003 壁ドンと気の抜けた返事
王国騎士団の早期入団試験の全日程を終えて、面接会場を後にしたリギア。
書類選考、筆記試験、実技試験、集団面接と、ここまで共に駆け上がってきた少ない仲間たちは、面接会場からエントランスホールまで出てきてそこでようやく解放されたようなほっとした表情を見せていた。
エントランスホールとはいえ、ここは王城にある騎士団の駐屯地。家に帰るまでが遠足とは子供のころからよく言ったもので、試験が終わったからと羽目を外しすぎてもいけない。
ちなみに試験で訪れた生徒たちは騎士団駐屯地内で各訓練場、訓練で疲れた体をリラックスさせるのにちょうどいい庭園を見学をしたり、リフレッシュルームや食堂や売店などを利用してもいいことになっているそうで、試験仲間たちはそれぞれ見て回ってから帰ると言っていた。
「リギア~、私たち記念に食堂に寄ってごはんしよって話してたんだけど、貴方もどう? ボリュームたっぷりで美味しいって有名らしいわよ」
「おぅふ、ごめん。私このあとラドゥおにいと待ち合わせしてる」
「ああ、そういえばそうだった。自慢のイケメン婚約者様ね、ご馳走様」
「リギアお前、婚約者をおにいなんて呼んでんのかよ」
「ちっちゃい頃からそう呼んでたから今更抜けないんだもん」
「幼馴染のお兄さんと婚約かあ……憧れのシチュエーションよねえ」
「じゃ、まあその麗しの婚約者殿によろしく」
「ういす」
「おう、じゃーなリギア」
「ばいばい。また学校でね~」
食堂に行くという仲間たちと別れて、待ち合わせ場所のリフレッシュルームに向かうために広い廊下を歩いた。
広い廊下を行き交う訓練服や騎士の隊服姿の身体の大きな現役騎士たちの中、寄宿学校の制服姿の女学生はリギア一人でけっこう目立つ。ちらちら見られてどこかおかしいのだろうか、服にゴミでもついているかなと、制服のプリーツスカートをパンパンとはたいて取り繕ってみた。
まあ、目立っていたのは制服だけじゃなくてリギアの特徴的な銀髪と赤紫の瞳という、どこかの誰かにそっくりな容姿そのものだったのだが。
リフレッシュルームに向かう廊下は途中で屋外に面した渡り廊下になっていて、色とりどりの草花の植えられた美しい庭園が広がっている。ベンチが数か所に設けられていて、季節の植物を愛でながらそこで休むことができるようだ。
おそらくこれから向かうリフレッシュルームとともに、激しい訓練で疲れた騎士たちの心と身体を癒す空間として作られたものなのだろう。
――ふむ。訓練とかは厳しそうだけど、いいところだなあ。
入団試験の手ごたえはバッチリだし、今後この施設に見習い騎士として働くというビジョンが明確になってきた。
そんな風に晴れやかな気持ちで庭園に出て見て、誰もいないベンチに座ってみる。ふいーーーと伸びをして、リギアは入団試験の面接でそれまでかなり肩に力が入っていたことに気づいて苦笑した。
――自分ではそんなにがちがちには緊張してなかったはずだけど、やっぱりあの副騎士団長さんの姿を見たら、色んな意味で緊張してたのかも。
珍しい髪色と瞳の色。バルファークにもあまりいない毛色は、やはり王都でもかなり珍しい部類に入るし、大勢の生徒がいる寄宿学校のどの科にもどの学年でも、リギアは同じ毛色をした人を見つけられなかった。髪色だけでいえば気難しい座学の老教授が銀髪というか白髪だったけれど、リギアの髪色はそれとはまったく違っていたし。
それが、この騎士団早期入団試験の集団面接でまさかお目にかかろうとは思わなかった。
カレブ・アルシャイン副騎士団長。詳細はよく知らないけれど、爵位持ちで子爵だと言っていた。その人がリギアと髪色も瞳の色も全く同じものを持っていたことに、リギアはただただ驚いていた。試験会場ゆえにそちらに集中していて顔には出さなかったけれども。
珍しい髪色だけならともかく、こちらも珍しい瞳の色までそっくり同じなんてそんな偶然あるだろうか。もしあったとしたら……。
