29,流れをつくる
しん…とした空間に取り残されたようでも、自然と俺たちの笑みは崩れなかった。
驚きに目を瞠る貴族たち。悔し気な顔をしている楽隊の数名。俺たちの他にも踊っていた者がいたはずだが、いつの間にか俺たちだけになっていたようだ。
静まりで音など誰も立てられない中、ぱちぱちと大きな拍手が聞こえて全員の視線がそちらに向いた。
いつの間にそこにいたのか、一番前で、満面の笑みで拍手する陛下がいらした。その隣にいる妃殿下もまた同じように笑みを浮かべていらっしゃる。
「ギルベール。夫人。素晴らしいダンスだ。眩しく目を惹きつける、生き生きと躍動感に溢れた、実にいいダンスだった」
「光栄にございます」
俺たちのもとへ悠々と歩み出てきた陛下に、俺も彼女も感謝を示す礼をする。
……あまり他貴族の前でそう手放しに褒めないでほしいが、これは彼女の努力の賜物でもあるので今は素直に受け取る。
「慣れないものではなかったか?」
「楽隊の皆さまはきっとわたしのために演奏くださったのでしょう」
「と、いうと?」
笑みを浮かべる彼女は、すっと半身を楽隊へ向ける。陛下や俺の視線もそちらへ向くと楽隊の者たちはさっと立ち上がり、指揮者は引き攣った表情に冷や汗を浮かべているように見えた。
それを見ても彼女の笑みは崩れない。
「ああいった曲調はファルダ国ではよく用いられるものです。陛下がおっしゃってくださったように、生命力と躍動感はファルダ国の文化。……わたしがロドルス国の曲に不慣れだったため、ご配慮くださったのでしょう」
「ほお……。――楽隊指揮者、こちらへ」
「はっ」
頬が引き攣るのをなんとか抑える。隣の彼女に視線を向けても、そのにんまりとした笑みが崩れることはない。
(胃が痛い……。陛下までそれに乗らずとも……)
先程までの楽しさが消え去った。彼女は本当に俺に胃痛と頭痛を与えることに長けていると思う。やめてくれ。
それに陛下とて楽隊の思惑には気づいているはずだ。だというのに、彼女に劣らず笑顔を浮かべている。
陛下のお呼びに楽隊指揮者はいそいそとやってくると僅か距離を開けた場所で立ち止まり、深々と頭を下げた。
その顔色は少々青い。身体も強張っているように見える。
彼女はロドルス国のダンスに不慣れで、一度失敗している。それからはダンスを踊ることなくいたが、今回は出てきた。
そこでなにを考えたのかは想像に易い。しかし思惑とは裏腹に、彼女はあっさりとそれを退けた。まさかそれがファルダ国では慣れたものだとは思わなかったのだろう。
「ファルダ国の社交においてよく用いられる曲調。夫人を想ってのことか?」
「は、はいっそうなのです! 夫人はとても不慣れですので、曲を変えて差し上げるがよろしいかと」
「そうか。よき心遣いだ」
「恐れいります」
「夫人ももう我が国の曲調にも慣れた様子。ふむ……。今後はどちらも取り入れていこうか。どう思う? 我が妃よ」
「はい。私も素晴らしいダンスと感激いたしました。よろしいことかと存じます」
「「「!?」」」
おそらく陛下は打算なく純粋にあのダンスを気に入ったのだろう。
顎に手を添え考えだす陛下と満面の笑みで即答する妃殿下に俺も周りの貴族たちもぎょっとした。おそらく、そうなった意味は俺とは違うのだろうが、平然としているのは彼女だけだ。
そしてそんな彼女は嬉しそうに笑みを浮かべ、両の掌を合わせた。
「まあ! それは素晴らしい。そうとなれば両国で社交を開くとなってもすぐに交流ができますね」
「うむ。それに、今宵の夫人のドレスはファルダ国の技術の結晶だろう? これまで知らずにいたのが惜しい」
これには貴族婦人や令嬢たちが視線を動かした。彼女自身を嗤っても、そのドレスには少々興味があった者も少なくないようだ。
その食いつきに気づいているのか、彼女はさらに微笑んだ。
「そう言っていただけること恐悦に存じます。そうだわ! よろしければ、知り合いの商人を通じてお贈りさせてくださいな」
