4,情報と現実
シルティの日記からある程度は理解できているけれど、まだまだ不足していることも多いだろう。より詳細を知りたい。
書庫に入ってすぐに書棚に近づいた。
この書庫はまだそれほど蔵書が多い訳ではないようだ。書棚には空きも多い。本を集めるつもりがないのか、費用面の問題かは知らないけれど、今ある物で我慢しよう。
並ぶ書物の前に立って、一冊手に取る。ページを開いて少し驚いた。
(日記とは文字が違うな……)
わたしが知る文字とも日記の文字とも違う。けれど、読める。
(つまり、シルティもこの文字が読めているってことだろう)
この身体はシルティのものだ。わたしにないのは『シルティが経験した記憶と感情と価値観』
――そして、もう、人格はシルティではなくなった。
(知識や記憶は書物や日記である程度は補える。身体が憶えている行動もある。今のわたしにあるのはこれくらいか)
記憶は日記に頼らなければいけないところが大きすぎる。あの日記はとても詳細であったけれど、一言一句の会話や人物の特徴までを書いてあったわけじゃない。
――ボロが出たら高熱の所為にしようかな。
それでいいやと決めてから、手当たり次第に書物を手に取って読書用に置かれている机に置き、椅子に座る。
そしてすぐ、ぱらぱらと本を捲り始める。
日記に書いてあった情報で分かったことはいくつかある。
シルティは元々、獣人という種族の者たちがいる『ファルダ国』の姫であった。そしてギルベールと婚姻を結ぶためにここ『ロドルス国』へ来た。
ファルダ国は東にロドルス国は西にある国。国としてはロドルス国のほうが大きいけれど、ロドルス国の西にあるルタンダル国とは同程度で、北に広がる帝国が大陸では最も広大な国として君臨している。
ファルダ国とロドルス国は三年前に戦をしている。その戦は若きギルベールが敵将を討ちとりロドルス国に勝利をもたらしている。ファルダ国は大将がギルベールと戦い、敗北した。
けれどロドルス国はファルダ国を取り込むことも従属国とすることもなく、シルティという姫をギルベールに娶らせて、それ以外の干渉はさしてしていないようだ。
(人質にしているつもりなのか……)
それならば確かに今後のファルダ国との戦は減るかもしれない。けれど、戦は減っても禍根は残る。
(まずはこの国のことを知りたい)
別の本を捲る。「ロドルス国歴について」
成り立ちから国歴まで。歴史上の出来事。歴代の王家についてと、そのときの周辺国との関係性も調べておく必要があるかな。
優先したいのは現王家のことだ。生憎とロドルス国王についてはシルティの日記に書いてあったことしか分からない。もっと詳細が、王としてのことが知りたい。
(三年前のことが現王の判断なら、ファルダ国との関係をどうしていくつもりなのか……)
考えや性格を知りたいところだけれど、シルティの日記にあった陛下については夜会で挨拶を交わした程度のもので、知りたいことがなかった。
(あとは周辺国についても知らないと。それから獣人について。――うーん。獣人については本が少ないな)
机に置いた本を読み終えては戻し、書棚を見て周りながら別の本を探す。ばらばらと書物を捲って知識を頭に入れる。
そうしているといつの間にか日が高く昇ったのか、私の耳が音を拾った。かつかつと足音が近づいてくる。
この読書スペースは、人の出入りで本を読む集中と静けさが邪魔されないように出入り扉から離れている。近づいてくる足音に耳を澄ませ、視線をページから動かす。
「ここにいたんですか」
姿を見せたのはギルベールの従者君だった。どこか呆れたように眉根を寄せていて、その目はわたしを睨んでいる。
「なにをしているんです?」
「調べ物。改めて頭に入れておきたいことがあって」
「文字は……ああ。王族教養の一環ですか。それより部屋にお戻りを。昼食を運ばせますので」
「そういえば朝から食べてなかったな。ではいただこう。――ああ。本はこのままにしておいていいかな?」
「どうぞ。ご勝手に」
すんっと視線を逸らして早々に立ち去る従者君を見て、わたしも席を立つ。
さて。腹ごしらえだ。
昼食は順に出てくる料理と数本ずつ並べられたカトラリーを使う。……さて困った。こういうものに縁はない。
そうなればあるものを使うべし。朝の書庫室への歩きと同じ、身体に任せることにする。その上でこうするのかと時折思考を自分に戻して、自分の身体として使えるようになればいい。
そんなわたしの昼食は自室に用意される。メイドが控え、料理を出してくれる。
他人の視線というものは生憎とわたしはさして気にしない。突き刺すような無礼者なら遠慮なく目を抉ってもいいけれど、そういうことはこの暮らしではしないほうがいいだろう。
(ふむ。わたしも温厚になろう)
昔は好きにのんびり生きてきた。独りだったしそれでよかったけれど、どうにもこれからはそうはできなさそうだ。
(違う生き方もいい。それはそれで刺激的だ)
