25,呼び出し理由
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社交の場はたいがい疲れるものだ。周囲の視線も向けられる感情も当然であるから受け入れるが、かといって精神的に疲労しないというわけではない。
だからあまり好きではない。俺のような者が出ることは望まれないし、俺も解っている。
それでも、陛下は王家主催の夜会には必ず俺を呼ぶ。それを断る権利を俺は持たない。
(……なぜ、屋敷から移動してくるだけでこんなにも疲れるんだ)
すでに体……いや、精神的に足が重い。動かしたくない。
しかし進まねばならない。
王城は場所によって塀や堀に囲まれている。王族の空間、政治の空間、外交や社交の空間……そうして分かれる中の一区画、最も内部にある王宮へと馬車は通された。
馬車を降りれば荘厳な建物と侍従に迎えられ、陛下の待つ部屋へと案内される。
俺の腕にそっと手を添え歩く彼女は、凛と、そして慎ましい様子で隣を歩く。
王宮内の使用人たちとすれ違えば表情を変えず頭を下げ、離れた方を見ればひそひそとなにやら言葉を交わしているのも認められる。
(王宮は以前の公爵邸と人が似ているからな……。今の屋敷の空気がよくなったせいか、どうにも目につく)
隣の彼女も気づいているのかいないのか、気にした様子なく平然としているまま。
案内されたのは王宮の客室。部屋に通され、侍従が頭を下げて部屋を出る。
それを見送ってソファに近づいたが、座ることはしない。それは彼女も同じで背筋を伸ばしたまま。
陛下はこれまで、こうして俺と彼女を呼ぶことはなかった。
夜会などの場で挨拶を交わすことはあるが、それくらいだった。彼女が初めてこの国に来たときは正式な謁見を行ったが、私的に呼ばれることはなかったし彼女だけが呼ばれたこともない。
(よほどに以前の件で関心を引いたのか……)
……やはり頭痛の種だ。以前ならばこんなことはなかったのに。
ため息を吐いてしまいそうになる。しかし抑えなければ。陛下の御前でそんなことはできない。
同時に、隣の不安発生源にも気を配らなくてはいけない。胃が痛い。
痛みに耐えながら待っていると扉がノックされた。
侍従が開けた扉から入室する人物。夜会の身なりに身を包んだ存在感、それを隠しもせずに入ると、その人は口端を上げた。
「ギルベール。夫人。よく来てくれた」
悠然とやってくる陛下に俺たちは頭を下げる。陛下の足取りが俺たちの前へ来るのを感じ、ソファに腰を下ろすと「おまえたちも座れ」とのお声がかかり、それに従う。
大きくふわふわとした彼女の尻尾は俺とは反対側に流されている。隣に座り合うのは初めてかもしれないと、ふと思った。
陛下は扉の傍に護衛を一人だけ置くと、他の者を退室させる。それから俺たちを見た。
亜麻色の髪と薄金の瞳。俺の父の兄であり、ロドルス国の国王。泰然とした様で玉座に座りながらも、時折好奇心に満ちた目を見せながら王都への忍び外出を楽しむ御方。
「普段はこうして時間がとれないからな。応じてくれて嬉しいぞ、ギルベール」
「陛下のご要望とあれば」
「おまえは……。夫人もよく来てくれた。ゆっくり話をする機会を持ちたいと思っていた」
「光栄にございます、陛下」
陛下が彼女に声をかけて一瞬ひやりとしたものを覚えたが、とりあえずほっとした。
(あ、いや、これは不敬か……。彼女とてファルダ国の王族だ。そのあたりはしっかりしている)
ここ最近彼女の言動に驚かされっぱなしで忘れていたが、王族として育てられた彼女が一番王族への不敬を理解している。余計な心配だった。
謝罪しなければいけない無礼に反省し――…
「町で会って以来だな」
「そうでしたか? わたし、どこかの品の良い紳士に会いはしましたが陛下にはお会いしていないと記憶しております。似た人でもいたでしょうか?」
「……っ」
胃が、胃が痛い……。
うふふっと微笑む彼女の前で陛下もまた笑っている。
陛下は短気に目くじらをたてる御方ではない。他者の意見にも耳を傾け、しかし決断すべきことは毅然となさる。関心や好奇心もあり、獣人に偏見も持たない。
決して彼女と対立しやすい方ではない。……が、今はギリギリの線を攻めないでほしい。
「そうだな。忍びでこっそり出ている者がわざわざ身分をひけらかすわけもない。どこかの誰かだ」
