イト紡ぐ休日 6.5話
アーリスとカティンカ、従者たちの会話。
コージャイサンの指示通りにすぐに動いたメイドたちによって着替えたカティンカはサロンに戻されて焦っていた。
壁際にはメイドたちとコスプレしたままの公爵令息の従者。
目の前には写真を眺めている友人の兄である伯爵令息。
そして連れ出した公爵令息と友人は未だ不在。
——気まずい!
苦々しさが口から飛び出そうだ。イザンバには追いつかれたが今こそ瞬発力を発揮する時か、と思うカティンカにアーリスが声をかけた。
「ジンシード子爵令嬢」
「はい!」
「そんなところに立ってないでどうぞおかけください。すみません、まだザナたちは戻ってなくて」
「いえ、それは全然……あの、失礼いたします」
気まずさをどうにか飲み込んで着席したカティンカに向けられたのは彼の人好きのする笑み。
「カティンカ嬢とお呼びしてもいいですか? 僕の事もアーリスと呼んでください。あなたはザナの友達なんですし」
「は、はい! こ、公爵夫妻からもおぼえめだ……覚えめでたいア、アーリス様にそのように言っていただき、光栄です」
「さっき写真を選んでいる途中でしたよね。どうぞ、続けてください。あ、ご存知だとは思うのですがザナはオタクを隠してて。コージーのコスプレ写真も画廊にないですし、外で見せないよう気をつけてくださいね」
「っ——はい」
写真の価値を考えれば妥当だと、カティンカは真剣な声音で返した。
——兄君がそれを言うかぁ?
——そういうところは気付けるのにな。
——ちょぉっとうっかりさんなんよなぁ。
そんな従者たちのツッコミはもちろん無音である。
もちろんアーリスはつゆ知らず。彼はカティンカに一枚の写真を見せた。
「あ、これなんかどうですか? 僕はカッコいいと思うんですけど」
「はわぁぁぁっ! 良きー! え、カッコ良すぎませんか誰だこのいい男⁉︎ これだからレグルス様は推せるんだ! えー、いつのタイミングだろ⁉︎」
身を乗り出したところでカティンカはハッと我に返った。
「すみません……興奮しすぎました」
ぱちりと瞬くヘーゼルになるべく映らないようにと体を縮こませる彼女の耳に届いたのは、不快感とは反対の笑い声。その笑い方はやっぱり彼女によく似ている。
「ふふ、あはははは! 気にしてないからいいですよ。それに……ふ、ふふふ、散々ザナと盛り上がっていたじゃないですか」
「寛大なご対応、ありがとうございます」
「撮られてるの全然気づきませんでしたよね。でもこういう風に見れるからやっぱり写真は素敵ですね」
沢山ある写真を眺めながらアーリスから漏れた声はとても優しげで。
推しを褒められた嬉しさ。同じように返さないと、と思い青空は机上を探る。
「あ、あの! このクタオ伯……じゃなかった、このア……ア、アーリス様も素敵です!」
目は合わないが必死にパフォーマンスの写真を指差すカティンカにアーリスははにかんだ。
「ありがとうございます」
しかし、互いが写真に目をやれば生まれるのは沈黙。チクタク、チクタクと時計の音がカティンカには嫌に耳につく。
——何か話さないと……何か、何か……あぁぁぁあ、気まずぅぅぅい!