同じ事を繰り返してはつまらない。偶には違う生き方をしてみようじゃないか。
ぱっぱと食事を終えて、またすぐに書庫室へ戻る。そしてまた書物を読む時間の始まりだ。
この国には本以外にも情報紙が存在するようで、書庫内にも過去のものらしいそれを見つけた。
白黒の文字が並び手書きの絵も描かれている。内容はほとんどが民の間で起こった事件やら事故、派手に表沙汰になった醜聞。中には国について書かれているものもあるようだけど、こういうものはあまり踏み入ったことを書くと国や貴族から敵視される可能性もあるんだろう。さして内容に深さはない。
……というか、どれも信憑性に欠ける娯楽の要素が強い。
(これらは後回しにしよう――……おや)
書庫に保管されていた情報紙を全部引っ張り出してぱらぱらと目を通していたなか、ある記事が目に付いた。
『ファルダ国と開戦。王弟、息子に討たれる』
なんとも物騒な記事だ。そして身に覚えがある。少々気になって読んでみる。
(『ファルダ国との国境にある辺境領を賜っていた王弟ジルベール様が、ファルダ国と通じたとのこと。王都から騎士団が差し向けられるところを同地にいた息子ギルベール様が父を討ち、王家への忠を守った。続けてファルダ国と開戦となったが、ここでもまたギルベール様が敵将を討ち、ロドルス国を勝利へと導いた』……。なるほど。さすがにこれだけの規模のことなら情報紙にも載るのか。これは日記に相違なし。だが、シルティが嫁いでくるというような記事はないな)
その戦のおかげでシルティはこうして他国へ嫁ぐことになったわけであり、日記の最初にはそういった経緯もきちんと書かれてあった。
戦はなければそれがいい。けれどそうもならないのが現実だ。国の豊かを求める。人材を求める。利益を求める。思想への賛同者を求める。
昔のわたしも戦には何度か参戦したことがある。国に所属していたわけではないけれど、加わる以上は勝利のために力は貸してきた。そういうもので、それだけだ。
この記事の内容は三年前のもの。つまり三年前まで戦が起こる状態であったということで、おそらくそれは今も変わらない。
さてさて。シルティが来たことで戦が減るといいけれど。
(うーん。さすがに貴族に関することや国政の内情については載らないか……)
仮に王家が情報紙の製作側に情報を渡して書かせるとしても、かなり制限するだろう。可能な限りはそういったものも集めたいな。
今現在分かっていることを頭の中に並べてみるけれど、生憎と難しいことばかりだ。困ってしまう。
(それに、ファルダ国については書物にも情報紙にも少ない)
故郷のことをさして憶えていないと気づかれたり、間違いを言ってしまうと非常に困る。とはいえ、今のわたしに獣人と接触するチャンスはない。
ロドルス国はファルダ国との間に交易はなく、王都に獣人はいないらしい。シルティの日記によると貴族たちはなかなかな獣人嫌いだそうだ。
とりあえず今分かることを頭に入れていく。
そうしていると時間も忘れてしまって、また誰かの足音で思考の海から引き戻された。
視線を向ける。音は複数……二人か。
ひとつはおそらく従者君。となるともう一人は……。
考えていると、やはりその人物の姿が見えた。
帰宅して着替えたのか、シャツとトラウザーズというラフな格好だ。ちらりと見れば書庫室に差し込む日の光は随分と傾いてすでに暗くなろうとしている。
「おかえり」
「……ああ。なにをしている」
「調べ物」
それ以上を答えずとも気にした様子はなく、わたしから少し離れて机に置いた本や情報紙に視線を落とす。
けれどすぐ、その額に眉が寄った。
「――……こんなもの、改めて読む必要があると?」
そう言うギルベールの視線の先にあるのは、三年前の戦のことを書いてある情報紙。
それをちらりと確認し、ギルベールの表情をさりげなく確認する。
怒りのような。不快のような。苦しそうな。痛みを孕むような。そんな表情だ。
(彼にとってはいい思い出にはならないだろう)
当然のものだ。
けれどわたしは、薄情だけれど、ギルベールに気を遣うほど関係は深くない。
「情報は大事だ。過去も今も、知らなければ今後にはなにも活かせないし、生きられない。それは困る。特に国家間の戦歴や現在の関係は、これからの国と戦にも関わる情報になる」
「……」
「戦場に出れば誰もが同じただの兵士。生死を決めるのは頭と腕だけ。自分は死なないなんて思って参戦するならただの馬鹿だ」
「……」
「君もそうだろう? 覚悟をしたから剣を握った。同じように、覚悟を持つから、その一時に強烈に惹かれるから、だから先代ファルダ国国王――わたしの父は君と戦った。そして負けた。清々しい気持ちだっただろうさ」
本をまとめながら続けるけれど、返ってくる言葉はない。そんなことは気にしない。
とんっと本をまとめて持って整え、片付けのためにそれを手に持つ。ちらりと視線を向ければ、ギルベールの、気まずさのようで、けれど苛立ちのようにも見える、揺れる瞳がそこにあった。




