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004 涙の真相

 リギアはカレブ・アルシャイン副騎士団長に肩を抱かれて有無を言わさずどこかの部屋に連れていかれた。

 大きなテーブルにずらりと並んだ椅子が中央に置いてあることから、おそらく会議室のひとつかと思われる。

 自分とカレブ以外は誰もいない。入団試験の面接で何か連絡事項があったのであれば、あの面接官のお歴々が揃っているはず。でもそうでないとしたら。

 そう思ったリギアの後ろで、扉にカチャリと鍵を掛ける音が響いた。びくりとして振り向くと、カレブは肩を竦めて「別に取って食ったりはしないよ?」と胡散臭そうな笑顔で言った。


 密室の会議室にカレブと二人きりというこの状況。話というのは一体何だろう。

 試験の内容に不備があったわけでもないなら、この男はリギアが何者なのかと直接問いただそうというのだろうか。何となくそんな気がした。

 しかし何者なのかと問われても。リギアはただの騎士志望の女学生でしかないとしか言えないのだが。


 この様子だとカレブはリギアの存在を知らないまま今日まで来たのだろう。 そりゃあ突然あずかり知らぬところで自分の分身みたいな子供が育って、大きくなって職場にいきなり現れたら驚くに決まっている。

 まああくまでも容姿が似ているだけで本当に親子関係があるのかどうかも定かではないけれど。

 だから、突然娘っぽい人間が現れて向こうもリギア同様戸惑っているのかもしれない。


 よく見るとカレブのほうも何やら考え込んでいる。連れ込んだはいいが、何から話せばいいのか考えあぐねているとみた。

 いっそのことはっきりさせようと、リギアをここに呼んだのだろう。リギアはそう結論づけた。

 向こうがはっきりさせたいなら渡りに船だ。リギアだって本当は知りたい。


 ――よし、だったらこちらから聞いて話を促してやったほうがいいかも。


 しかし、もし親子だったとしたら、このカレブと母ミルファはどうして別れたんだろうか。

 一度母に聞いてみたことがあるが、「男と女なんてね、いつも簡単な理由で別れちゃうものなのよ」と尤もらしいことを言ってはぐらかされてしまった。黒歴史なのかもしれない。

 

 故郷バルファークでは、片親だけとはいえ、母方の親戚筋は皆リギアのことを可愛がってくれたし、ラドゥの看病に携わることになってからは、辺境伯ウィルケン公もリギアのことを本当の娘のように可愛がってくれて、その息子のラドゥとも仲が良い。なので、特に寂しいというのはなかった。

 親はなくとも子は育つとも聞くし、実の父親がいなくてもそれなりに楽しく過ごしてきたので、どうしてそばにいてくれなかったの、などという恨みつらみなどは全くない。だからそこのところは安心してほしいものだ。

 そのことを伝えたらきっと彼も安心してくれるだろう。


 やあ、貴方はもしかして私の血縁なのですか。

 お会いできて光栄です。

 心配ご無用、私、こんなに元気に育ちました!

 罪悪感など感じないでください!

 

 と、こんな感じで遠回しに、かつフレンドリーに話しかけてみるべきだと、脳内でイメトレをするリギア。


 ――よし、言うぞ!

 

 そう気合を入れて大きく息を吸い込んだ瞬間、考え込んで黙っていたせいで溜まった唾液を空気と一緒に吸い込み、気管支に入ってリギアはむせた。なんて間の悪い。


「おげえええっほぉう! おぅげほおぉう! げほげほげほぉっ!」


 年頃になって寄宿学校に入った女学生はそれなりに一般的な淑女の振る舞いをきちんと勉強させられるのだが、およそ淑女とは程遠い、えずいたオヤジみたいな下品な咳込みをしてしまう。

 そもそも淑女とはどうやって咳き込むのか、それは教わらなかったかもしれない。出物腫れ物所嫌わず、淑女もオヤジも一緒くたであった。


「お、おい、大丈夫か」


 突然オヤジのようにむせて咳き込んだ女学生に、先ほどまでのチャラい感じをかなぐり捨てて駆け寄ってきたカレブがリギアの背中をさすって覗き込む。

 しばらくむせた後にようやく落ち着いてきたリギアは、ちゃんと言わなければと、先ほど言おうとしたことを口に出そうとした。

 だが気管支に唾液が入ってむせたショックで先ほど考えたフレンドリーな言い方をすっかり忘却の彼方へ追いやっていた。

 咳き込んだ弾みで涙目になり、ちょっと鼻水まで垂れたぐっしゃぐしゃな表情でカレブを見上げ、ようやくがらっがらな声で口に出たのは。


「……パパ……ですか……?」

「……っ!」


 リギアの言葉と表情を見て、カレブは息を飲んで動きを止めてしまった。リギアと同じ赤紫の目を見開いてショックな顔をしているも、頬は赤らんできていた。

 

 ――いやいやいや! これでは瞼の父に会えた感動で咽び泣いているみたいじゃないか。ちがうの副団長、単に唾が気管支に入ってむせただけなの。全然感動とかしてないのに。


 色々間が悪いのが続いて失敗したと思ったリギアだが、それに反してそんなリギアを間近で見てしまったカレブのほうが胸を射抜かれたように表情を歪ませた。


「あ……う、うん、まあ、そう、なる、かな……いや、ごめんな、何か、ごめん……! 大丈夫か?」


 ――やば。まじで勘違いさせちゃってる。ちがうから。ほんとに唾が気管支に入っただけなの、感動の涙じゃなくて生理的な涙なの、わかって副団長!