イザンバがいないと間が持たない。そんな彼女の焦りをよそに従者たちは気楽に口を開く。
「そろそろいい時間経つよなぁ。コージャイサン様の理性が崩壊するか、イザンバ様が逃げようとするか。俺はイザンバ様が逃げるに百ゴアだぁ。お前らどっちに賭ける?」
「最近はお嬢様も頑張ってはるしなぁ」
「今頃ご主人様の理性が試されているかもな」
ヴィーシャとジオーネはいじらしい成長を見せるイザンバに翻弄される主人の姿を思い描き。
「誕生日プレゼントも頑張って選んでたもんねー」
「お手元に届いた時のお嬢様、可愛かった……」
ケイトとシャスティはあの日のイザンバに思いを馳せた。けれども……
「お嬢様が逃げるに百ゴア」
やはりここは全員一致である。声を揃えた彼女たちにイルシーは顔を顰めた。
「おい。それじゃ賭けになんねーだろぉ」
「主人を賭けの対象にするのはどうかと思うよ」
「兄君もノるかぁ?」
「やめておくよ」
やんわりと咎めるアーリスに賭けを持ち掛けるもあっさりと断られて。面白がるようなアイスブルーがカティンカに向いた。
「アンタは?」
「私も遠慮します。友達を賭け事の対象にしたくないので」
「へぇ」
ニヤリと嗤うその姿が、カティンカが想像してきたリゲルと一致しない。
「……リゲルでゲス顔えっぐいわー」
「アンタ——いい度胸だなぁ」
「ヒェッ! だってどっちかって言うとゲス顔はレグルス様の専売特許だし!」
思った事がぽろっと口から出たが、ただでさえ冷たい印象の瞳に圧が加わり、恐怖から内心で泣き言が漏れる。
——イザンバ様〜、早く戻ってきて〜。
「カティンカ嬢、賭けにノらないでくれてありがとうございます」
「え⁉︎ あ、いえ、そんな……当たり前のことですから」
しかし、どうしてか対面からは嬉しそうな声と共にふんわりとした笑みが向けられて。恥ずかしくて、気まずくて、カティンカは視線をあちこちに彷徨わせた。
それを見ていたメイドたちは円を組んでコソコソと話す。
「わぁー、若様すごく嬉しそう……でもなんでー?」
「兄君は二回目の婚約以降、婚約者がコージャイサン様に乗り換えるかどうかで賭けの対象にされてんだよぉ」
首を傾げるケイトにイルシーが答えた内容はかつてアーリスが婚約をした時に受けた謗り。友人と思っていた人もその賭けにノッていた事もあり、彼は賭け自体に嫌悪感を持つ。
もちろん賭けにノらなかった者もいて、そちらの友達たちとは今も付き合いがある。
それを聞いてシャスティとヴィーシャは心底呆れたと彼に目を向けた。特にシャスティの目には次期雇用主の不興を買ったのではないかと不満が乗る。
「信じられない……! アナタ、ソレを知っててなんで賭けを言い出すんですか」
「ほんまいやらしい性格してるわ」
「調査では問題なかっただろう。それなのにまだ試すのか?」
「ま、決めるのは兄君自身って事だぁ」
調査結果を共有しているからこそ出るジオーネの疑問にアイスブルーの瞳はただただ愉悦を見せる。
「そういやさぁ、アンタ五年前に婚約解消してんだろぉ?」
「え、はぁ、はい。そうですが」
警戒心を露わにするカティンカに、イルシーはリゲルの顔でニヤニヤと笑う。
コイツまだ何かする気だな、なんて思ったメイドたちだが今度は沈黙を貫いた。
対して婚約解消という言葉に驚いたのはアーリスだ。イルシーに注意が向いている彼女の横顔を見つめた。
「ハハッ、ンなビビんなって。別に取って食いやしねーよぉ。アンタみたいな女、俺の好みじゃねーし」
「え、何この勝手にフラれた感」
「我が主はイザンバ様には甘いからなぁ。本当なら依頼料取るとこなんだけどさぁ……感謝して聞けよぉ。元婚約者とアンタが会う事は二度とねーから安心しなぁ」
「え?」
イルシーの言葉の意味がいまいち理解出来ずにいるカティンカ。
しかし、イルシーはそんな様子に構わずつらつらと続ける。
