28,二度目のダンス
「ギルベール・ロザロス公爵閣下、シルティ・ロザロス公爵夫人。ご入場!」
天井から吊り下げられる豪奢なシャンデリア。その眩いほどの輝きが照らすのは広々とした豪華絢爛な夜会会場。
深紅の絨毯、金色の刺繍が施された垂れ布。会場の端々で大きく品良く飾られる花々。磨かれたカトラリーと贅沢な料理。ワインや酒も用意されている。
国で最も煌びやかといっても過言ではないこの空間。その中にいる者たちの視線が俺たちに突き刺さった。
それまでは談笑の声が聞こえていたのに、入場の声が聞こえると途端に会場の空気が変わる。代わりに出てくるのは、口許を隠して交わすこそこそとした様子、嫌悪するような視線、睨んでくる刃。
(いつものことだ)
とくに気にもならない。
こちらから挨拶に行く者もいれば、来る者もいる。そういう相手とそつなくやり取りし、それで俺の社交は終わる。今日もそういうものになる。
俺が求められているのは、ただひたすらに大人しくしていることだけ。それ以外にはない。
「……煩いな」
「!?」
ぼそりと聞こえた声にぎょっとした。
冷ややかと言うにぴったりな声音は普段聞かないもので、思わず視線だけを向ける。
「大人しくしていてくれ」
「安心しろ。わたしの目的は君とダンスを踊ることと、君を幸せにすることだけだ」
安心できない。なぜだろう……。できない。
すでに相当な頭痛と胃痛を覚えていると、すぐに王家の入場合図が鳴る。
階段を悠々と下りてくる、ロドルス国の王族たち。キーフディクト陛下、フィリーシア妃殿下、王子王女殿下方。
陛下とちらりと視線があった気がした。
彼女とダンスを踊ることについて話してはいない。彼女との初めてのダンスを知る陛下だ。踊った後になにか言われるかもしれない。
(こういう場で俺にあまり話しかけるのもお止めくださればいいのに……)
そうしてくださらないから困るのだ。陛下はこういった場でも俺をただの甥として接する。
階段を下りた陛下は集まる貴族を見回し、高らかに宣言する。
「今宵の夜会に集まってくれて感謝する。さあ。よき国、よき未来のため、存分に語らってくれ」
夜会の始まりは陛下の挨拶。そして王族のダンスだ。
楽隊が音楽を奏でれば、優雅でゆったりとした曲調が流れ出す。それに合わせて陛下と妃殿下を中心に王家の面々がダンスを踊る。
手に手を添え、腰や肩に手を添え。軽やかにステップを踏み、男性が女性をリードし、軽やかに優雅に舞う。王家の面々のそれは洗練された美しさがあり、感嘆の息がこぼれる。
俺もそれを見つめながら、後で踊るダンスのことを考えた。
(ああ、あの動きはやめたほうがいいか……。今のような動きは問題ないはずだ)
少し制限ができてしまった。しかし、それをしかと踏まえていればおそらく問題はない。
少々彼女が不慣れな様を見せても、今度はしっかりフォローする。笑われるならば俺も一緒でいい。
(初めてのあのときのようには……)
そう、思うのに。
思うのに、彼女の様子があまり思い出せない。だから、自分の唇を噛んだ。
王家のダンスが終われば挨拶に回る。王家への挨拶、同じ公爵家の面々への挨拶。
陛下とは事前に少し話をしていたがそれでもまだ足りないというような笑みを向けられ、貴族の面々とは雑談を交える家もあれば最低限の会話しかしない家もある。その間、社交の場らしく口調を正した彼女は、俺の隣でとくに口は挟まず大人しくしていた。
会場内ではダンスを踊る者もいる。その曲が会場内に煩くない程度に流れるのを耳に入れながら少しだけ息を吐く。
ちらりと隣を見ると、同じように俺を見る視線と合う。
「……行くか」
「うむ」
……非常に満足そうでなによりだ。
差し出す腕に手を添えた彼女とともに歩き出す。ダンスの輪の中へ入ると、途端に周囲の視線が俺たちに向く。
