26,君に幸せを
女性同士の会話を聞いていた陛下が、その口端を上げた。
「ファルダ国の衣裳か……。よもや、先の一件絡みか?」
鋭い指摘に俺の視線も陛下に向く。妃殿下は詳細を知らないのか知っているのか、すっと口を閉ざして陛下をちらりと見つめている。
隣の彼女がなにかを言うより先に、俺が出る。
「彼女のドレスを届けてもらったとき、話に」
「なるほど。――そういえば夫人、先日言っていた問いへの答えは出たか?」
「問い……?」
「これから何をするのか、という話だ」
「それでしたら――」
「! ちょっと待――」
「ギルベール様を幸せにします」
俺の制止を無視して、爽やかな笑みで彼女が言い切った。それはもう迷いなく、雲一つない空を嬉しく思うように、にこりと笑顔で。
その隣で俺は眩暈を覚え、陛下と妃殿下がきょとんとした顔をされていた。
「……ギルベールを…」
「幸せにするの……?」
「はい」
即答。それはもう清々しいほどに。
そんな晴れやかな彼女とは違い、俺は内心がいろいろと荒れる。
「――っ、俺とあなたの関係を知っている者なら初手で理解は難しいだろうな……。そんなことを陛下のお耳に入れる奴がいるかっ……!」
「わたしとあなたの関係は夫婦。それ以外ないのですから、幸せにするというのはごく当然の流れでしょう?」
「そういう関係ではない!」
「え……。夫婦じゃない?」
「そっ……っ、 また人を揶揄う気か!?」
「そんなことをした覚えはありませんよ。……ちょっと楽しいなってだけで」
「それがそうだろう!?」
「はははっ。君は本当に面白いな。今を考えればいいだけじゃないか」
「っ、あなたのその楽観的なところが羨ましいような腹立たしいようなっ……!」
目の前で軽やかに、口調が戻って普段のように笑う彼女。けれどその笑みが心底楽しそうで、含みなどないものとして映る。
――それはまるで辺境に居た頃の周りの者たちのようで。両親のようで。
少し懐かしさが胸に湧き起こっていると、息を噴き出すような音が届いた。
「はははっ!」
「ふふふっ」
陛下と妃殿下が笑っておられる。堪えきれなくなったように、遠慮なく、必死に口許を隠して。
そんなものを見せられるともうなにも言えないのだが……。
「ギルベール」
「……はい」
「やはり、言ったとおりだ。今のおまえと夫人との関係はいいものだ」
笑いながら陛下がそう言う。
陛下は以前にもそう言っていたが、俺にはよく分からないものだ。
俺は、いいか悪いかは考えない。それは俺が考えるべきものではなく、周りが判断すべきものだ。
俺との関係など大抵は悪いものだ。いいものも、いい関係も、あると思わない。
(陛下がいいと思い、彼女がいいと思うなら。それだけでいい)
そこに、俺は必要ない。
「君は君のことを考えない」
「!」
隣の彼女が紡ぎ出した言葉に、はっとして視線が向く。
そこにある、不敵に上げられた口角と強く揺るぎない金色の瞳。堂々と、自信にあふれるそんなものを、俺は見たことがない。
「君にはまだ幸せを掴む権利がある。出会いがなんだ、親がなんだ。それはそちらの問題であって君の人生じゃない」
「そんなわけ――」
「だから、わたしが引き寄せる。君が考えない君の幸せを、わたしが掴ませる。考えてもみろ。戦がどうだの親がどうだの、それがなければそもそもにわたしと君は出会っていない。ファルダ国先王はとかく強者が好きだった。自分を倒した男が娘の婿になったと知れば、それはそれは喜ぶだろう」
「……いや、それはどうかと…」
「ははっ」
「冗談なのか? 本気なのか!?」
愕然とするしかない俺だが、彼女はいつもの調子を変えない。
そして、陛下と妃殿下もまたくすくすと笑っている。
「ギルベール。頼もしい妻ではないか」
「突拍子がなさすぎて胃が痛くなるのですが……」
「ははっ」
「あなたが笑うな!」
抑えていたため息が盛大にこぼれる。もうなにを言う気力も削がれてしまった。
脱力して項垂れる俺など気にしないのか、三人は好きに会話を続ける。
「夫人がギルベールを幸せにしてくれるなら心強い。甥を頼む」
「もちろん。どんな手を使ってでも幸せにするとお約束しましょう」
「ふむ。……面白いことになりそうだな」
「まあ、陛下ったら。シルティさん。私に協力できることがあればなんでも言って。獣人やファルダ国のことも私はたくさん知りたいわ」
「わたしがお教えできることでしたらいくらでも。わたしも社交の場はまだ不慣れですので、こちらこそご教授いただきたいくらいです」
「ええ、もちろん。ふふっ。今度お茶でもいかが?」
「光栄です。是非」
……胃痛が増す。やめてくれ。
項垂れた頭を持ち上げる気力も湧かない。
彼女にはロドルス国に来てからもいい話がない。社交界に通じる妃殿下はそれを承知の上なのに、そんなものを気にしていないように気さくにされている。
陛下はもともと獣人に忌避も偏見も持たない御方だ。そしてそれは妃殿下も同じであり、言ってしまうと、陛下はそういう人を求めて妃に迎えたのではないかと俺は思っている。
幼い頃から学び、社交界にデビューすれば王都で過ごすことがほとんどである貴族令嬢は、獣人への忌避を抱く者が多い。
そもそもに国全体としてそうなのだ。辺境やその近隣が少し違うというだけで、そこでも同じように思っている者もいる。
そんな中で稀であったのが、フィリーシア妃殿下だ。そしてそんな御方を妻にし、周りになにを言われようと側妃を持たない陛下。
なぜそこまでするのか、俺には分からない。解るべきだとも思わない。
目の前には、すぐに親しくなったように笑って話をしている彼女と妃殿下。陛下もどこか満足そうだ。
(陛下は、なぜ俺に彼女を娶らせたんだ……?)
ふと湧いた疑問。しかしそれも、ひそひそと言葉を交わす貴族の表情を思い出して、それが理由なのかと思ってしまう。
いくら陛下とて周りの声を無視するわけにはいかないのだから。そうしてもなにもおかしくはないし、俺は拒まない。
考えても意味はないと思い直し、内心で首を振った。




