蜜月の一対 4.5話
ゴットフリートとナチトーノと隣国の皇帝たちの会話。
ここはジャイナズ帝国、王城の謁見の間。ここにいる人数は五名と少ないが予定調和の挨拶から始まり、分かりやすい皇子の変化を揶揄い、さらに火の天使のあれこれの説明までを終えた後、皇帝があまりにも軽い調子で言った。
「ゴットフリート。お前、やはりこちらに来ないか?」
「ご遠慮させていただきます」
しかしゴットフリートはにっこりとした笑顔を添えて即答である。実は昔馴染みの二人。このやり取りも一体何度目だろう。
「相変わらず即答か。我はお前の力を買っている。お前ほどの男なら軍事のトップだけでなく国の一つや二つ治められるだろうに」
「ご冗談を。私は愛する者の平穏を守るので手一杯です」
「謙遜もここまでくると嫌味だな。いや、一所に留まってくれているだけ有難いか」
強大な力を持った者が根無草でいる方が脅威である。
「我が息子の元にそちらから妃として相応しい女性を迎えられるのなら国としての繋がりは十分なんだが……」
皇帝はナチトーノに視線を向けた後、ニッと口角を上げた。悪戯を閃いた子どものように。
「そうだ。お前が来ぬのならコージャイサンとうちの皇女を縁付かせるのはどうだ。より強固になるぞ」
「お断りします」
「だから即答はやめろ」
「ほう……陛下はよほど歴代の王として名を連ねたいご様子」
その言葉にギクリと肩を揺らしたのは誰だろう。なにせゴットフリートの目が笑っていないのだから。
宰相の背を嫌な汗が流れた。
「へへへ陛下は何を言っているんですか⁉︎ そんなありえない事を仰らないでください!」
さらに内心に焦りを抱えたシュートも続いた。
「陛下。公爵令息の婚約者はナチトーノ嬢と友人であると。二人はとても仲睦まじいとナチトーノ嬢からも聞いています。あちらの宴で私が見かけた時もそんな様子でした。それに結婚も間近だとか。二人の結婚式をナチトーノ嬢もとても楽しみにしているんです」
「それは知ってる」
真面目な顔をして言い募る息子に対して、皇帝は頬杖をつきさも当たり前のように言う。その態度に察しの良い皇子はこめかみをひくつかせた。
「ならばなおの事引き裂くような事はおやめください。ナチトーノ嬢を悲しませるような事は言わないでいただきたい。大体思いつきでものを言うなどあちらの王子と同じじゃないですか!」
「殿下、今重きを置くのはそこじゃないです!」
「失礼。公爵令息は皇女どころか他の女性も、全く、これっぽっちも必要としていないと聞きます」
「左様にございます! 彼の息子なんですよ⁉︎ そんな事をしたらどうなるか……どうぞご撤回を! さぁお早く!」
「ええい、そう急くな! 言われずとも分かっておるわ!」
ところが揉める三人をよそにゴットフリートは同伴者の手を取るとエスコートの姿勢をとった。
「イスゴ公爵令嬢」
「はい」
「こんなのを義父と呼びたくはないだろう。気まぐれでモノを言われては君の苦労は計り知れない。私にもツテがある。もっといい縁を探そうか」
「……え?」
これにはナチトーノも目を瞬いた。友好国の皇帝の前で、しかも皇子から求婚されている身の女性にそんな事を言うのだから。
何より彼女自身が皇子を憎からず思っている。
表情に出さないのは流石であるが、その心は彼の発言に間違いなく困惑を表していて。
しかし、ゴットフリートはただゆるりと口角を上げて微笑んだ。
目の前の人物の笑みがどういう意味か、思考を読めないナチトーノには分からない。けれども、彼女は淑やかな笑みを浮かべて言った。
「まぁ閣下。皇帝陛下をそのようにお呼びするなんて今のわたくしには恐れ多くてとても……。イザンバ様は閣下をそのようにお呼びに?」
「ああ。あの子にお義父様と呼ばれるのは嬉しいものだよ。ああ、皇帝陛下がそのように呼ばれるのはまだ先に、いや、もしかしたらなくなるかもしれないね」
「オンヘイ公爵家の皆様の仲がよろしいようで何よりです。わたくしは閣下のお心遣いだけ頂戴いたします」
「そうかい? 無理だと思ったら遠慮なく言いなさい。我が国の男たちもまだまだ捨てたものではないよ」
「ありがとう存じます」
さりげなく皇帝を煽るゴットフリートにナチトーノが内心でヒヤヒヤしていると、そこに不機嫌極まりない声が降ってくる。
「おい、ゴットフリート。お前、我をなんと心得ている」
「気まま者の皇帝陛下ですよ」
「我が息子の恋路を邪魔するか」
「先に仕掛けたのは陛下では?」
苛つきと共に威圧感の増した皇帝。
微笑みながらも決して引かないゴットフリート。
ああ、なんてこった。両者の間に火花がバチバチと散っている。
重苦しい空気の中、宰相の髪が儚く揺れる。一体どうするべきかと彼らが手をこまねく中、意外にも先に折れたのは皇帝だった。
「はぁ……その気を収めよ。先のは冗談だ。そのような事はせぬ」
「おや、冗談でしたか。それは良かった。なにせ妻もあの子が嫁いでくるのを楽しみにしているので」
渋面を作った皇帝だが、王妹であるセレスティアの事もよく知っているのだろう。「それ絶対手を出したらダメなやつ……」と宰相が胃を摩っているではないか。
