018 アルシャイン邸へ赴く馬車の中にて
馬車に乗り込み、進行方向向きにラドゥと並んで座ると、馬車はガタゴトと動き出した。北辺境伯の王都にあるタウンハウスで使っているしっかりした馬車なので、砂利道でもそれほど揺れずに快適である。
馬車は学園通りから噴水広場を通って街中から少し高台にある貴族邸がある地区を走っていき、門番が大きな門を開けて馬車を誘導する。正門からも長い石畳の整えられた道を庭園を眺めながら通って、やっと豪奢な邸前に到着した。
「すごいね、パパんち広い。ほんとにお貴族様なんだ?」
「十年くらい前の戦争で功績を上げたアルシャイン子爵の邸だから」
「まあバルファークのお城より小さいけども」
「うちはほら、田舎だし土地だけはあるから……王都だけでいったらうちのタウンハウスよりこちらは広いと思うよ」
「え、なんかすごい」
だがカレブは独身なのでここに住んでいるのはカレブと使用人くらいだろう。
付き合っていた女性とは、先日のリギアも現場にいたあの広場で破局したようだし、新しく付き合いだした女性もいなさそうだから、これだけの広い邸で独り身なんて何だか寂しい。
まあここまでの資産家で、口うるさい義両親もいない独身男性ならかなりの優良物件とみなされて、財産狙いの先日の彼女のような女性がわんさか現れそうだ。
何気に整った甘いフェイスで身体付もセクシーな男らしさがあり、性格もフェミニストなチャラ男だからそれなりにモテてウハウハしているだろうとリギアは想像する。
――普段からシャツはだけてでっかい雄っぱい見せつけて歩いてればお貴族の女性なんて鼻血ものなんじゃないの。雄っぱいの大きい人の考え方はわかんないや。
「副団長はたしか傭兵団出身で元平民だったけど、ソードマスターになってその腕一本でここまでの地位に上がった叩き上げの人だから。国王陛下にも目を掛けられているから、この王都でもこんな広いお邸を与えられてるんだよ」
「チャラチャラしてても結構すごい人なんだね」
「僕のほうがリギアのお父上のこと知ってるって何だかおかしいよね。ミルファ様はどうして副団長のことリギアに話さなかったんだろう?」
うーん、とリギアは首をひねった。確かに母ミルファはカレブのことを悪く言ったりしなかったが、同時にそもそもカレブのことをリギアに話すことも少なかった。
「自分の黒歴史掘り起こされるからじゃないのかな。私ってほら、パパはいわずもがなだけど、ママにとっても想定外だったみたいだし」
「リギア……」
昔、リギアが寝て遅い時間にトイレに行きたくて目を覚ました際、祖父母と母が就寝前の寝酒を楽しんでいたとき、母が苦笑しながら言っていた。リギアがいなかったら今でも歌手やっていたかも、と。
歌手を目指したはいいがスポンサーがつかなければその日暮らしと変わらないし、子供育てるなら安定した薬師の道を選ぶほうがいい。
自分のせいで母が夢を諦めたのかと思い、自分は親の金で寄宿学校で騎士を目指させて貰えていることに申し訳ないと思っていた。そのことを母に一度謝ったことがあるが……。
『何変な事で謝ってんの? ネタ? てか、逆にリギアがいたから今の薬師としての道に戻れたんじゃないの』
と鼻で笑われて終わった。ミルファにとってはしょうもない話だったらしい。そういうもんかなあ、と何だか腑に落ちない。
首を傾げるリギアの手にそっと手を添えて、ラドゥは言った。
「……でも、そうだね。副団長とミルファ様が出会って、恋をしていなければ、僕はリギアとは出会えなかったから。僕はお二人にすごく感謝してるよ」
「おにい……」
リギアの手を取ってその手の甲にそっと口づけしながら、ラドゥは上目遣いにリギアを見る。春の新緑のような、エメラルドのような瞳に吸い寄せられそうになる。
「私も、おにいに出会えて良かったと思ってるよ。お嫁さんに貰ってくれるって言われてほんと嬉しかった。あ、じゃあさ、おにいが病気で倒れて、ママが薬師として呼ばれたのも運命だったのかも?」
「成るべくして成ったんだろうね。人間の出会いと別れなんてそんな感じだろうし」
「あはは。そういえばママもそんなこと言ってた。いつも簡単な理由で別れたり出会ったりするって」
「そして運命の巡り合わせでふとしたことから再会もする。……こないだリギアが言ってたけど、ミルファ様が副団長に会いにくるんだろ?」
この前通信魔道具でミルファと話した際に、カレブがリギアに親子の籍を入れたいと言っていたことについて、ミルファが王都に出向いて直接カレブと話したいと言っていたのを、リギアはラドゥにも話していた。
「うん。私の卒業と騎士団入団の準備もあるからついでって言ってたけどさ」
「……一体どんな話するんだろうね。父上大丈夫かな? ミルファ様に捨てられたりしたら困るなあ」
「それは大丈夫だと思う。ママもいい年だし。年齢のこと言うとブチ切れるけど」
「ははは。なら大丈夫か。副団長には悪いけど、僕は父上を応援させてもらうよ」
二人で笑い合っていると、馬車のドアがノックされ、「え、何」とそちらを向くと、開けていいと言ってないのにがちゃりとドアが開いた。申し訳なさそうな御者がドアを開けて、その向こうにガタイの良い上背のある貴公子が立っていた。
一瞬誰かと思ったら、それはきっちり正装したカレブ・アルシャインその人であった。
「……お二人さん。馬車はとっくに停車してんのに、中で一体何やってたんだ?」
狭い馬車の中で手をつなぎ合っていた二人を見て、笑顔を引きつらせながらそんなことを言うカレブに、リギアとラドゥは慌てて手を離した。
「ご、ごきげんよう、副団長。別にいかがわしいことはしておりません」
「ういっす、パパ。大丈夫、まだ何もしてない」
「まだってなんだよ! お前ら、不純異性交遊は禁止だろ」
「おまいう」
「お前ちょっと黙れリギア。てか早く降りろバカップル」
若干だだをこねるみたいに下車を促す父親のジェラシー全開な姿に、リギアとラドゥは思わず吹き出しそうになるのをこらえていた。