12,数少ない彼女との記憶
~*~*~*~*~*~
『彼女、随分と空気が変わったな。いつからああしている?』
『……熱から回復してからかと。おそらくあれが素なのでしょう。これまでよく大人しくしていたかと』
『ふうん』
町で彼女に遭遇してからというものの、あの人は終始機嫌がよかった。
逆に俺はそれなりの疲労を覚えたものだ。騎士団へ戻ってからも「師団長、顔が怖いです」と部下に言われてしまったほどには。
(帰ったら話があるんだったな)
帰宅の道を進む馬上で思い出し、息を吐いた。
これまで、彼女からそんなことを言われたことは記憶には存在しない。そもそも会話をしない日もあったし、俺が騎士団に泊まり込む日もあった。俺は彼女の様子をメイドや執事に聞き把握する。時には苦言を呈し、望まれないだろうと距離は開けていた。
それは、彼女は俺に憎悪を抱いているだろうと思っていたことと同時に、俺のような男からは離しておいたほうがいいと思ったからでもある。
公爵位を賜っていても、所詮それは情けを与えられているにすぎない。
俺はどこまでも反逆者の息子だ。王弟の息子だ。そして同時に――守護獣を持たない『落ちこぼれ』
輝かしい冠を持っていても、所詮中身は空っぽだ。疎まれ、蔑まれるだけだ。
『陛下はあの男が守護獣を持たないから、獣人を守護獣にでもさせるつもりなんだろう』
そんなふうに思われるなら、俺の傍になどいないほうがいい。
守護獣がいようがいまいが変わらない。反逆者の息子は変わらない。
どう想われようが、言われようが、どうでもいい。憤りや反抗心を抱いても、それを打ち砕ける力が俺にはないのだから。
門が見え、俺の帰宅を見張りの騎士たちが出迎えてくれる。「おかえりなさいませ」と言ってくれる言葉に「ただいま。ご苦労」と声をかけてから敷地内へ入る。
門を抜けて進む道の左右には樹々が並び、少しすれば屋敷が見えてくる。
父の反逆により公爵家の資産は一定額を接収された。今はまだなんとか維持できているが、いつかはこれにも限界がくるかもしれない。
公爵家と繋がりある商会もあるが、父のことがあっても繋がりを残してくれた商人は少ない。
ため息を吐いてちょうど、屋敷前へ到着した。使用人に馬を預け、屋敷内へ入るとすぐにセバスがやってきた。
出迎えた執事セバスは恭しく礼をし、帰宅時の恒例である報告を始める。
「本日奥様は町へお出になりました。手段は徒歩、帰宅時の持参品はありません。リアンからは町での購入品はなく、少々トラブルに遭ったと報告を受けております」
「それは俺も一緒だった。……本当になにも買ってこなかったのか?」
「はい」
セバスが怪しむよりもどこかあたたかな微笑みを浮かべている。
セバスは屋敷のことを任せられる信用できる人物だ。もとは辺境領にあった屋敷の執事を務め、俺が王都へ来ることになって同行してくれた。
報告ではそれ以外に彼女に動きはなかったらしい。俺はセバスを下がらせて自室で着替え、そのまま自室を出た。
夕食までは時間もある。用があるならば早々に済ませたほうが互いに気も楽だろう。
自室を出てすぐに前からハインが来るのが見えて足を止めた。ハインも俺を見て足早にやってくる。
「おかえりなさいませ」
「ああ。……なにかあったか?」
「いえ。昼間のことは……?」
「セバスから報告を受けた。問題ない」
ハインも少し気にしていたのだろう。俺の言葉に眉根を寄せつつも「そうですか」と声をもらす。が、すぐに表情を変えた。
「ギルベール様はなにかご用でも?」
「少しな」
俺が足を進めればハインも自然と後ろに続く。誰も連れてくるなとは言われていないから構わないだろうかと思いつつ、歩みを進めた。
彼女の部屋は俺の部屋の並びにある。一応は妻という立場なのでそうあるのも仕方ないのだが、結婚当初から互いの部屋に入ったことなどないし寝室も別だ。
……いや。彼女が高熱から回復したあの日が初めてだったか。
扉の前に立てば後ろから少々訝しむ視線を感じる。