――本当にパパなのかな? 入団が決まってここで見習いやることになったら、聞いてみる機会があるかもしれない。
そんなことを思っていると、ふと背後の茂みの向こうから声が聞こえてきた。どうやら若い騎士とその恋人らしき女性が、リギアと同様にベンチで寛いでいたらしい。
「いいのかい、こんなところに来て」
「大丈夫よ。そのためにこうしてこんな格好で来ているんだから」
「そこまでして会いにきてくれるなんて嬉しいよ」
「私もよ。会いたかったわ」
「僕もだよ」
そんなことを話したり微笑みながらくっついたりしていた仲睦まじい恋人たち。どうやらどこかいいところのお嬢さんが目立たない恰好をして、恋人の若い騎士に会いにきたらしい。微笑ましいなと思っていたら、二人は何だか親密そうな雰囲気でそのうちキスをしはじめた。
さすがにこのままでは覗きの変態になってしまうと思ったリギアは、足音を立てないようにそそくさと庭園を後にして、目的地であるリフレッシュルームに向かうことにした。仲睦まじく微笑ましい若い恋人たちに幸あれ☆と願いながら。
庭園から歩いてすぐのところにあるリフレッシュルームに到着し、その壁にもたれてしばし待つ。結構庭園でゆっくりしていたからラドゥを待たせてしまったかもと思ったが、人もまばらなルーム内にラドゥの姿は見当たらない。彼はまだ来ていないようだ。
今日は騎士団駐屯地に入団試験の面接で赴くと事前に連絡したら、面接が終わる時間くらいで婚約者のラドゥも定時上がりができるから、一緒に食事でもしようと約束していたのだ。
故郷のバルファークを離れて王都で立派な騎士をしている幼馴染のラドゥはリギアより三歳年上の婚約者だ。魔術適正も生まれ持った、まさに文武両道な騎士であった。
北辺境伯ウィルケン・バルファークの一人息子にして、バルファーク領の跡取りとして幼い頃から騎士となるための訓練を行ってきた彼は、八歳のころに魔力適正があると診断され、発現したばかりのその魔力を持て余して上手く制御できない魔力酔いに悩まされた。それが原因でしばらくの間寝たきりになったことがあったのだ。
跡取りを失うわけにはいかないウィルケン公が、金に物を言わせるように高名な医者に診せたのだが、魔力酔いに関しては門外漢だと言われてしまった。
しかし匙を投げた医者がバルファークで有名な薬師一族の治療を受けてみてはと紹介してくれた。それが薬師のアイゼン一族だ。
魔法治療もできる薬師の一族から、リギアの母ミルファが派遣され、まだ当時六歳だったリギアも幼いなりに母に倣ってラドゥを看病した。
そうしてようやく回復し、体内の魔力も落ち着いてきたラドゥと、リギアは友達になった。そのころから「リギア」「おにい」と呼び合ってバルファーク領じゅうを駆け回って遊んだものだ。
あの頃はまだ病で食欲もなく筋肉も衰えてしまい、貴族の令息としてはガリガリに痩せてしまっていたラドゥが、回復してリギアと目いっぱい身体を動かして遊ぶようになってから、成長期にぐんぐんと大きく健康的に育ち、今では立派な筋肉質の美丈夫だ。王都でもかなりの美形だと噂されているし、クラスメイトに聞いたら秘かにファンもいるらしいとのこと。
そしてそのころから母ミルファとラドゥの父である辺境伯ウィルケン・バルファークは恋仲となって、今現在は内縁関係にある。強い男が好みだという母ミルファと、ミルファのラドゥに対する献身的な治療と看病、そしてミルファ自身の美貌に心揺らいだウィルケンは意気投合して恋仲となったのだ。なんと十五歳の年の差カップルである。リギアが寄宿学校を無事卒業したら結婚式をあげることになっていた。
それと同時にラドゥが成人したときに、婚約者の決定をしなければならないということで、ラドゥが選んだのがなんとリギアだった。
もともと北辺境バルファークでは、貴族と平民という身分差はあまり重要視されていないこともあって、本人たちがそれでいいならと、ウィルケン公もミルファも反対しなかったので、今に至るのだ。ミルファとリギア、母娘そろって貴族に嫁入りである。