「陛下、お戯れはそうと分かる程度に抑えられるべきかと」
「そうだな。戯れが過ぎた。許せ」
「そのように」
「では孫を縁付かせるのはどうだ?」
「しつこい」
いっそ不敬と言われてもおかしくないほどゴットフリートはばっさりと切り捨てた。なおも粘る皇帝に向けるのは白々しいほどの微笑みなのだが、顔にしっかりと「孫はやらん」と書いてあるのだから。
「固くお断りいたします」
見ている方がハラハラとしたが、剣呑な空気が霧散したお陰でナチトーノと皇子は揃ってホッと息を吐いた。そのタイミングが被った事が妙に気恥ずかしくて、二人は顔を見合わせて小さく笑う。
ふと、ナチトーノは視線を感じて顔を上げた。そこには父性を覗かせる神秘的な灰色の瞳。だが、それはすぐに厳しさを纏い皇子に向けられた。
「彼女は息子の嫁の友人だからね。私も気にかけているんだよ。この意味は分かるね」
「肝に銘じます」
——望むのならば守れ、と。
——託すに足る男であれ、と。
灰色の瞳は挑発混じりの発破を皇子にかける。
「お前……他国だというのに容赦がないな」
「気のせいです。それでは陛下、皇子の思い人との逢瀬の対価に希少花の苗を頂戴します。ああ、先程の件はたとえ冗談でも大変不愉快でしたのでイスゴ公爵令嬢へプレゼントする為の許可で手を打ちましょう」
「はっ。我を相手にこうも我を通すか。しかし希少花を欲するには対価が少な過ぎると思わんか?」
「おや、ご子息の恋路を邪魔するおつもりで?」
「ああ言えばこう言う。よい、好きにしろ。その代わりお前の妻には言うなよ。あれは口煩くて敵わん」
「そこがティアの魅力の一つですよ」
「惚気はいらぬ。シュート、温室に案内して苗を選んでやれ」
皇帝は軽く手を振り息子に退室を促した。
「かしこまりました。ナチトーノ嬢、お手を取る許可をいただけますか?」
「喜んで。皇帝陛下、御前失礼致します」
「ゆっくり見てくるといい」
皇子の恋を見守り隊隊長の皇帝が連れ立った若い二人の姿を満足そうに見送った後、すぐにゴットフリートが口を開いた。
「では、私も一旦御前失礼します」
「お前は折角きたんだから軍の訓練に付き合え」
「ではそれを追加の対価にしておきましょうか。そうそう、ティアに土産を買わなければならないので訓練は巻きで行いますね」
「我が軍を潰す気か。巻きはやめろ」
「承りました。それでは、また後ほど」
そう言ってゴットフリートは騎士の案内で退出した。
謁見の間に残ったのは皇帝と宰相。皇帝はさっさと退出した彼に、やはり面白い男だと機嫌良く笑った。
「彼奴とはそれなりに長い付き合いだがさすがに肝が冷えたな」
「わたしめは寿命が縮みました! 見てください、髪まで抜けて……! せっかくハイエ国王が上手に宥めてくださっているのに、本当勘弁してください!」
「だってうちにもああいうの欲しいじゃないか」
「手に余るものはいりません! もう迂闊な事を言わないでください! 国を滅ぼす気ですか⁉︎」
「本当にするわけなかろう。息子も彼奴に似ていると聞く。あのタチでもう心が決まっているのなら相手が皇女だろうが女王だろうが靡かぬよ」
「……それは本当に横槍入れたらダメなやつです……分かってて言わないでください……あ、イタタ」
「カッカッカッ」
悪びれる事なく笑う皇帝に宰相の胃がキリキリと痛む。けれども、この場に他の皇族がいなくて良かった、と改めて安堵の息を漏らした。変に乗り気になられたらお詫びの品をどれだけ積んでも明るい未来が見えないのだから。
ふと、宰相は品というワードに思いだした。
「ところで陛下。プレゼントの内容はご存知で?」
「いや、知らんが。苗じゃないのか?」
その答えに宰相は思わず皇帝を見つめた。知らないのに許可したのか、と。
さぁ、少し時を戻して考えてみよう。果たしてゴットフリートは何を欲していたのだろうか。
金銀財宝、土地かはたまた優秀な人材か。あれやこれやと頭の中を巡る宰相よりも先に唸るように皇帝が息を吐き出した。
「あー、彼奴め……何か誤魔化したな」
「オンヘイ公爵閣下ぁぁぁ! 今一度! 今一度お時間よろしいですかなぁぁぁ!!?? ……え、温室に行った? 軍部じゃなくて? あの人何がしたいんだぁぁぁ!」
薄い髪を振り乱しながら宰相が廊下を猛ダッシュするという珍しい姿が見られたとかなんとか。
ゴットフリートを捕まえた後の皇帝とのやり取り↓
「そうだ、お前はそういう奴だったな。飄々というか、のらりくらりとしよってからに。うっかり流されたではないか。で、さっきは何の許可を求めたんだ?」
「おや、言いませんでしたか? 撮影の許可ですよ」
「は? 撮影の許可? 誰のだ?」
「シュート殿下です」
「……シュートだと? 待て。待て待て待て待てゴットフリート。我もまだ撮ってないが?」
「ティアが娘の友人を気にかけてそちらを望んでいるので。陛下は調整が済んだらその内撮れますよ」
「……お前なぁぁぁ! 俺と何年の付き合いだと思ってる⁉︎ 身内贔屓してんじゃねーよ!」
「陛下、そのように大声を出さないでください」
「出したくもなんだろ!」