30,今は真正面に
ダンスから離れた俺たちの周りに人はいない。ちらちらと視線は感じるが、今のところそれが問題になるような様子はない。
とにかく、これ以上彼女が暴れないうちに帰りたい。
そう思っていると、こちらへ向かってくる人物がいた。
「ロザロス公爵。夫人。ご挨拶が遅れて申し訳ない」
「バートハート殿。楽しんでおられますか?」
「もちろん」
そう言って笑みを浮かべる一人の男性。
鍛え上げた体格と貫禄を身につけつつも、平時はそれを圧に感じさせない穏やかさと落ち着きがある。隊服を着ていなければ穏やかな紳士と見えるお人だ。
「お二人のダンスを見てさらに気分もよくなった。陛下がああおっしゃったのも頷ける」
「ありがとうございます」
「ダンスは違うと知っていたので?」
「私も先程知りました」
さすがに驚いたのだろうバートハート殿の目が丸くなる。それを見て肩を竦め、俺は隣を見た。
「ダンスに誘われたのですが、まさか途中で曲調が変わりそれがファルダ国では一般的だったとは、思わぬ幸運と言いましょうか……」
「幸運……。見越して準備を?」
「まさか」
驚いたというように肩を上げてみせると、バートハート殿は小さく笑った。
そしてその目は俺の隣で微笑む彼女に移る。
「夫人。先程のダンスは実に見事だった。見慣れなくとも、洗練された素晴らしいものであることは一目で分かったよ」
「お褒めにあずかり光栄です。合わせてくださったギルベール様も素晴らしかったでしょう?」
「ああ、とても。あれかな? 騎士なら造作もないかな?」
「では、第二師団長であるバートハート殿にも造作もないでしょうかね?」
「はははっ。珍しく言ってくれるな」
気さくに笑うその様子に俺も肩の力が抜ける。
騎士団第二師団長ジェラル・バートハート殿。俺が騎士団に入団してからずっと、なにくれと気にかけてくれている懐の広いお人だ。
預かる師団以外の者では数少ない、肩の荷が下ろせる相手だ。
「バートハート様。ギルベール様は騎士団ではどのようなご様子でお勤めになられておられるのですか?」
「ご興味が?」
「はい」
にこりと浮かべられた笑みをバートハート殿は数秒見つめ、微かに口端を上げた。
……なにを思われたのかある程度想像はできる。
「バートハート殿は王城にある騎士団ではなく、王都内にある支部が仕事場だ。会うのは会議のときか合同訓練のときくらいだ」
「ロザロス公爵は実に真面目な方だな。訓練の様子も時折拝見するが、部下に厳しく己にも厳しい。その指導が師団を大きく成長させていると私は思っている」
「そんなことはありません。全て部下たちの力です。私では教えられないこともあります」
「個々の力の向上が全体の向上だろう。そして部下たちもまた互いに切磋琢磨し合う。その基盤をしかと作れているということだ」
「そうでしょうか……? 至らぬ上官で申し訳ないばかりなのですが……」
「そう卑下するな。まったく。君という人は……」
眉を下げるバートハート殿に俺も困る。
俺ができるのは上官として指導することと師団全体を見ることだけだ。個人の相談にはもちろん応じるが、それでも、応じきれないところがある。
(いくら指導が優れているとしても、戦闘の多大な要素は守護獣の力。俺はそれに関してはなにも教えられない)
それに頼りきるなと、ただそれ以外を教えるしかできないのだ。
「どんな戦いでも重要なのは個人の力ですから。数があっても質が悪ければ勝てるものも勝てません。ギルベール様のご指導は、手段を増やし部下の生存率を上げる、よきものであると思います」
「! ……それは――…」
「個々の力というものを、あなたはよくご存知でしょう?」
そう言ってにこりと微笑む表情にすぐ理解した。
いくら守護獣の力が優れていても、それでもファルダ国との戦において被害はこちらのほうが大きかったのだ。
それが、個々の力というものだ。
「だいたい、守護獣の力でファルダ国先王に傷を負わせられましたか?」
「……いや」
「そういうことです。少しは胸を張ってくださいな」
その微笑みが俺を見る。そのまっすぐすぎるそれをどうにも見つめられず、思わず視線を逸らした。
どうにも気まずい。あまり彼女を見ることができない。
「……。二人は雰囲気が変わったな。お互いに相手を見ているように思う」
「ふふっ。バートハート様もおっしゃられたように、ギルベール様は真面目な御方ですから。責任感の強さもあって、少々互いに誤解があったようで……。すっかり解消されてなによりです」
「そうか。それはよかった」
バートハート殿の少し唖然とした声が、すぐに笑みと明るさを含んだものに変わる。
……俺としては、隣でさもそうであるかのようににこにこしている彼女の図太さに言葉を失うばかりなのだが。
(誤解……。まあ、そうなんだろうが……)
俺が思っていたことと、彼女が思っていたこと。それは全く異なるものだった。
後悔などないが、そうしたほうがいいと思ってしていた行動は彼女にとっては価値観が違うだけのもの。場所も周りの人間の態度も、彼女にとっては孤独にさせていただけのもの。
「私もきちんとお伝えするべきだったのですが、至らぬ身で……ギルベール様にはご迷惑をおかけしました。ですが今、こうして目を見てお話することができること、たいへん嬉しく思います」
「!」
「ですから、私の知らないギルベール様を、もっとちゃんと知りたいのです」
にこりとした笑みが俺を見る。驚いてそれを見てしまうと、今度は逸らせなくなってしまう。
彼女の笑みはただ純粋で、揶揄うものや企みがあるものでもない。
(独りにさせて、なにもしてやらなかった俺に……どうしてそこまで……)
俺は、反逆者の息子だ。守護獣を持たない落ちこぼれだ。
あなたの父を――家族を殺した男だ。
なのに。なのに、なぜ――……。
「夫婦ですから」
「!」
そう言って微笑む彼女に、今度こそ言葉を失った。
バートハート殿もどこか驚いたような顔をしていたが、すぐにその口許が和らぐ。
「そうか……。そうだな。二人を見ていると非常に未来が明るく見える」
「まあ。それは嬉しいです」
考えたことなど、なかった。――彼女がすぐ隣で笑っている未来など。
子をなすつもりなどないし、女性がほしいと思ったこともない。俺がやるべきことをやり、陛下に忠を捧げることだけが、俺ができる、俺に許されたことなのだ。
(俺は俺の幸せを掴まない、か……)
幸せというものを改めてどういうものか、自分にとってどういうものか、そんなことを考えたこともなかった。
ただ、家庭や夫婦というその形は俺にはないものなのだと、思っていたのかもしれない。
それは別に困らないもので、必要でもなかった。だからこれまでそう過ごしていた。
なのに、ここしばらくの彼女が、それを壊していく。
互いに背を向けていたはずなのに――……。




