10,それは攻撃を正当化しない
シャツとベスト、トラウザーズに身を包みながらも、腰には一振りの剣を吊り下げている。
随分と簡素な服装だなと思っているわたしをまるで睨むように見ながら、ギルベールはカツカツと靴を鳴らして場の中心であるわたしたちのもとへやってきた。
よく見ればギルベールの後ろには同じような服装の者が数名いる。仕事仲間かなと思いつつもすぐに視線をギルベールに戻した。
黒い瞳はわたしを見て、晒す耳と腰下で膨れる外套を見て、はあっと小さくため息をついた。
「俺は騎士団の者だ。状況はどうなっている」
「そいつが子供に石を投げるって言ったんだ!」
「獣人なんてものを町に入れねえようにしてくれよ! こんな凶暴な奴に出入りされちゃおちおち外出もできねえ!」
周囲の者たちの大きな声の訴えがギルベールに向く。言葉は乱暴で遠慮がない。聞きながらも眉間には皺が寄っているギルベールの内心を読めるほどにまだ彼のことを知らない。
大人たちの騒ぎ声の中、大きくはっきりとした高めの声がそれらを黙らせた。
「っ、違うよ!」
ギルベールの視線がそちらを見る。それはわたしにぶつかった子どもで、泣きそうな顔できゅっと眉を寄せて瞳を揺らしている。
「違う、とは?」
「ぼ、ぼくがそのお姉ちゃんにぶつかったんだ! お姉ちゃんはぼくをたすけようとしてくれて……。でもユー君がいしをなげたんだ! だからお姉ちゃんはわるくない!」
「相手に対し石を投げた。これに訂正のある者は?」
ギルベールの瞳が周囲を見る。勇気を出して告げた子どもの言葉に否を唱える者はおらず、気まずそうに視線を逸らす周囲にギルベールは隠すことなく大きく息を吐いた。
「子どもがしたことくらい――」
「随分と大きな声で言い合っていたな。全て聞こえていた。――子どもだろうとしてはならないことはあるだろう」
「「「……」」」
「幸い彼女に怪我はないようだ。……被害届を出すなら話は別だが?」
ギルベールはわたしへ一瞥を向ける。
これでも一応は貴族の夫人である身だ。貴族と平民には明確な差があり、子どもに対してそれなりのことを求めることは可能だろう。
けれど、その言葉に子どもの母親が悲痛に顔を歪める。
「そんなっ――……」
「しない。怪我をしていないし大した結果にもならないだろう。法がどこまで獣人に対しても公平であるかも分からない。子に対する教育心のなさと獣人への蔑視は、王都民だけでなく国としての姿勢でもあるだろうから、一人の責任を求めても意味はない」
ギルベールが僅か眉をしかめるのが見えた。
わたしに益がない。それに、ここで賠償なりを求めれば余計にわたしへの評判が落ちる。そうなるとそれこそ町へ出てこられなくなる。それは実につまらない。
(これからも町へ出てくるには、王都民へちょっとの恐れと反抗心を削るくらいでいいか……)
そんなものがなくなるのが一番いい。だけど獣人への蔑視はそう容易には消えない。
(必要なのは、獣人を少しは見慣れることと、獣人という種への思い込みが消え――……うーん。わたし以外の誰かが来てほしい)
とはいえ、今の状況で王都へ来るなど誰でも嫌だろう。石を平然と投げてくる場所になんて来たくない。
内心ため息を吐いているわたしの傍で、ギルベールは背筋を伸ばしたまま周囲をぐるりと見回す。
「言っておく。――人間だろうと獣人だろうと、この国でそれを理由に暴力を振ることは許されない。他者へのそれは当然に罰せられることである。相手が獣人であるから、そんな理由で許されることなどなに一つない。そんなことをする前に、少しは獣人というものを己の感覚で見て知るべきだ。辺境領では両者が友好的に商売を行うという、王都では見ないだろうことも平然と行われている。己の視野の狭さを自覚しろ」
ほお。そういうこともあるのか。
そういえば、ギルベールは辺境領で育ったのだったかな? ギルベールから獣人への偏見を感じなかったのはそれが理由か。
その言葉に周囲の野次馬がそそっと視線を逸らす。中には不満そうな顔もあるけれど、別に問題はないだろう。
ギルベールも同じなのか、その視線を母に守られる子どもへ向けた。
「幸いなことに彼女は事を大きくするつもりはないらしい。だが、君は彼女に対して言わなければいけない言葉があるはずだ」
「え……」
きょとんとする子どもへもギルベールは態度を変えない。周囲の大人へ向けるのと同じ声音。それは多分、大人も子どもも関係ないと解っているから。
周囲からどう見られるかというのは、おそらくギルベールにとって慣れたものなんだろう。
「……」
そう思って、シルティの日記の内容が頭の中でぱらぱらとページを捲るように思い出される。
「獣人相手だからと許されることはなにもない。君は友人に石を投げてもその態度なのか? 悪いことをしたとき、なにも言わないのか」
「! ほ、ほらっ。ちゃんと謝りなさいっ……!」
「ご、ごめんなさいっ!」
立たされた子どもが瞳を揺らしながらわたしを見て、謝る。それを見てやれやれと肩を竦めるギルベールをちらりと一瞥して、どうしてか口端が上がった。
視線が合うと、ギルベールの目が驚いたように瞠られるのが見えた。その傍でわたしはすっと膝を折って離れた子どもと視線を合わせる。
「以後、同じことはしないように。わたしが許すのは一度だけだ」
「っ、うんっ……!」
「よろしい。――さて。ではおしまい」
ぱんっと手を打って空気を打ち払う。それですべてを終わらせた。
ギルベールも小さく息を吐くと「事は解決だ。解散」と野次馬を散らせる。子どもたちも駆け寄り合って、瞳を揺らしながら「ごめん」と謝っている。
走り去っていく姿を見送ると、傍から刺すような視線を感じた。
「そんなに睨まれると穴が開きそうなんだが?」
「町に出ればどうなるか本当に解っているんだろうな?」
「実際なんて分からないじゃないか。わたしは町に出たことがない」
「解っていたからだろう!?」
「ちょっとした確認作業だ。ははっ。これで国というものがまた分かる」
「笑いごとじゃない……!」
ギルベールがどうにも必死になにかを堪えるような様子だ。頭に手をあてている様はまるで頭痛でも覚えているかのようで、それを見て首を傾げる。
「気分でも悪いならどこかで休む?」
「誰のせいだと思ってる!?」
「ふむ……。どうにも君は怒りっぽい。今は機嫌が悪いのかな?」
「だかっ、……っ――はあぁっ」
最早天を仰いでしまう始末。これは少々心配だ。
わたしには手に負えないと思っていると、ててっとリアンがやってくる。
「奥様。手は大丈夫ですか?」
「問題ない。それよりギルベールがなんだか変だ」
「だ、旦那様、大丈夫ですか?」
リアンが心配そうにギルベールをうかがうけれど、まだ頭痛は消えないらしく返事がない。
そんなギルベールの後ろからやってくる数名。ギルベールのように戦闘を想定しつつも町に溶け込む服装に剣を帯びた数人と、守られる側のような服装の人物が一人。
自然と視線がその中心の人物に向くと、わたしの視線に気づいて微笑みを浮かべた。




