影と踊る更待月 3.5話
アーリスからの手紙。
『ネリネの花が咲き誇る季節となりました。コージャイサン・オンヘイ公爵令息様におかれましてはますますご清祥のことと存じます。
このたびは妹へのお見舞い、また我が家の失態をお目溢し、そして多大なご尽力をいただきありがとう存じます。
妹の部屋へご案内した時、まさかあのような場面に遭遇するとは思ってもおりませんでした。
あの家庭教師は優秀であるとの評判でしたし、妹は特別優れているわけではありませんから、あなた様に釣り合うべく少し無理をしてでも努力しているのだと私は思っていたのです。
ところがそれはとんだ心得違いでありました。
怒りで我を失いそのまま部屋に入ろうとしましたが、それをあなた様に止められた時、私は腑が煮え繰り返る思いを抑えきれませんでした。
「公爵令息は他人だからそのように仰るのだ!」
己の愚かさには申し開きもございません。誠に申し訳ございませんでした。
「ご家族をあのように言われたのです。頭にきてしまうあなたの気持ちも分かります。さぁ、今後のことを話しましょう」
あなた様は寛大な心で許してくださったばかりか、私を安心させるために微笑んでくだいました。けれども、どうしてか私の体は情けなくも震えてしまい申し訳ない思いでしたが、後になって思えばあなた様も相当にお怒りであったのだと理解出来ました。
しかしながらそんな怒りを覚えられても感情が先走った私に比べあなた様は冷静でした。
「今乗り込んでも子どもの戯言と流されてしまう。それにあの家庭教師を罰する裁量権はあなたにはないのでは?」
と宥めてくださいました。
全くその通りでございます。あなた様や妹より年上と申しましても私もまだ学園にも通えない子どもです。
きっと家庭教師に言い負けていた事でしょう。
「相手が大人であるのならば大人をぶつけましょう。それも相手が逆らえない立場の者を」
そう仰った時、私は公爵閣下をお呼び立てするのかと思いました。それが叶ったのなら妹のためになんと恐れ多いことでしょう。
けれども、あなた様が指名したのは我が父でした。正直なところ、なぜ、と思いました。
ですがあなた様は続けたのです。
「ここはクタオ伯爵邸です。誰よりも裁量権を持ち、誰よりも威厳を持たねばならない人物はオルディ・クタオ伯爵です。お優しいお父上だと知っています。ですがここは当主として彼に裁いていただきます。イザンバ嬢の為ならばお父上も心を鬼にしてくださるはずです」
ああ、私はなんと浅はかだったのでしょうか。
あなた様が父を立てる事を考えてくださったなど思いもよりませんでした。
「あの家庭教師がイザンバ嬢の負担になっていることは明らかです。今ですらあの態度……恐らく日常的にあのような言葉を投げつけられていたのでしょう」
日常的にと聞いて私は目の前が暗くなりました。共に生活していながら気付かなかった己の不甲斐なさにまた怒りが込み上げたのです。
「なぜ……一言でも助けてと、僕たちに相談してくれたら……!」
そんな妹への不満まで出ました。
「イザンバ嬢は初対面の相手を気遣える人です。ご家族に心配をかけまいとしたんでしょう」
そう言われて涙が出そうでした。確かに妹は使用人たちにもすぐに「大丈夫?」とその身を案じるような子です。
「家族だからこそ遠慮なんてしなくていいのに……」
こぼれ落ちた私の悔しさにあなた様は
「私もそう思います」
と仰いました。私たちの前ですら隠し通した妹です。きっとあなた様の前でも何も言わなかったのでしょう。
私は年上でありながら誰よりも自分の事ばかりで恥ずかしくなります。
「あの家庭教師は常習犯でしょう。勉強が再開されたらすぐにでも現場を押さえましょう。もちろんその時にはクタオ伯爵と共にです。決して一人では乗り込まないように」
ご指示いただいた通り、勉強が再開された時にまずは私が様子を窺いました。
家庭教師の口から出るのは聞くに耐えない言葉ばかりで、またしても私は飛び出しそうになりました。
しかし寸でであなた様の言葉を思い出し、両親の元へと駆け込みました。
その必死さが伝わったのでしょう。父はすぐに動いてくれました。
あの時の父は普段と違い、とても凛々しく見えました。
また母もさすが社交界に出ているだけあって見事家庭教師に言い勝ってくれたので、私は胸がすく思いでした。
また、その後の対処についても
「あのような者は弱者のみに強くでる。それに引き換え権力には弱い。使えるものは使いましょう」
とご助言いただいた事、結果としてあの家庭教師に罰を下すことができた事、お礼申し上げます。
こういった場合の権力の使い方はさすが公爵令息だと敬服いたしました。
家庭教師の評判が一晩にしてひっくり返ったのですから鶴の一声とは正にこのことでしょう。
また裁判局への訴えから判決の早さも目を見張るものでした。
公爵閣下ならびに公爵夫人にもご助力いただき恐縮の極みでございます。
そして、あの時の私は怒りや動揺で頭が回っていなかったのは事実ですが、
「イザンバ嬢には私が見舞いにきたとだけお伝えください。本人が隠しているのなら無理に暴くつもりはありません。この先起こることは全て偶然ですから」
仰られた通り、妹には「お見舞いに花を持ってきてくださった」と伝えましたが本当によろしかったのですか?
妹も大概ではございますが、あなた様ももう少しばかり言葉をお出しになるべきではないかと私は愚考します。
お陰様で妹はだいぶらしさが戻ってまいりました。
多少、いえ、少し……かなり本への執着が増したようでパワーアップした感じは否めませんが、以前のように笑顔を見せてくれているので家族は皆安堵しております。
今後の勉強についても、オンヘイ公爵家からご支援をいただくことになったと父が申しておりました。
これほどに安心感があり、これほどに心強いことはありません。恐縮至極に存じます。
なにぶん変わったところのある妹ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
私も来年からは学園に通う身となります。あなた様のようには難しいやもしれませんがこの恩義に報いるため精進して参る次第です。
末筆ながら、あなた様のいっそうのご活躍を心よりお祈りいたしております。
アーリス・クタオ』
活動報告より少し手直ししてます。