 そう言いたくてもまだ喉が本調子でなくて、結局落ち着くまでカレブに優しく背中をさすられて、落ち着いたころには言うタイミングをまたしても逃してしまった。


 一方その時のカレブの頭の中でも色々なショックが起こっていた。


 当初カレブは、採用ほぼ確定のリギアを不採用にして故郷に帰ってもらいたくて色々と画策していた。

 その理由は今交際中で婚約間近まできていた令嬢に、リギアの存在を知られなくなかったからだ。第一部隊長ドルフィン卿に糾弾されるまでもなく、自分でもゲスな考えだとはわかっている。

 

 悋気の強い激しい性格の彼女が、カレブの若気の至りでできたらしきリギアという娘のことを知ったとき、おそらく半狂乱に泣き叫ぶような気がするのだ。昔のことと割り切れる性格じゃない彼女に、今は全く関係ないと言ったところで、同じ場所で騎士として働けばどうやっても彼女が気にするだろう。

 そうなると宥めるのに一苦労だし、婚約どころではなくなる。

 

 子爵の爵位を得て、ソードマスターの覚醒を得て国に認められた騎士となったからには、なるべく早く後継者を作れと上からも言われている手前、カレブにしては珍しく真面目な交際をしている彼女を逃すことはできないのだ。


 だからこそ、リギアにはバルファークに帰ってもらい、お互いの存在をなかったことにして欲しくて、多少強引なことをしてでも今回採用を辞退してくれないかと頼むつもりだった。


 自分の娘であるという事には関心がなかった。そもそも小一時間ほど前まで存在すら知らなかったのだから、しかたない。知っていればこんなことはしなかった。

 ほんの赤ん坊のころから知っていたならまだしも、愛情なんてものはない。子育てに参加していたら少しは違ったのかもしれないが、そういった親子の情すらない。だから切り捨てるのも追い出すのも簡単だと思っていた。

 

 ――大体、今まで離れて暮らしていたんだから、これからも離れて暮らしたって何の問題もないだろうが。


 嫌がったら説得し、それでも嫌なら実力行使さえするつもりだった。セクハラまがいの嫌がらせすら考えた自分にも呆れる。嫌な思いをして故郷に帰ってくれればと思っていたのだ。


 だが、そんなカレブの策略は立ち消えた。リギアの涙に濡れた上目遣いの表情を目にしたことで頭の中でそんなゲスな考えは粉々に砕け散ったのである。


 ――よく似ている……!

 

 遠い過去の美しい青春の思い出の中に生き続ける、カレブがこれまでの人生で狂おしいほどに愛した女性、ミルファ・アイゼン。涙が滲んで頬を赤らめ、はあはあと悩ましい吐息を漏らしてカレブの下で見上げていた彼女の艶やかな顔を思い出す。

 その面影をリギアの中に見てしまい、遠い記憶の中にしまいこんだはずの、若かったころの狂おしいまでの恋心と愛情が蘇って、それまでの策略は見事に雲散霧消してしまったのであった。


 そんな狂おしいほど愛した女性と自分との愛の結晶が今ここにいる。

ここで故郷に帰してしまったら、二度と会えなくなってしまう。そう考えたら辞退などさせられなかった。

 最も愛した女性には、たとえ今の交際中の女性すら敵わない。今の彼女の悋気に対して心配していた自分がバカバカしくなってしまった。若かった自分がミルファを愛した気持ちと同じ大きさの気持ちが今の彼女に対して持てていないことに、今更ながら気づいたので。


 カレブはリギアに採用の件を辞退させるのを早々に諦めた。

 

 当初の目的を忘れたカレブは、その後のミルファのことを改めてリギアに聞こうとしたが、咳き込みが落ち着いてきたリギアは「よし」と言って踵を返しそうになっていた。


「いや、待って待って。まだ話が終わってない」

「何ですか」

「その……ミルファさん、その後どうしたのかな」


 カレブのその突然の質問に、リギアは一瞬動きが止まった。


 ――もしかして、うちのママに会いたくなっちゃったのかな。でもママはラドゥおにいのパパとお付き合いしてるし、結婚の約束もしてるってのに、困るよ。ここはちゃんと言っておくべきかな。でも、それ言ったら傷ついちゃうかな。どうしよう、なんて言えばいいだろう?


 母は十年前から北辺境伯ウィルケン・バルファーク公と交際していて、来春をむかえてリギアが寄宿学校を卒業したら結婚式を挙げるつもりなのだ。

 もしカレブがミルファとの復縁を望んでいるなら、それは無理だということを告げねばならなかった。


 ここははっきり言っておかねば。そう考えたリギアは心を鬼にしてそのことをカレブに告げることにした。


「ええと……そのぅ、言いづらいのですが」

「ん?」


 言おう、言うんだ。そう思って口を開いたものの、きょとんとしたカレブの純粋にミルファのことを気にしているといった表情を見て、はっきり告げてしまう罪悪感に駆られてしまったリギアは、語彙がぶっ飛んでしまった。それでも言わなければいけないときがある、今がそのときと口に出た言葉が。


「ママは……十年前に……」

「え……」


 ――ちがう。何でそこで言葉を濁したんだ私。

 

 母には十年前から付き合っている男性がいるといいたかったのに、これでは母ミルファが十年前に死んだみたいな言い方じゃないか。

 一瞬で絶望したカレブの表情に、またしても誤解を与えてしまったことを悟って、もうここでどう挽回したらいいのかわからぬと、頭の中が真っ白になってしまったリギアであった。

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