「まあ! いいの?」
「ファルダ国との交易は辺境領で細々と行われていたな。ここまで来ぬのが残念だ」
「無理もない話にございます。王都では獣人というものが馴染むのも時間がかかりそうですし……」
その目が動く。少々物騒な、意味の深いものに刺されても、逸らさず睨み返す者もいれば、すっと避ける者もいる。
長く見ていることもなく、彼女はすぐに陛下方へ視線を戻して微笑んだ。
「ですが、ダンスの曲からでも両国の明るい今後に繋がるならば、わたしもとても嬉しいです」
「うむ。私も新しい風は入れていくべきだと思っている。――楽隊指揮者。今後も頼むぞ」
「は、はっ……!」
楽隊は今後忙しくなるだろう。ファルダ国の社交界での楽について調べ、身につけなければならない。
長い目で見ればそれはいいことだが、仕掛けたきっかけからみてそう考えるまではできないかもしれない。……これ以上の喧嘩は無意味だが。陛下がその曲を気に入ってしまえば分が悪い。
これ以上ここにいてはなにをするか分からない。
そう考え、俺はすぐに彼女の手を取った。
「そろそろ他の方々に譲ろう」
「そうですね。では陛下、妃殿下、失礼いたします」
俺と彼女は陛下に礼をし、いそいそとその場を離れる。
空気を打ち払うように楽隊が曲を奏で始め、ダンスや談笑の時間が戻る。
急いで会場の端へ向かった俺はそれを見遣り、息を吐いた。
「大人しくと、言ったはずだが?」
「していただろう。あっちが悪い」
「買うな」
「それは無理だ。売られれば買って叩きのめす」
「……いつだったか、温厚になると言っていなかったか?」
「むっ」
まさか自分で忘れていたわけではないだろうな?
そう思ってじたりと見つめるが、彼女の視線が返ってくることがない。……それを見てため息が出た。
「……楽隊の行動、読んでいたのか?」
「わたしの失敗からして、出ていけばなにかしてくるだろうなとは」
質が悪い。一度の失敗から努力を重ねたのは素晴らしいのに、そこから次に見据えたものがこれだとは……。
(いや。相手がなにを突いてくるかを見定めるのは、王族として育てば無理もないか……)
ファルダ国の内情は知らないが、こういうことはあることだったのかもしれない。それならばこの推測力も頷ける。
(言いたいことが山ほどあるが……。彼女が笑われることがなくてよかった)
貴族たちも驚いただろう。初回以降ダンスを踊らずにいた者が、二度目であれほど踊れるようになっているなんて。
口さがない者はいろいろ言うだろう。だが、そんなものはどうでもいい。
「先程のダンス、素晴らしかった。生命力あふれるほどに輝いていた。パートナーを務めることができて光栄だ」
心からの賛辞を贈りたい。そう思って言うと、目の前の彼女は驚いた顔をしてふいと視線を逸らした。
「ありがとう」
「思ったことだ」
「……彼女に言ってほしかったな」
「? なにか言ったか?」
「いや…。体の動きに任せただけだ。君のリードも素晴らしかったよ」
初めてダンスを踊ったときのことはあまり憶えていない。二度目なのに、今はそれが驚くほどの変貌をとげて深く記憶に焼き付く。
妙な心地を覚える俺の傍で、彼女は会場を見回した。
「約束がもう一つだ。仕事仲間はどこに?」
「ああ。そうだな……。向こうの集まりの、ワイングラスを持つ茶髪の五十代の男性が第六師団長ワルツハルト殿。小太りで髭を触りながら笑っているのが第三師団長のボルダッツ殿。それから――……」
ダンスと同様に約束していたので、俺は、同じ師団長級の人物、その補佐官を改めて離れた場所から告げていった。あいにくとここにはいない者もいるが、彼女は黙ってそれを聞き終えると満足そうな顔をした。
「分かった。ありがとう。貴族は多くて覚えていない者もいるから、さりげなく教えてくれるとありがたい」
「ああ」