そんな婚約者となったラドゥも長期休みくらいにしかバルファークには戻らないし、リギアも家を出て寄宿学校の寮で暮らすようになったので、すれ違う日々が続いていた。
でも今日はたまたま入団試験の面接会場がラドゥの所属している王都騎士団の駐屯地であったため、久しぶりにラドゥと一緒に出掛けようと連絡をとりあったのだった。
――ラドゥおにい、まだかな。
ラドゥを待つため鞄を手に壁に寄りかかりながら、一人道行く人々を眺めやったりしていると、こっちを見ていく騎士たちが通り過ぎる。
すっかり慣れたとはいえ、相変わらずリギアの容姿に珍しそうにちらちら見ていくのが何だか恥ずかしい。ラドゥが早く来てくれればいいのに、と居心地悪さにそんなことを考えながら、床の大理石のタイルの種類を数えてリギアは暇を持て余していた。
そんなとき、どん、という音とともに目の前に影が落ちたことを知る。
おずおずと見上げると、見たことのある人物に突然、リギアの背後にある壁に片手をついてこちらを覗き込まれていた。
いわゆる壁ドン、というやつだ。
それはともかく、リギアの目の前にいる壁ドンしてきた人物にリギアは顔には出さねど心の中ではしっかり悲鳴をあげた。
その人物は、面接会場で見た、カレブ・アルシャイン卿その人だったから。
「……やあ、さっきぶりだね。一人?」
ねっとりと湿気を含んだような色気のあるバリトンの美声が発せられた。そういえば声をちゃんと聞いたのはこれが始めてだったか。面接のときは卿は質問は他の人たちに任せて自分は書類とにらめっこしていたのだから。
それよりも、シャツをはだけて胸板を惜しげもなくさらしている大変目の毒な光景こそが問題である。
「……ほーん」
何で胸元はだけてんだ、さっきまでしっかり着込んでいたじゃないかと、色々言いたいことはあるが、とりあえずリギアの口から出たのは何とも気の抜けた返事であった。
自分の口から出た気の抜けた返事に、何やってんだもっと普通に挨拶とかすればよかったじゃないかと、心の中でするどいツッコミを入れるが顔には出さなかった。
リギアの反応に一瞬ずっこけそうになったアルシャイン卿だったが、気を取り直してにっこりと眩しい笑顔で聞く。
「リギア・アイゼンさん。さっきはどうも」
「はあ、どうも」
「ちょーっとね、連絡事項があって。これからちょこっとだけ話できないかな? 場所変えて、ね? 大事な話」
「えー」
――これからおにいと待ち合わせてるんだけどな。ああでも、面接の際に何か手違いとかそういう確認事項があったのかもしれないし、行くべきかな。おにいにはもうちょっとだけ待ってもらって……。
「ダメ?」
「ダメじゃないですけども」
「そ、じゃあ決まり! こっちこっち、付いてきてくれるかな?」
「はあ。ええ」
線の細い顔をしているくせにしっかりした体格のアルシャイン卿に肩に腕をがしりと回されて、半ば連行されるようにしてリフレッシュルームを出て別の場所に連れていかれることになってしまった。
「寄宿学校の制服を着た銀髪の女の子です。見ませんでしたか? リフレッシュルームで待ち合わせをしていたはずなんですが」
「ああ、その子ならさっき副団長に何やら話しかけられてて」
「副団長? アルシャイン副団長ですか?」
「うん。何かそのあと肩抱かれてそのままどっかに連れていかれたみたいだったけど……」
「ど、どこに!?」
「そこまではちょっと……。口説かれてたのかな?」
「副団長恋人いなかったっけ?」
「何人かいた気がするけど、次に目を付けたのが女学生? とうとうロリっ子にまで手出したか」
「いや、それにしても、なんか似てなかった? 親戚かもよ」
――リギア……!
のちほど待ち合わせ場所のリフレッシュルームに定時上がりでやってきた婚約者ラドゥ・バルファークが、リギアがいないことをその場にいた人々に聞いてまわり、ちょっとした騒ぎになっていたことをリギアは知らない。