「義姉の伯爵夫人が相当怒ってたからなぁ。夫の弟はただでさえ甘やかされて愚かなのに、ここにきてさらに烙印持ちときた。愚弟を貴族籍から抜いて放逐しないなら娘を連れて離縁するって言われちゃーいくら弟に甘い伯爵でも現状では無視できねー。ここで放逐せずに離縁しても醜聞のある家にまともな後妻は見込めないからなぁ。伯爵家としてこれ以上醜聞を重なるわけにはいかねーって事だぁ。ま、すでに弟の話は広まってんだけど」
「……は? 何、待って。何の話ですか?」
「喜べよぉ。アンタのトラウマの元凶は社交界どころか二度と王都に足を踏み入れられなくなったぜぇ」
ニィッと口角を上げて嘲笑う彼に、カティンカは恐怖で身を震わせた。
「ああああなたが新たなトラウマになりそうなんですけど!」
「ハハハハハ! いいねぇ、その怯えた顔」
舌舐めずりをする姿はまるで悪魔のようだ。
——どうして五年前の事を知っているのか。
——どうして元婚約者が誰か知っているのか。
——どうして元婚約者のその後を知っているのか。
イザンバにも誰とは言っていないのに、と一層震えるカティンカを見て、アーリスが助け舟を出す。
「女性を揶揄うのも程々にね」
「あ、ついでに言うと兄君の元婚約者たちにも会わねーぜぇ」
「……彼女たちはもう結婚していると聞いたけど」
「ああ、それは間違いねーよ。けど今の社交界の風潮じゃ烙印持ちは忌避されるからなぁ。一回噂が広まったら——……狸じじぃ共でも揉み消せねーだろぉ?」
実に愉快だと、隠しもしない彼にアーリスは困ったように眉を下げて言った。
アーリスの婚約解消も彼らが来る前の話。それでもイルシーが把握しているのは、やはり主人の存在が大きいのだろう、とあたりをつける。
「流石はコージーの部下だね」
「お褒めに預かり光栄ってなぁ」
未だニヤニヤと嗤うイルシーからカティンカへと視線を向けた。
「大丈夫ですか? 元婚約者の事とはいえいきなり聞かされて驚いたんじゃ……」
「はい」
「僕も過去に三回婚約解消した事があるんですけど、全員がそうだと言われると反応に困りますよねー」
「はは……」
アーリスは明るくいうがカティンカとしてはコメントに困る。なんとか絞り出せたのは乾いた笑いだけ。
けれどもアーリスは気を悪くした風もなく話題を変えた。
「結局どの写真を持って帰られますか? どれもすごくカッコいいですし。レグルスはシリウスよりも野生的な感じですね」
「はいっ!」
「ザナの推しは色々と聞いたことがあるんですけど、それ以外はあまり知らなくて。どんな所が推せるんですか? 良かったら教えてください」
「……はい?」
伯爵令息の言葉にカティンカは分かりやすく動きを止めた。幻聴だろうかと思ったが、彼はカティンカに向かってふわりと笑む。
「あの……いいんですか? えっと、その、娯楽小説だし、絵画みたいな絵じゃないし」
「知ってますよ」
「ええと……あの。嫌がる人も、います、し」
「ああ、成る程。でも好きなものって人それぞれでしょう? どうしても受け付けないって人もいるでしょうけど、人って趣味一つで決まるものでもないし」
それに、と彼は続けた。
「ザナとあまりにも楽しそうに話されているから興味が湧きました。だからね、カティンカ嬢。僕にも彼の魅力を教えてくれませんか?」
あなたが好きなものを教えて、と彼は言う。
家族にだってこんな風に言われてこなかったカティンカにはそれは信じがたい言葉だ。
——本当にいいのかな……でも、イザンバ様のお兄様だし、イザンバ様もアーリス様も気にしてないって言ってたし……。
それでも踏み込むには勇気が必要で。
不安を抱いたままちらりとアーリスの方を見れば彼は変わらずに聞く姿勢だ。その柔らかなヘーゼルが伝えてくる。大丈夫だよ、と。
イザンバと良く似た表情に安堵を覚えると同時に大きな歓喜が胸に沸いた。
「っ——はいっ! どうか聞いてください! えっと、外見が魅力的なのはもちろんなんですけど————……」
——語るほどに饒舌になっていく彼女の言葉に
——煌めく笑顔を彩る澄んだ青空の瞳に
アーリスは微笑みを浮かべながら相槌を打つ。
そんな二人の姿にメイドたちはこっそりとイルシーに向かって親指を立てた。
活動報告より少し手直ししてます。