手折られた花のその名前 9.5話
防衛局の面々は見た!
この場を立ち去り早足で歩く一団に落ちる沈黙。耐え切れなくなったのかサナが一人捲し立て始めた。
「コージャイサン様、嬉しそうだったね! あんなに嬉しそうな表情、初めて見たからびっくりしちゃった!」
「うん」
静かにココが頷いた。先ほどまでの元気な様子はない。
「婚約者さんと仲がいいって噂、本当だったね! メイドさんの方が美人だったし、スタイルも良かったけど、あの人もなんか可愛いし、いい人っぽかったし!」
「うん」
今度はロクシーが。それでも言葉を続けられずに短く終わる。
「それにあの婚約者さん『ザナ』って呼ばれてたね! 私は『サナ』だから似てるよね! こんなことあるんだね。だから……だから……私の名前も、覚えてくれてたんだ」
これには二人も言葉を返せない。
たかが一度、されど一度。好きな人に名前を呼ばれて舞い上がらない訳がない。
けれども婚約者は名前だけでない。
——愛称を
——視線を
——気遣いを
当たり前のように享受していた。それはサナが自分に向けて欲しいと願ったもの。
ボロボロと涙を流しながら、なおもサナは口を開く。
「わたし…… 私だって好きなのに……婚約者だからってあんなの、ずるい」
「ごめんね。あたしたちがけしかけたから」
ロクシーの鎮痛な面持ちにサナはゆっくりと首を振った。
「ううん、私も期待しちゃってたから。でも、もう無理だよ。頑張ろうと思えない。だって、全然違うもん。あんなの見たら……婚約者さんも……それにコージャイサン様も、ちゃんと想いあってるって分かるもん」
「うん」
「私、コージャイサン様のこと、諦める。この恋はもう…………終わりだよ」
「……うん」
ココとロクシーは涙を流すサナに寄り添った。
反対に一人でズカズカと足音荒く進む受付嬢。
今日の訓練公開日に珍しい客人。そう、コージャイサンの婚約者がやって来た。
たが、今まで一度も来ていないのだからどうせ相手にされていないだろう、と見に行けば……なんだアレは。
コージャイサンの表情も、声も。彼女がどれだけ笑いかけても、誘っても、変わらなかった何もかもが別人と見紛うほどだ。
やりきれない、そんな思いを抱いて自分の持ち場近くまで戻ってきた。
どうにも腹に収まりならない衝動を持て余していると、帰路に着く令嬢たちの姿が見えた。
——いいわね、お嬢様は。馬車で優雅に帰れて。こちとら歩きよ?
言ってもしょうがない事だが、とにかく今は目につく全てのものが癪に触る。
ふと、ある事を思いついた。
——あの女、伯爵令嬢なんだから馬車よね。あたしがこんな思いしてるんだし……。
少しくらいいいだろう。そんな独りよがりな思いが顔に出た。
馬車止めに向かった彼女が探すのはクタオ家の馬車。
——あった。
さて、扉を焦がすか、車輪に細工するか。そんな事を考えながら杖を持って馬車に近づいたが、すぐに足を止めた。
馬車の前、まるで地獄の番犬かと言うような厳つい大男が立っている。
思わず引き攣った喉に大男——ファウストが気付いた。視線を受付嬢に向けると口を開く。
「この馬車に、何か御用でしょうか?」
特段凄まれたわけではない。それでも、漂う威圧感に受付嬢の足が震えた。
まごつく受付嬢にファウストは再度問う。
「お嬢さん、何か御用でも?」
「あ、あの……その……」
「その杖で、魔力で、何をするつもりで?」
「いいえ……何も。何もしません!」
杖を背後に隠し、すぐに立ち去った。走る体にまだ恐怖が纏わりつく。
——ダメだ! 何もしちゃいけない!
