は繊細な優しさを持つ人だ。繊細過ぎて、なんでも自分のせいのように受け取るきらいがある。守護獣のことも父のことも、だから君は他者の悪意を甘んじて受け止めている。それにずっと耐えられるほど君の心は強くないと、わたしは思っている」

「……」

「君はいい上司だ。対等なことも締めることもしっかり切り替えができる。部下たちが君に気兼ねなく相談したり指示を仰いだりしているのは、君が指導と評価をちゃんとして信用しているから。部下の目を見れば分かる。これは今回同行できたから知ったことだ」

「……」

「わたしが知るのはそれだけだ。それ以上は知らない」

「――それは……俺が、あなたに関わろうとしなかったからだ。あなたがそんなふうに思う必要は――」


 唇にそっと指が当てられた。思わず閉ざすと、金色の輝きがじっと俺を見つめていた。


 月明かりの闇夜の下で銀色の髪は神々しく輝き、触れ難い。射貫くような金色の瞳に宿す強さと自信、その中に感じられる包み込むようなあたたかな何か。

 息を呑んで、呼吸を忘れて、視線を逸らせず見つめるしかない。


 そんな俺に、やはり彼女は笑みを浮かべてそっと指を離した。


「ほら。まったく君は……」

「……それに、それをいうなら……俺のほうだ」


 浮かべていた笑みが怪訝としたものに変わる。

 一度視線を下げ、しかし逸らしたまま告げるのは不誠実である気もして、数秒彷徨わせてから、彼女を見た。

 金色の瞳はまっすぐと真剣に、俺の言葉に耳を傾けようと、俺を見ている。


 俺だけが口を閉ざすのは、彼女を、こうして話をするようになれた彼女を、俺に近寄ってくれた彼女を、突き放すようで。


「――……俺、の……ほうこそ、あなたを遠ざけ、あまつさえ屋敷のことにも気づかず……。あなたのことを、知らないままでいた。この二年間、知ろうともしなかった。知らないことさえ気づかなかった。あなたがファルダ国でどういう過ごし方をしていたのかも、戦場経験も剣を使えることも、聞こうともしなかった。あなたが俺に声をかけなければ俺はきっとずっとあなたに関わらない道を選んでいた。俺はなにも、していないっ……!」


 振り絞るように、吐き出すように、あまりにも情けない声が出た。

 途端に周囲の静寂がひどく強く感じられるようになって、きゅっと唇を噛む。


 そんな俺に、彼女はふわりと微笑んだ。


「やっと、言ってくれたな。君の心の言葉を」

「!」

「君は本当になんでも背負う人だな。幸せが逃げてしまうから、だからわたしが掴ませるしかないだろう?」

「……だから、俺を幸せにするのか……?」

「ギルベール」


 自信に溢れて揺るがない、けれどひどく優しい声が、俺を呼ぶ。金色の強い眼差しを細め、俺を見つめる。

 大きく、白く、ぬくもりにあふれる手が、俺の頬に添えられた。


「わたしと君は、ここにいる。それ以上の今と未来以外に何が要る? 過去は振り返ってもやり直せない。あった現実は消せない」

「そのとおりだ……」

「君はなにが見える? 君とわたしの未来に、何がある? わたしには、君を幸せにするわたしと幸せにあふれている君の姿しか見えていないぞ?」


 不敵な笑みに目を瞠った。頬に触れるぬくもりがじんわりと胸にまで沁み込むようだ。


 変えられない。解っている。そのとおりだ。だけれど……。

 思わず、頬に触れる手に自分のそれを重ねた。


「……俺は、あなたの家族を奪った男だ。あなたの家族から家族を奪った男だ」

「戦だ。家族を奪われた者は大勢いる。……それでも悩み、苦しみ、考える。君のその弱さをわたしは決して咎めない。それでもわたしは君を幸せにする」

「俺は……父を討ち、母から父を奪った……親不孝者だ」

「君がしなければもっとむごい結末になった。君の心も母君の心もそれこそ壊れてしまったかもしれない。君は苦しみを独りで背負う、親孝行者だ」

「っ、俺はっ……あなたの夫らしいことなどなにもできない、なるべきではなかった男だ……!」

「これからたくさんしてくれ。一緒に出掛けるもよし、料理を作り合うもよし、星空を眺めるもよし。そうして君のことをたくさん教えてくれ。わたしのことも可能な限りは教えるから、それ以上は君が探してくれ」


 噛みしめる唇が痛い。父を討ったとき以上に、胸が痛い。張り裂けそうというのはこういうことを言うのだろう。


 誰もが俺を遠巻きにする。当然のことだ。

 俺は「落ちこぼれ」で「反逆者の息子」。王家に、貴族に、警戒され続ける不穏分子。

 だから大人しくしている。陛下の命令は決して拒まない。どんな無茶無謀でも、俺は頷き遂行する。


 それが周りのためで。俺自身のため。

 解っている。だから、時折感じる虚無感も気づかないふりをした。


(いつ以来だ……。こんな感情を抱くのは……)


 ――こんなにも激しい感情なんて、俺は知らない。

 苦しくて。痛くて。泣きそうなほどなのに、俺の手にあるぬくもりを放したくないと願ってしまう。


「っ、俺は……俺には、なにができる……? あなたばかりでなく、俺は、あなたに何を返すことができる……?」


 視界に入れることも稀で、関わることもなかった人。大人しくて、俺になにも言わずに、関わろうともしなかった人。

 なのに今、こんなにもその目が、この手が、触れれば届くところにある。その目に、その言葉に、どれほど俺の意識が向けられているだろう。


「返すもの? わたしは君を幸せにしたいだけなんだが……。そうだな。わたしにちょっと自由をくれると嬉しいな」

「それはやめておけと直感が言うのでやめておく」

「むっ」


 にこりと笑顔で言われると頭の中で警報が鳴る。いつからか俺の頭にはそんな機能が搭載されたらしい。

 流されてはいけないと思ってしかと告げると、彼女の不満げな表情が目に映る。


 そんな顔を見て、心が少し軽くなった気がした。


(いつの間にか、彼女の言葉に心が軽くなるようになったのか……)


 そんなことを思う俺の前で、悩みながら腕を組んでいる白銀の獣人。しかし、すぐにその表情はいいことを思いついたようにぱっと明るくなった。


「そうだ。ギルベール。なら、わたしの頼みを一つ聞いてくれ。やってほしいことがあるんだ」

「そういえば……会議のときにそんなことを言っていたな」


 いい予感など一切しなかった言葉。今もまた同じ調子で口にする。

 その笑みまで合わさると聞くべきではないと直感が訴えるのだが、返すものを求めたのは俺なので、非常に答えに迷う。……もう少し、物のような嫌な予感を抱かせないお願いはないのだろうか?


「……」

「こら。顔を歪めるな。なにも難しいことじゃ――……いや。今の君にとっては難しいかもしれないな」

「……他にないのか?」

「ない。これが最優先だ」


 替えのものを出してくれそうにはない。これは俺が覚悟を決めるしかないようだ。

 俺が困難なこと……色々と頭に浮かべつつ、心構えをしながら視線を向けた。


「一応、聞こう」


 覚悟を決めて息を吐く。そんな俺を見て、彼女は不敵に、自信あふれる眼差しで俺を見つめる。そして――その頼みを口にした。


「ギルベール。わたしの頼みは――……」






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