選択と青信号
溜息が部屋に響いた。彼女は悲しんだ。
どうせ誰も居ないのだからと引越しを終えた新入生に遠慮はなかった。初めての一人暮らしである。
少女の名前は赤月レイ。高校を卒業し、合格した都内の大学への入学に向け準備を進めていた。ここから華の大学生活が始まる。そのはずが、18歳とは思えないほどに彼女の体は重たかった。
若いからってみんな言うけど...これが人生の体力のピークとか、勘弁してくれよー
だらしなく散らかった食べかけのカップ麺とジャージなどが目に入る。せめてティッシュのゴミはゴミ箱に入れておこう。いやしかし、そのゴミ箱にあの馬鹿でかいゴミ袋をかけに行くのに怠さを感じてなかなか前に進まない。体ーというより精神的なものに由来する憂鬱感なのかもしれない。レイには思い当たる節がないわけではなかった。大学進学、一人暮らし。全部、自分で選んだ道のはずなのにな。あのときバンドの誘いを受けていたら、もっと違う生活をしていたのかもしれない。
レイはおとなしめの高校生活を過ごしていた。趣味は音楽と古本屋巡り。昔はピアノやギターを弾いていたが高校からベースを始めた。しかし根からこだわりが強く、バンドを組んでもなんとなく上手くいかない。今となってはもう昔のことだ。そんな趣味と性格のせいか、一人でいることが多くなり、周りからは変わり者だと避けられていた。
バンドはどれも長続きせず、気が付いたら勉強に打ち込んでいた。レイはレイなりに将来のことを本気で考えていた。音楽が好きだ。本が好きだ。美しいものに触れ、自分もいつか誰かの心の隙間を埋められるようなものを作りたいと思っていた。しかし、レイは現実路線を歩んだ。いきなりそんな賭けの世界に飛び込む勇気はなかったのだ。2年生の夏ごろにレイは軽音楽部を退部し、勉強に打ち込むことにした。
2年生の終わり頃だった。彩月に呼び出されたあの日。彩月はレイと小学校からの友達で、唯一の親友ともいえる存在だった。一緒に軽音楽部に入ったが、バンドが上手くいかなくなりレイはひっそりと退部した。
「ねえ、一緒にバンド組もうよ」
彩月が何を考えていたのかレイには分からなかった。そしてレイは、どう音楽と向き合えばよいのかも分からなくなっていた。揺れる心の中には、彩月だけは失いたくないという気持ちもあった。自分が前にバンド活動が立ち行かなくなったときと同じように、仲間を失う恐怖心である。彩月とだけは、そんな関係になりたくなかった。そして半年という年月は、レイを勉強中心の生活にならしめるのに十分であった。
レイは誘いを断った。
適正といわれるものがあるのだろうか。レイは意外にも時間に拘束された受験生の生活に食らいつくことができ、第一志望の大学に合格した。取り組みたい学問も定まっていたので大学生活には前向きで、大学近くのアパートでの一人暮らしを決めた。でもずっと、間違ってないよなと思いながら生きていた。選択とは何かを失うことらしい。
彩月は音大に受かった。偶然にも自分の引越し先の近くに住むことになっていた。地元から離れようと一人暮らしを決めたので「なんだよ~!」となりつつも、なぜか喜ぶ自分もいる不思議な気持ちになった。幼馴染の縁はそんなに簡単には切れないらしい。レイは物思いにふけながら、いつの間にか前向きな気持ちになっていた。
この辺りでは実家と違うローカル局が観られるらしい。だらだらと観ていると、ふと見覚えのあるメンバーの演奏するライブ映像が流れてきた。間違いない。私が部活に入っていたとき、一番好きだったバンドだ。まだ続けていたんだ。
かっこいい。本当にかっこいい。
このバンドのライブを見て入部を決めたのを覚えている。親に無理を言って、これが最後とベースを買って貰った。その当時からこのバンドには心を奪われていたが、今はもっと違う角度から私の心をつかんでくる。バンドが上手くなったのか、私が変わったのか、それはよく分からなかった。しかし、もうゴミ箱に袋を張り出すどころではなくなっていた。
レイは、ベースとお金だけを持って夢中で玄関を出て彩月の家へ向かった。
窓は開けっぱなしで、街角の青信号の音が部屋に鳴り響いていた。