1.神隠し
その時僕は居酒屋で友人に管を巻いていた。
「だからさあ」
酔っぱらいの性質の悪い絡みだ。
「すっげえだよ。すっげえ好きになった女がいてさ」
友人が話を聞いてくれているのかどうかすら定かではなくなっていた。
僕はただ言いたかっただけだ。
心の中にためておけなかっただけだ。
「その女をずっと好きでい続けられるのかってことだよ」
僕は肯定してほしくて言っているのか、それとも否定してほしくて言っているのか。
例えば否定されればそれに絡み、肯定されれば「でもよお」とさらに絡む。
いずれにしたって絡みたいだけの酔っぱらいだ。
「だってよお。どんな美人だって年を取るんだぜ。しわしわのよぼよぼになっちまってよお。性格もねじ曲がっちまって、それでも好きだとかさあ。嘘だろ、そんなの。ねえよ、絶対」
「さあな。知らねえよ、そんなの」
友人は確かそんなことを言ったように思う。
「だったらよお。なんで人なんか好きになるんだろうなあ」
僕の記憶はいつもここで終わる。
友人は何か気の利いた返事をくれただろうか。
いや、そんな気の利いた友人はいないはずだ。
だからきっと「さあな」と返されたに違いない。
僕は車窓の流れていく景色を眺めながらぼんやりと思い出していた。
なんで今頃あれを思い出すのだろう。
郷愁なんてものはない。
そう思っていた。
それでもやはり懐かしさが記憶を呼び戻すのだろうか。
「工藤さん」
名前を呼ばれて我に返った。
「もうすぐ着きますよ」
僕より10歳は若いアシスタントの女性。
彼女に僕はどう見えているのだろう。
職業柄人に会って話を聞かなければいけないのに、どうもこのごろは人見知りで困る。
余計なことを言ってセクハラだ、パワハラだと言われたくないせいかもしれない。
先輩は数か月前に「いいか、俺が言ったことをいちいち上に報告なんてすんじゃねえぞ。俺のは愛情なんだ。お前らが好きだから言ってやってるんだ。勘違いすんなよ」と部下に言って左遷された。
先輩のセリフが間違っているとは僕も思うが、言っていないセリフではめられるってこともあるかもしれないと思うと身が縮む。
「ここ、工藤さんの生まれ故郷なんですよね?」
「生まれ故郷っていや、まあそうだけど。あんまり思い出ないんだよな」
「そうなんですか?でもあるんじゃないですか?昔の恋バナとか。うふふ」
おっさんの恋バナなんか聞きたいか?
やさぐれた気持ちを抱きながらもこいつは人懐こいよなと思う。
聞きづらいことも平気で聞くような図太さも併せ持っている。
いかにも記者向きかもしれない。
「黙っちゃってもう、なんか思い出してたんでしょ。隅に置けないですね工藤さんも」
「いや、行平。それ、気の利いた話がなかったら返事に困るやつだろ。逆セクハラだぞ」
「うっわあ、工藤さんもセクハラとか言っちゃうんだ。やだやだ本当に世知辛いっすね」
僕は心の中で前言を撤回していた。
記者向きというか空気読まなすぎだ。
組むやつがいないせいでなぜか僕に押し付けられる。
たまには文句を言ったほうがいいんだろうな。
都心から電車に揺られること2時間。
長野県のM町に到着した。
「でもずっと鈍行列車ってどうなんですかね。もう腰痛いですよ」
「年寄臭いこと言うなよ。僕より若いだろ」
「工藤さんより若いことと腰が痛いのに関係あります?」
そう言われてみればないな。
変なことばっかり言う割に核心をつくやつだ。
「あ、いまうざいとか思いましたよね。いいんですよ、ほんと。あたしだってみんなにうざがられてるのは知ってるんです。工藤さんくらいしか相手してくれないですもん」
やばい、いきなりサゲモードに入ってしまった。
僕はとっさに話題を変える。
「そんなことより関係者から話を聞く約束は取れてるんだよな?」
「当り前じゃないですか。あたしは仕事はできる子なんですよ?」
関係者から話を聞くから刑事とは限らない。
週刊誌の記者だってこうして話を聞きに来る。
しかし話がオカルトめいているせいか誰も出張に名乗り出ない。
「そういや工藤、お前の故郷って長野だよな。お前行って来いよ。里帰り代わりにさ」
「じゃあついでに行平も行って来いよ。手空いてんだろ?」
こういう時は話がまとまるのが異様に早い。
里帰り代わりってなんだ?
里帰りついでに仕事してこいって鬼じゃないのか?
不満を心に飲み込み、ポーカーフェイスで生きてきた。
つもりだった。
「でも工藤さん、心の中で考えてること顔にでまくりですよね」
ある日行平に言われて気が付いた。
他のやつは気をつかってそんなことは指摘してこない。
ああ僕はポーカーフェイスもできないのか。
さておき、M市で起きた事件のあらましはこうだ。
ある朝30代のOLが通勤途中で神隠しにあった。
そして一週間後に解体予定の家屋の中から死体で発見された。
容疑者としてOLに付きまとっていた同僚の男が浮かび上がった。
しかし男は容疑を否認。
「記憶にないしもう彼女には会ってもいない」
男はそう言った。
確証が得られないまま時間が過ぎていく中、今度は男が神隠しに会った。
しかも衆人の見ている中で忽然と姿を消した。
姿をくらます直前、男は何かを見て驚いていたと言う証言がある。
「その男の人だけどね、なんかを指さしてたのよ。で、なんか驚いたように叫びそうになって・・いきなり消えちゃったんだ」
事件は2か月前に起こり、男はいまだに見つかっていない。
「タイトルは神隠しの街で決まりですかね」
「安直だな」
「だって連続殺人にするにはまだ男が生きてますもん」
「生きてるかわからないじゃないか」
「またまた、夢がないなあ」
二人並んで歩いていると目つきの鋭いやくざ風の男が近づいてきた。
「またお前らか」
男は刑事だった。
「奇遇ですね。僕もちょうどあなたに会うような気がしていたんですよ、金城さん」
「奇遇とは思わんな。俺からすれば付きまとわれているとしか思えん」
「またまたあ、金城さんだってあたしに会いたかったんじゃないですかあ?」
性格は破綻しているが見た目は整っている行平が言うとそれなりに説得力はあった。
心なし顔を赤らめた金城刑事は「いいか、今度は邪魔するなよ」と言って去って行った。
「邪魔なんかしたことありましたっけ?」
「ありありじゃないか?仕事柄仕方ないけどな。でも金城さんが行平に会いたかったってのは間違ってもいない気がしなくもないな」
「なんです?そのやたら歯に物が挟まったようなもの言いは」
「なくなくない?」
「またまた、若ぶんないでくださいよお。へそが茶を沸かしますよ」
「じゃあ飲め。飲めばいいだろう」
「やだなあ、怒んないでくださいよお」
工藤と行平は殺されたOLの勤めていた会社を目指した。
陽はまだ高かった。