寸でのところで思い直したが、面会承認の件と合わせて後から上役に呼び出しをくらう事になったのは、まぁ仕方のない事だろう。
一方でその場に留まり、繰り広げられる二人のやりとりを見つめる目。
ニヤニヤとしながら見ていたマゼランとクロウだが、もう我慢ならんとマゼランが口を開いた。
「うわー! クロウ、見た⁉︎ ねぇ、見た⁉︎ ヤバくない⁉︎ 明らか婚約者ちゃんついてこれてないのにコージャイサンめっちゃ飛ばすじゃん!」
「あーもう、耳元でうるさい! 耳がバカになるだろ!」
真横からの大音量に耳を押さえながらクロウは訴えるが、マゼランは大層都合のいい耳を持っているようで。
「耳バカなの? 魔導具作ってあげるよ! そんなことより、コージャイサンだよ! 好きって感情だけでここまで表情変わるの⁉︎ じゃあ、その感情を意図的に増幅したり、減少したらどうなるんだろ? そういう術式あったよね⁉︎」
「禁術だからやめとけって。それにアイツの感情を弄ろうとしても返り討ちにあうだけだぞ」
確信を持ってクロウは断言する。
そもそも人の感情を他者が弄るのは難しい。魅了魔法が禁術とされるように、何かしら代償がある。場合によってはとてつもなく大きな代償だ。
が、やる気になったマゼランも大概なにをするか分からない。お約束のようにクロウの静止を無視した彼の視線はイザンバに向いている。
「アハハ! 見て見て! 婚約者ちゃんは真っ赤になったり青くなったり! 何アレおもしろー! もっと近くで見たいなー! オレが触ってもあんな風になるのかな⁉︎ 抱っこはしなくていいって言われたけど、どこまでなら触ってもいいのかな⁉︎」
「それはほんとマジで絶対にやめとけ! 今度は氷漬けにされるだけじゃすまないぞ!」
具合を悪くしたイザンバを抱っこしようとして、その手を叩き落とされたばかりだろうに。
マゼランのことだ。限度を理解しているのかも怪しい。
凍らされるだけなら御の字。最悪砕かれる様を想像してクロウは必死に止めた。
だと言うのに、マゼランの関心はコロリと変わる。
「いーよー! あれはあれで面白かったし! 縛られるのとはまた違う拘束力って言うかさ! てか、あの氷どこまで冷たく出来んだろ? 持続時間も調整出来るのかな?」
「はぁ、チックたちがだいぶ震えてたからそこそこ下がるんじゃないか。時間はアイツ自身が調整してるんだろ。お前のは溶けるの早かったから」
「まじかー! アイツほんとすごいね! なら、どこまで冷たくできるのか、最長どこまで保たせられるのか、オレ被検体になるから今度頼んでみよ!」
「バカだろ! 未来永劫氷の中にいる姿しか見えないけど⁉︎」
果たしてクロウはマゼランの好奇心を止めることが出来るのか……。
ニヤニヤとして見ていたのは彼ら三人もだ。チック、ジュロ、フーパはこてんぱんに打ち負かされ服もボロボロになったので、騎士棟へ着替えに戻ろうとしてこの場面に遭遇した。
「いやー、婚約者を振り回してんねー」
とフーパが笑いながら言い。
「アレは振り回されてんじゃないの?」
とジュロが同情を向け。
「まぁ、よく耐えたな」
とチックが健闘を讃えた。
婚約者に口付けようとしながらも、彼女が本当に嫌がりそうなことはしていない。デコピンをしたのは意外だったが、それもかなり手を抜いたものだろう。彼らとの差を見れば一目瞭然だ。
強引にいくこともできるだろうに。
恥ずかしがる彼女の様子にコージャイサンが合わせている、彼らはそんな風に捉えたのだ。
先程の宣言の通り、本当に彼女一人を欲し、大事にしているのだろう。
それにしても、とチックから漏れた声。
「全く……人目も憚らずにイチャイチャしやがって……」
「本当それ。周り見えてなさすぎ……あれ? でもオレらと戦ってた時はかなり視野広かったよな」
ジュロが疑問を持つと。
「え? もしかして、ワザと見せつけてる?」
フーパがその可能性に気付いた。
三人は顔を見合わせ、もう一度二人の様子へと目を向ける。
——頬を染めながら拗ねたような表情をする婚約者
——額に触れる手を大人しく受け入れる婚約者
——可愛らしい笑顔をコージャイサンに向ける婚約者
さらに、差し入れを手すがら渡したり、髪を拭いてあげたりと甲斐甲斐しく世話もしていた。
彼女の表情から伝わる信頼と愛情、そして献身。コージャイサンはそれを一身に受けている。
訓練の後に恋人からそんな風に労ってもらう。ああ、もう心底……
「羨ましい!!!!!!」
声を揃えた彼らの思いの丈は……さてはて、誰かに響いたのだろうか。
建物の影でひっそりと涙を流す誰かの姿。から元気で友を慰める誰かの姿。重い足取りで家路に着く誰かの姿。
その近くを茶髪で細身の貴族男性が通り過ぎて行く。共に歩く男女と演習場の話題で、その後に見かけた二人の話題で盛り上がりながら……。
想いが、風となって駆けた。