38,行軍を早めよう
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翌朝の早朝。まだ日も昇らない刻限に起床し、身支度を整えて食事を済ませる。そして、身一つで馬に乗った。
すでに馬丁が馬の準備運動を済ませておいてくれたようで体も温まっている。
「奥様。お気をつけて」
「旦那様とご一緒に、ご無事のご帰還を」
「くれぐれも無茶なことはなさらないでください」
見送りに出てきてくれたセバスを始めとする使用人たち。朝の早い時間にも関わらず、誰も眠そうな顔をしていない。
その表情は不安げなものだ。屋敷の夫妻が戦場に出るとなると無理もない。
セバスもハインも心得たように表情を引き締めているけれど、リアンや他の者は不安そうな様子を隠せていない。
そんな姿にどうしても頬が緩む。
「リアン。心配ない。遅くなることなくギルベールと帰ってくる」
「はい。お待ちしております!」
「皆も心配無用だ。手早く片をつけて皆を安心させに帰ってこよう」
「「「お帰りをお待ちしております!」」」
弱った表情を消して精一杯に眉を上げる。そんな姿を見て、わたしは馬首を返し、屋敷の門へ向かって走りだす。
見えてきた門。そこには公爵家の騎士たちが並び、背筋を正して待っていた。
手を後ろに、堂々たる姿。さすがは公爵家を守る、ギルベールが選んだ騎士たちだ。
「「「お気をつけて!」」」
「ありがとう! 不在の間の屋敷を頼む」
「「「はっ!」」」
余計な言葉はいらない。彼らに手を挙げ、颯爽と門を抜けた。
屋敷の門を抜けて王城へ走る。貴族街はとくに、朝早ければ人の姿もない。非常に走りやすい道を駆け抜ける。
馬蹄音だけを耳に入れながら走っていると、その城門がすぐに見えた。
朝は閉まっているその城門が開く。その向こうに馬に乗る一団が見え、わたしは門から離れて馬の足を止めた。
出てきた一団。揃いの隊服に身を包んだ騎士たち。
そして、その先頭に立つギルベール。後方の騎士たちは昨日話に聞いた第九師団の中の選抜隊だろう。
同時に到着したわたしにギルベールは少し驚いた顔をしつつも近づいてきた。
「早かったな」
「屋敷に立ち寄ると時間の無駄だ。そんなことより」
「……なにかあったのか?」
声音が瞬時に硬いものに変わる。戦地へ向かう前に面倒事を避けたいのはわたしも同じだ。
だが、これはたいへん重要なこと。
「わたしも隊服がいいな」
「……は?」
「動きやすいように男装にしたけれど、これじゃわたしだけ君たちとは違うとあからさまだし隊服は動きやすそうだ」
「……出立するぞ」
額に手をあて脱力している師団長の後ろで騎士たちも唖然としているのが見えるけれど、緊張で強張るよりはいいだろう。
わたしは視線をギルベールから後ろの騎士たちへ向ける。
「此度同行させていただくことになったシルティだ。よろしくたのむ」
「「「はっ……!」」」
「じゃあ行こうか。ギルベール」
ギルベールの出立の声で、わたしたちは駆け出した。
辺境領まで十日以上はかかる。今回は休息を最低限に、同じ速度を保てるよう馬はその都度乗り換え、夜間も可能な限りは進むという行程が組まれている。
それでも、全体日数の半分削れるかどうか。一刻も早い到着を目指したいが、万全の状態でなければ到着してから動けない。それでは意味がない。
それにギルベールは、わたしが同行するからと日程に余裕を持たせて休息も少し多くとっている。昨夜聞かされたおよその行程予定を聞いてそう感じた。
行軍においては馬の力が重要だ。これなしでは進めない。
ギルベールがわたしの心配をするなら、わたしはそれを不要と示し、馬を助けてやる必要がある。
――と、いうわけで。
日の昇る前に王都を出て、日が昇り始めて土の地面を疾走するおよそ百名の部隊。その中腹を走るわたしは、馬を助けるため、負担にならない強さで追い風を吹かせ続けることにした。同時に、周囲の馬たちを見て疲労がみえてきたと感じたらすぐに心身を安定させる癒しの魔法を使う。
この魔法は体力を回復させるわけではない。疲れ果てた心に少しの活力を与え、かつ心身を落ち着かせる。体力が削られてももうちょっと頑張れる、というようなものだ。馬の休息は必ず必要になるから、あくまでその頻度を減らす作用になれる小さな助け。
馬の足は衰えず、先へ先へと進む。頼もしく力強い馬蹄音が響く。……ちょっと耳を塞ぎたいな。
隣を走るギルベールの目は時折馬を見る。まだ走れるか、休ませるか、乗り換えるか、その判断をしているんだろう。それを横目に見ながら走り続ける。
日が高く昇り、当初の予定よりも少し先まで進んだとき、ギルベールが休息の合図を出した。それに伴って皆が足を止め、馬を下りる。
近くの川辺まで馬を連れていって水を与え、それぞれも携帯食を口にする。
