影と踊る更待月 2.5話
両親達の会話。
子どもたちが庭に出ていく姿を優しく見守るオンヘイ公爵夫妻。入室してからずっと緊張で固くなっているオルディは脇腹をフェリシダに突かれて意を決してゴットフリートに尋ねた。
「公爵閣下、よろしいでしょうか?」
「何かな?」
「この度は……——誠に申し訳ございません!!」
勢いよく頭を下げるクタオ伯爵夫妻。突然謝罪に公爵夫妻は驚いた。
そこへオルディがさらに言葉を続ける。ここで勢いを止めれば彼はもう口を開けないような気がするから。
「その、ご子息よりお聞きになっているかとは思いますが、お出会いした時に娘の方から無礼があったと私どもは聞いております!」
無礼と聞いてゴットフリートは首を傾げた。そして思い当たる出来事が一つ。
「……ああ、もしかして蛙のことだろうか」
「ふふ、気にしないで。ちゃんと避けなかったあの子が悪いんだもの。中々剛毅なお嬢さんね」
上品に微笑むセレスティアだが、いきなり飛びつかれて避けられる人の方が少ないのではないだろうか。それも十歳の子どもだ。
お褒めの言葉をいただいたが、すでに伯爵夫妻は恐縮しきりだ。
「あの、なぜうちの娘が選ばれたのでしょうか。親の私共には可愛い娘ですが、ご子息に釣り合うほどのものは持ち合わせていない本当に普通の娘です」
オルディが尋ねたのは婚約の理由。親の欲目では可愛くて仕方がないが、見た目も中身も平凡な……いや、ちょっとだけ変わった子だ。
それに娘のせいではないにしろ蛙を顔に当て、あまつさえ素手で捕まえたのだからその時点で対象から外されているだろうに。
ゴットフリートは微笑みを浮かべながらその理由を告げる。
「息子が唯一興味を示したのがご息女でしてね。たとえば蛙が潜んでいたブーケ。それを作ったのはうちの庭師なんだがとても職人気質の頑固な人物でね。客、それも貴族と言うだけで話し相手をするような質じゃないんだ。まずその時点で我々も驚いたよ」
「その彼がわざわざブーケを作ってご息女に差し上げたの。それだけでご息女の人柄は分かると言うものよ。庭師にも確認したら『一職人として尊敬して立てていただいた』と言っていたわ。ご息女は素晴らしいわね」
続くセレスティアの言葉は娘を褒めるもので親としては嬉しい。けれどもオルディは違う意見のようで。
「あの、庭師に限らずですが、その、貴族だからと言うわけでもないですが、自分にできない事ですので、えー、職人を尊敬するのは普通では……」
「その『普通』を一体どれだけの貴族ができるかしら。自分では何も出来ないくせに職業や身分だけで見下すものの方が多いのではなくて?」
「えー、その……何と、あの、申しますか……」
貴族という身分でありながら、と言うか元王族でありながら貴族の在り方を批判するセレスティアにオルディはどう答えるのが正解かわからない。だって彼も貴族の端くれだから。
そこは助け舟のようにゴットフリートが舵を取った。
「それに蛙が飛びついた時、息子は驚いて動けなかったらしい。だが、ご息女はすぐに動いて息子を心配してくれたそうだ。その心配も保身ではなく蛙の毒の危険性による失明を心配してね」
「その上、励まそうと縁起話をしてくれたとか。毒のことも縁起の事も中々知る機会の無いものよ。博識だと感心したわ。それなのにあの子は随分と冷たい言い方をしたようで申し訳ないわ」
セレスティアはそう言ってくれるが実態を知るフェリシダとしては居た堪れない。
「知っていたのはたまたまでして……ええ、それはもう本当に偶然でございます」
「あら。だとしても記憶に留めて活用までしているのだから立派よ」
またさらりと褒めてくれる。公爵夫妻の中で娘の評価はどれほど高いのかと伯爵夫妻は違う意味で震えてきた。
「ふとした危険に咄嗟に反応して、その上相手の身を案じる事ができる人間は少ない。それに普通の貴族令嬢ならまず蛙が出てきた時点で叫ぶか気絶するものだと認識しているんだが」
「それは……その……はい。その点では娘は普通ではありません」
ゴットフリートにそう言われてオルディの冷や汗が止まらない。普通だと言った舌の根も乾かぬうちに普通ではないと言ってしまっているのだから彼の混乱も一入だ。
「それに思いやりがあって表情豊かな子だと聞いたわ。お二人が愛情を持って接してきてからこそよ。誇りなさい」
「勿体無いお言葉です」
フェリシダは畏まって頭を下げるが、愛情を持っていることは確かなのでそこは素直に誇ろうと思う。
セレスティアはそれに満足げに頷くと、今度は困ったように頬に手を当てた。
「それに比べて……あの子は我が子ながら子どもらしくないのよね。ゴットフリートの才能をそのまま受け継いでいるから張り合える相手が少なくて。いつもつまらなさそうな顔して、傲慢でないだけマシだけれど感情の機微に乏しいのよ。表情豊かなお嬢さんがそばに居てくれたらあの子の情緒もまともになるのではないかと言う打算もあるの」
ただでさえ恵まれた生まれだ。それだけでもやっかまれるのに、優秀な公爵令息は優秀すぎるが故の退屈や孤独を抱えているようだ。
返答に困り眉を下げた伯爵夫妻にゴットフリートが続けて言う。
「我が家は政略結婚を求めていない。私は防衛局長で、妻は王妹だ。これ以上の地位も権力も金も持ってもしょうがないからね。まぁ、面倒は避けたいから派閥の確認はしたけど、うちとクタオ伯爵家なら結びついても何の問題もない」
「恐悦至極にございます」
オルディはそう返すしかない。
二つの家が結びついても公爵家は現状維持、伯爵家のみ恩恵を受けるような立場だ。もちろん受けるのは恩恵だけではないのだが。
ゴットフリートもそれは理解しているからこそ先手を打つ。
「とは言え外野はうるさくなるだろう。あなた方には要らぬ苦労を強いるだろうが大切なご息女を頂きたいと申し出たのはこちらだ。防衛局の諜報部を見張りにつけるから身の安全は保証しよう」
「閣下、あの、それは職権濫用になるのでは……」
「ははっ、細かいことは気にしなくていい。使えるものは使わないとな」
オルディが言ったところでカエルの面に水である。
ゴットフリートもなんといい笑顔で言うのだろうか。眩しすぎて伯爵夫妻は目を開けていられない。
「子どもを守るのは親の勤めだ。二人のことを共に見守ってくれたら嬉しいよ」
公爵夫妻の決定は覆らない。そこまでして娘を気にかけてくれると言うのならば、オルディも父として、そして一伯爵として腹を括る。
「……はい。ふつつかな娘ではありますがよろしくお願いいたします」
こうして両家の父親は固い握手を交わした。
ちなみに後年、令息の部下が『何であの人、今まで無事だったんだ?』と抱いた疑問の答えがこれである。
イザンバが学園を卒業するまで誘拐や詐欺に合わず無事にいられたのはコージャイサンはもちろん影で両家の父母、さらに諜報部が動いてくれていたからなのだが、当人は知らぬ話。
年齢順だけで言うなら
オルディ>フェリシダ>ゴットフリート、セレスティアです。
活動報告より少し手直ししてます。