「ええ。どこかの誰かです」
「陛下。それで、本題は?」
これ以上俺の心臓を冷やすのはやめてほしい。すぐさま二人の間に入れば、陛下の視線が俺に向く。
そして、不思議そうに首を傾けた。
「いや?」
「……」
「たまには可愛い甥と話くらいしたいだろう? おまえは誘っても丁寧に断ってくる」
「……」
なんというか……脱力した。
まさか日頃の不満をここで発散されるとは思っていなかった。
『ギルベール。夜会の日、少し早く王宮へ来てくれ。話がある』
そう言われれば、なにか大事な話があるのかと思うだろう。だから俺はそうだと思って頷いたのだ。
いつもなら「たまには一緒に茶でもしないか?」と誘ってくるので油断していた。陛下にこんなふうに言われて断ることなど俺にはできないのだから。
俺の胸中が分かったのか、隣の彼女がくすくすと喉を震わせる。
「まあまあ。普段から陛下のお誘いをお断りなさるなんて」
「そう言うな、夫人。それに、だからこそこうして夫人と話をする機会もできたわけだ」
「そうですね。そこはギルベール様に感謝しましょう」
似た笑みが傍で交わされている。最早なにを言うこともできない。
そんな俺を置いてけぼりに、隣で二人が軽快な会話を始めた。
「あれからも町へ出ていると聞いている。問題はないか?」
「お気遣い感謝いたします。陛下にご心配をおかけし申し訳ない限りですが……。ご安心ください。自分の身は自分で守りますので」
「それは頼もしい。ギルベールにも遠慮なく頼るといい」
「もちろんです。この御方ほど強い御方をわたしは知りません。これ以上ない頼もしい御方です」
「……っ」
微笑みで放たれる言葉はただの世辞だ。陛下の言葉に頷くものだ。
解っている。なのに少しだけ、心臓が跳ねた気がした。
陛下は彼女を見て口端を上げると口を開き――ちょうど、扉がノックされた。
「陛下。妃殿下がお越しにございます」
「通せ」
がちゃりと開けられる扉。その向こうにいる侍従に先導された一人の女性。
その姿を見て、俺と彼女はすぐさま立ち上がった。
侍従が扉を閉め、その女性は一人室内に足を踏み入れると礼をしてから陛下の傍へと歩み寄る。陛下もまたその女性を見つめ、座ったまま手を差し出した。
ふわりと微笑みを浮かべてその手を取った女性が陛下の隣へ腰を下ろす。「どうぞ、お二人もお座りになられて」と声をいただき俺たちは再び座り直した。
夜会のため金色の髪は美しく結い上げられ、薄青の瞳はすべてを包み込むようなおおらかさを見せる。
陛下の唯一の妃、フィリーシア妃殿下。陛下との間にはすでに三人の御子がおられる。
「ギルベールさん。シルティさん。ごきげんよう」
「お久しゅうございます。妃殿下」
「ごきげんよう。妃殿下」
ゆったりとした声音と穏やかな微笑み。紡がれる挨拶に礼を返したが、フィリーシア妃殿下はどこか不満そうな目をした。
「せっかく、公爵と呼ばなくていい場なのに、ギルベールさんったら」
「……申し訳ございませんが、できかねます」
恐れ多いほどに寛大な御心だ。陛下より五つ年下だが、そう見えないほどにまだ若々しい妃殿下の不満という顔に陛下も笑っている。
俺に言ってもどうにもならないと思ったのか、妃殿下の視線は隣の彼女に向いた。
「シルティさん。お元気そうね。そのドレスもとても素敵だわ。あまり見たことがない物だけれど、どこの物かしら?」
「これはファルダ国のドレスです。この国のそれよりも肌を見せない仕様で、宝石をつけるよりも刺繍を施すのが主流となっております」
すっと立ち上がって裾を広げる。その緻密な刺繍に妃殿下も目を瞠り、口許を扇で隠した。その目はすぐにきらきらと輝き出す。
「まあ、素敵! こんなにも緻密で繊細な刺繍は見たことがないわ。とても素晴らしい技術ね。ファルダ国にはこれほどのことができる方々がいるなんて!」
「ほお。確かに素晴らしいな。獣人は相当に器用だと見える」
「お気に召してなによりです。妃殿下のご衣裳も素敵です。紫の基調は妃殿下の御髪の色にとても美しく映えて」
「ありがとう。ふふっ。これね、陛下が選んでくださったの」
彼女が妃殿下と積極的に言葉を交わしているところを俺は見たことはない。婦人たちの茶会でどうだったのかは知らないが、それらしいことは聞いたことがない。
滑らかな言葉のやりとりが、少しだけ遠くに聞こえた気がした。




