27,楽しみでしかたない
「町に出られていると聞いているわ。なにか目新しいものはあった?」
「そうですね。最近は町でも花の香が人気のようです。わたしは買いませんが、同行している者が目を輝かせていました」
「それなら私も知っているわ。貴族の婦人や令嬢方の間でもとても人気で。シルティさんは買わなかったの?」
俺は社交界における流行はさして知らない。口を挟むつもりはないので黙ったまま二人の会話を見守る。
妃殿下が首を傾げて問うと、彼女は困った様子で眉を下げた。
「匂いが強くて……。わたしの嗅覚とは感じ方が違うのです」
「まあ……。そうね。獣人はとても感覚が優れていると聞くわ。私の香水は強くない?」
「とてもいい加減ですし、柔らかな花の香りはわたしも好きです」
「よかった」
「人によっては少々香の強い者もいるからな。苦労もあるだろう。ファルダ国に香水はないのか?」
「さて……わたしが離れている間に変わっているかもしれません」
陛下も獣人の感覚を理解している。それに、ファルダ国についてもどうやら興味があるようだ。
騎士という仕事上、俺は普段から香水の類はつけない。社交の場でもなるべくつけないようにしている。
万が一に緊急事態となったときに匂いがついていると困ることもあるからだ。今もつけていない。
(今後もつけるのはやめておくか……)
必然、嗅覚の優れた彼女の隣に長時間いるのは俺だ。不快を与える可能性が高い。
そう考えて、ふと思う。
(これまでの社交の場で、もしや不快を覚えていたことがあったのだろうか?)
彼女との社交の場で香水をつけたことは……あったかもしれない。
もともと俺自身も匂いを強くまといたいと思わないので薄くしてあったはずだが、彼女の嗅覚がどう受け取ったかは分からない。彼女からもそんなことは一切聞かなかった。……俺も、聞かなかった。
(獣人の感覚は優れている。解っている。解っていたはずだ。なのに――)
彼女と接する中、彼女が屋敷にいる中、それを考慮したことはあっただろうか……?
(俺は、また――……)
「ギルベール」
「!」
引き戻すように呼ばれ、はっとする。視線を動かすと俺をじっと見つめる彼女がいた。
こてんと首を傾げるその様子を見つめていると、怪訝そうに眉が動いた。
「そろそろ会場入りだそうだ。行こう」
「あ、ああ……。そうだな。――では陛下、妃殿下。私たちはそろそろ」
「ああ。実に楽しい時間だった。これからもどうだ? こういう時間は」
「陛下のご要望とあらば」
互いにソファを立ち、俺は陛下と妃殿下に礼をする。陛下の肩を竦める様もどこか見慣れたものになっていて、隣の妃殿下はそんな陛下に優しく微笑んでいる。
「ギルベールさん。シルティさん。またあとで」
「はい。失礼します」
陛下と妃殿下に礼をし、俺たちは侍従に案内されるままに部屋を出た。
部屋を出れば途端に身体から力が抜ける。それが分かったのか、隣で彼女がくすくすと喉を震わせた。
そんな仕草に思わず半眼を向けてしまう。
「分かっているんだろう?」
「なんのことだか」
「頼むから、大人しくしてくれ……」
心底願うのも、返ってくるのは無邪気な微笑み。
なにを考えているのか分からない微笑みと不敵な目。それがあまりにも印象に強くて、こういう無邪気なそれはどこか慣れない気もしてしまう。
……人を揶揄うときはこういう顔だった気がするが、分かっていてやっているのでそれともまた違う気がする。なんというか不思議なものだ。
会場に向かって歩き出す。俺の腕に手を添えた彼女は、ふと思い出したように俺を見た。
「そうそう。ダンスのとき、わたしを回転させないように」
「なぜ?」
「邪魔になるだろう?」
俺との間にふさふさとした大きな塊を感じた。視線を落とせばそこにあるのは銀色のもこりとした毛。
彼女にある尻尾だ。それを見て、ああなるほどと納得した。
こういう特徴を持たない者と踊れば気にすることもないだろうが、持っている彼女と踊ればそれが当たることもあるだろう。
「分かった。やり方を考えるが、どれくらい開けばできそうだ?」
「君にばかり任せるつもりはないけれど、これくらい?」
そう言って口角を上げる彼女はどこか楽し気だ。
俺の腕から手を離して横に軽く二歩移動した。それだけ開けば充分に尻尾が間を通るが、掴むには少々手が遠い。
なるほどと実感し、記憶を探った。
(初めて踊ったあのときはどうだった……?)
こういうことを気にしていなかった気がする。踊りにくいと感じたような気がするが、こういうことがあったからだったのだろうか?
初めてダンスを踊ったあの夜のことが脳裏を駆け巡る。踊ってからの社交も、帰りの馬車の中も。
手を引き、歩きながらそっと尋ねる。
「……ロドルス国とファルダ国とは、ダンスは違うのか?」
「違う。そもそもに曲調が全く違う。隣国というわりには互いの国を行き来しての外交なんてないから、こっちのダンスを学ぶこともなかった」
息を呑んだ。
彼女にとっての未知を、俺はそうだと思うことすら考えることすらなかった。
ここがロドルス国だから彼女が恥をかいた。それだけのことだ。それが――大きな違いだったというのに。
「……すまない」
「それは君だけのものじゃない。わたしにも学習不足がある。人間種流のダンスというのが初めてだったことには変わりない」
「……今日は二度目だろう? 本当に、踊るのか?」
「もちろん。楽しみにしているんだから。さあ、笑うぞ」
「どちらを楽しみにしている!? こちらを不安にしかさせない張り切りはやめてくれるか!?」
頭痛がする。会場に入りたくないのに、まるで彼女にぐいぐい引かれているのではないかと思うくらい足が前に進んでいく。
隣にある無邪気な笑みになにを言えばいいのか、俺にはまったく分からない。
分からないままに、会場の入り口に到着した。
すでに有力貴族は中にいるのだろう。会場の入り口で高らかに名を告げられ、俺は彼女とともに会場へと足を踏み入れる。
(さて。とりあえず何事もないように目を光らせておくか――)