ひそひそと交わされる会話。笑っている口許。――その中で最も輝く、俺の目の前の笑み。
(ああ……。本当に、周りの全員を笑ってやりそうだ)
不思議な感覚を覚えて。そう思わせる彼女に、手を差し出す。
すっと軽く添えられた手をとって一歩動いた瞬間――空気が変わった。
その金色の瞳が笑う。細く、強く、美しく、しなやかな腕と脚がのびのびと滑らかに。リードする俺に合わせ、時に好きに動いて少々慌てさせる。
身体が憶えている動きをしようとして、それがよくないと見るとさりげなく俺をリードする。あまりにも自然すぎて違和感など持たない。
周りなどなにも気にならなくなっていた。
(いつ、こんなにも踊れるように……)
初めてのあのダンスからこれほど踊れるようになるなど簡単なことではない。国同士で違う踊り方や曲調に慣れるまでかなりの練習をしたはずだ。
だが、セバスからそんな練習をしていたらしい報告など受けていない。
(まさか、独りで……)
パートナー役を務める者は以前の屋敷にはいなかっただろう。そうなると必然、どうしていたのか想像がつく。
目の前で滑らかに動き、俺を見上げる目を見つめ返し、思わず口が開いた。
「――……練習なら、付き合った」
「そうかもしれない。だけど、こう見えてわたしもいっぱいいっぱいだったんだ」
そう言って笑う目を見て腑に落ちた。
(ああ、そうか……。俺にそう言えないほどに、彼女も俺と同じだったのか……)
それが分かって、自然と心が固まった。
手を引き、腰に手を添え、距離を縮めてステップを踏む。互いの腕を伸ばし、回る。
少し驚いた顔をしたのが見えて自然と口端が上がるのが分かった。目に映るどこか怒ったような顔も、今は少し気分がいいので許せる気がする。
「わたしの楽しみだったんだが?」
「それはすまない。だが今、とても気分がいいんだ」
「……つまり、君も周りを笑ってやりたかったと?」
「全く違う」
「なんだ、つまらない」
本当につまらなさそうな顔をしないでほしいのだが、それを見て思わず笑ってしまうのだから仕方がない。
目が合って、自然と互いに笑みが浮かんだ。
が、目の前にある彼女の耳がぴくりと動いてなにかに反応するのを見て、気持ちが切り替わった。彼女を見ると微かにその口端が上がっている。
(これは、あまりよくない考えが浮かんでいるな……)
少し分かるようになってきた。
思わずじたりと彼女を見ると、にこりと笑みが返ってくる。
「わたしのテリトリーだ。合わせて」
「?」
楽隊が奏でる曲調が少しずつ変化する。ゆったりと優雅なものから、少し早いものに。
こういった夜会の場の曲はゆったりと落ち着きと品あるものだが、だんだんと曲調がその様相を残しつつも、まるで町の祭りか舞踏会で奏でられるような、少し軽やかなものに変わっていく。
ちらりと楽隊を見れば、いい雰囲気でない者が数名こちらを不愉快そうに睨んでいる。
(そういうつもりか……)
理解しつつ、俺は彼女とのダンスに集中する。
彼女の足は一切乱れることはなく、しっかりと曲に合わせられている。
先程までの優雅なそれとは少し異なり、難なく足をさばいて尻尾を揺らし、刺繍が輝いてドレスの裾が舞う。
それがとても美しくて、生き生きとしているように見えて、集中力を持っていかれないようにするのが精一杯だ。
(だが……楽しいな)
久しぶりに、社交会でそう思えた。
気分がよくて、心が躍る。普段感じないこの感覚が今は心地いい。
曲調がどう変化しようとも、まるでそれを読んでいるかのように彼女は迷わずステップを踏み、俺を誘う。
曲が最後の一音を奏でて止む。片手で引き寄せた腰に手を回し、もう片方の重ねた手を前にしてダンスを終えた。