「食べるか? あなたの口に合うかどうか分からないが」
「干し肉は充分美味しいと思うけど」
ギルベールから干し肉をもらって口にする。
当然硬い。それを食いちぎるようにして裂いて食べるものだから、わたしも同じようにする。
うん、悪くない。最近は豪奢な食事ばかりだったから、こういうものもたまにいい。それに獣人の歯は牙のようでもあるから、硬いものでも楽に噛めるということを実感した。
食べているとどうにも視線を感じて向けると、なぜか騎士たちがわたしを唖然としたように見て、ギルベールも目を瞬かせている。
「どうかした?」
「……いや」
「数日この食事だとおおかた飽きる者が出てくるんだろう。食は大事だからな。先行き不安なら、余裕があるときに簡単に鳥でも動物でも狩ろうか?」
「できるのか?」
「問題なく」
またギルベールは目を瞬かせる。そんな純粋なきょとんとした顔は非常に可愛い。言うと怒られてしまいそうだけれど。
そう思っても喉の奥に笑いがせり上がってしまっていると、「失礼します」と一人の騎士がやってきた。
四十代というところだろう。日頃から鍛えているんだろう逞しい体つきだ。そんな人を見てギルベールは手で示す。
「俺の副官で第九師団副団長、ガードナーだ。いつも助けられている」
「シルティだ。よろしくたのむ。いつもギルベールを支えてくれてありがとう」
「いえ、とんでもない。私のほうこそ団長に助けられ、教えられるばかりです。ガードナーと申します。こちらこそよろしくお願いします。奥様」
「ははっ。師団内において違和感しかない呼び方だな。名で構わない。でないと、いざというときに反応が遅れる」
軽く握手を交わしながらそう言うと、ガードナーがこれまた驚いたように瞬いた。「なるほど……」と呟きながらギルベールを見ると、ギルベールはその視線に頷いて返す。
「……分かりました。では、シルティ様と」
「皆にもそう伝えてくれると助かる」
「はい」
「ガードナー。それで、なにかあったか?」
挨拶を待ってくれていたギルベールは、表情を引き締めてガードナーを見る。応じるガードナーも表情を引き締め、背筋を正した。
「馬たちの体調に問題はありませんでした。予定よりも早い行軍ですが、問題ないかと」
「そうか……。進めるならいいんだが、最初に飛ばしすぎては後で困ることになりかねないな…」
「それなら問題ないだろう。今日は想定よりも進めるだろうし、そのまま行けば五日もかからない」
口を挟むと視線が向けられる。一つはどこか疑念を持つような、もう一つは静かでなにか思案している見慣れた目。
顎に添えた指をそのままに、ギルベールが徐に口を開く。
「……獣人も、守護獣が持つような力を使えるとは知っている。まさか、それ以外にもなにかあって、馬に……なにかしたのか?」
「体力の回復はできないが、気力を与えて少しだけ頑張る力を与える。それだけだ」
「……それも充分だと思うが」
「光属性の力の一種だ。光属性の力には人を癒す作用がある、聞いたことはない?」
ガードナーが驚いた顔をしている。ちらりとその視線がギルベールに向けられ、ギルベールがなにかを示すように頭を少し動かすと、ガードナーはすぐに離れた。
ギルベールはその視線をすぐにわたしに戻す。
「あなたは光属性の力が使えるのか?」
「使える。あまり使ったことはないけれど」
少しなにかを考えるような顔をするギルベールを見ていると、近づいてくる足音が聞こえた。ギルベールも同じですぐにそちらに視線を向けると、そこには一人の騎士がいた。
そんな彼を見て、ギルベールはすぐに問う。
「光属性の力は癒しを与えることができると聞くが、馬にも作用するのか?」
「自分はそんなことを試したことはありませんが……人と同じように効果があるとすれば、不可能でもないかと」
「そうか……。試すことはできるか?」
「で、できますが……この数全頭は無理です。こっちが倒れますし、守護獣の力もかなり強くないと無理かと……」
「そうか……。ありがとう」
礼をした騎士君が去っていく。それを見ながらギルベールをちらりと見た。
(守護獣やその属性の力について詳細を知っているわけではないのか……)
ギルベール自身は唯一守護獣を持たない『落ちこぼれ』だ。持っていないから知らないのも無理はない。……知らされもしなかったのかもしれない。
(これはこれで少々……。うーん。頑張ってもらうしかないか)
ひとまず頭の片隅に置いておく。
改めてギルベールを見ると、その黒い瞳はわたしに向いていた。
「できないそうだが?」
「わたしにはできる。今後も効果は出るから心配いらない」
「心配はしていないが……。まあいい。先へ進むぞ」
休憩は終わりだ。再び馬上へ戻り、馬を走らせた。