無理もない。俺がこうして部屋を訪ねるなどこれまでならないことだ。俺が彼女と距離をとっていたことをハインもよく知っている。
扉をノックすればさほど間を置かず中から扉が開かれた。それも、部屋の主の手によって。
ぱちりと目が合い、少々驚く。
「おかえり」
「あ、ああ……。メイドは控えていないのか?」
部屋を覗かないように問うと、彼女は半身を室内に返しながら答えた。
「誰も来ない」
「……。リアンは?」
「彼女は下働きだ。あまりわたしが呼びつけると他の面々がよく思わない」
言いながら彼女は室内に戻る。それを見ていると、ついてこないことを感じたのかくるりと振り返り「入って」と告げた。
足を踏み入れることのない部屋。望まれない存在。
そう思っていた場所に彼女はあっさりと俺を誘う。扉を隔てる境界線を見つめ、妙な心地で足を踏み入れた。
後ろからハインが続くのを見つめ、彼女は「扉は閉めてくれ」と平然と告げた。ハインは少々不服気な様子をみせたが、俺が頷きを返せばそれに従う。
ぱたんと扉が閉じられるとなぜだろうか、妙に沈黙を重く感じてしまう。
「話とはなんだ」
問うと、彼女はソファに座ることもなく、開けてあった寝室への扉へ近づく。その動きに後ろの気配が鋭く少々殺気立った。
彼女が俺になにか仕掛けてくるとは思わない。……それとも、これまではそうであっただけで、素になればそうでもないのだろうか? 元は王族という立場から愚かなことはしないと思っているのは俺だけなのだろうか。
そう思っていると、彼女は寝室の前で振り向いた。
「君はわたしのドレスをどれくらい憶えている?」
「ドレス……? いや……さほど」
「はっきりでなくてもいい。色や形、こんなものがあった気がするってくらいでも」
唐突な問いに俺は少し考える。
彼女と社交会に参加したことはさほど多くない。王家主催のものとなるとさすがに断れないが、貴族主催のものとなると断れないもの以外は断ることも少なくない。
そういったときには俺の代わりに彼女が参加することもあった。夜会だけでなく、茶会やガーデンパーティーにも公爵夫人として参加していた。
二人で揃っていない限り、俺は彼女のドレスはさほど把握していない。そもそもじろじろと見るものでもないのであまり憶えていない。
未婚で年若い令嬢たちのような淡い色ではなかった気がする。もう少し落ち着いた品のある色味だった気がする。……どれもうろ覚えだ。
いつも彼女を直視することはなく、視線は挨拶する貴族へ向いていた。至近距離で彼女だけを見ることなど――……
「――……赤と黒を合わせた、銀糸の刺繍がされたドレス」
「なにか思い入れでも?」
「……初めてあなたとダンスを踊ったときに着ていただろう」
だから憶えていたのかもしれない。俺にとっては驚きと苦々しさの残る記憶だ。
思い出して顔をしかめる俺を彼女は平然と見ている。それを見てふっと記憶が蘇った。
ファルダ国の姫君は当然ダンスが踊れる。そう思っていた。
しかし、彼女とのダンスは散々な結果で終わった。そんなダンスが終わってからも彼女は毅然として、失態などなんてものではないというように振る舞い、それを見ていた貴族たちは「恥がないのか」「獣にはダンスという文化すらないのだ」と謗り、嗤っていた。
俺は「気にしなくていい」と言った気がする。彼女はどんな顔をしていたんだっただろうか。
帰りの馬車で「ごめんなさい」と謝罪した彼女は、どんな顔をしていたんだっただろうか……。
この二年間、どんなときも彼女との距離を詰めなかった。だからすべて、よく憶えていない。
(いや、違う。偶に見た彼女は……大人しそうに、穏やかに、微笑んでいた)
屋敷内ですれ違うときや少しだけ会話をするときの彼女はいつもそんな表情だった気がする。あまりじっと見たことがないが、深窓の姫君のような雰囲気の人だった。
そう。今とは全く違うような――。
「じゃあ、それでいい。ちょっと見てくれ」
「は……?」
彼女がすたすたと歩いて寝室に入る。唖然とそれを見送ると、俺が続かないことに気づいたのか顔を出し「こっち」とまた言った。




