凍て開く氷の花 7.5話
飲み会に乱入する前のパパ上たちの雑談。
こちらは防衛局の局長室。この部屋の主であるゴットフリートは執務室の椅子に、騎士団長のグラン、魔術士団長のレオナルドは応接ソファーでお互い離れた位置にいる。飲み会に参加する王子を見守るには食堂と距離が離れているが、若者たちの祝いの場に彼らがいては盛り上がりにくい事この上ない。
そんな訳で、風魔法を使い食堂の音を拾う彼らだが、どこか優しげな眼差しでゴットフリートが言う。
「向こうはだいぶ盛り上がっているな」
「そりゃそうでしょ。ふふ、私たちもあんなだった。なんだか懐かしいね」
「あれを聞いてると飲みたくなるな」
レオナルドは懐かしさに頬を緩めるが、グランはどうやらイッキコールに乾いた喉を刺激されたようだ。
そこへどこから出したのかゴットフリートが一本のワインを机に置いた。
「そ、それは……⁉︎」
「陛下のコレクションのワイン。お守の駄賃に一本貰ってきた」
「やるな。つまみは?」
「あるぞ」
グランとゴットフリートはニヤリと笑い合う。つまり彼は最初から飲むつもりだったという事だ。
レオナルドはワインの瓶を手に取ると、繁々と眺めて感心した。
「うわ、当たり年のヴィンテージワインじゃないか! これは美味しいよ」
「飲んだらどれも同じだろう」
「これだから脳筋は……味の違いが分からないヤツにはもったいない品だからキミは水でも飲んでな」
「ああん! 魔術馬鹿は通ぶってるだけだろうが!」
「はぁあ⁉︎ 自分の舌が雑だからって負け惜しみしないでくれる⁉︎」
熱くなる二人の間に、コトリとつまみの乗った皿とグラス置かれた。
「騒ぐなら飲むな」
「コイツが悪いんだ!」
互いを指差して主張する二人にゴットフリートは笑みを向ける。
「もう一度だけ言う。騒ぐなら飲むな」
二人は眉間にそれはそれは深い溝を作って互いから目を逸らした。だって飲みたい気分だもの。
芳醇な香りを放つワイングラスを回す。クルクル、クルクルと。神秘的な灰色の瞳が釘付けになったようにそこへ注がれている。
中々口をつけない彼にグランが問うた。
「どうした?」
「いや。まさに血のような赤だなと思って」
「おい」
「こっちにも情緒のないヤツが居たよ」
呑みながら言う事じゃないと両団長が呆れるが、ゴットフリートは口元に笑みを湛えたままワインを迎え入れる。
口内から広がる華やかな香りと上等な舌触り、酒の肴が息子の恋バナとは、中々どうして味わい深いものがある。
「それにしてもコージャイサンは本当よく我慢してるよね」
「アイツ、反抗期もなかったんじゃないか?」
王子と同じく感心する二人にゴットフリートは笑う。
「そうでもないぞ」
〜〜〜
帰宅したゴットフリートは邸内に漂う冷気に片眉を上げた。よくよく見れば所々凍りついている。
出迎えた執事——モーリスに尋ねれば、彼はほとほと困ったように口を開く。
「若様が学園からお戻りになってからずっとこうでして。奥様がお尋ねになったのですが何も仰いませんし、部屋に篭られたままですので我々もどうしたものかと」
どうにも彼の息子の苛立ちによって漏れた魔力が邸内を冷やしているらしい。
「秋が深まったとはいえ冬支度はまだ追いついておりません。ひとまず奥様の私室を優先的に暖め、奥様にはなるべく部屋にいていただくようお願いいたしました」
「そうか。なら先にティアの所に行こうか。急ぎ対処するが、モーリスは皆に今暫く耐えるよう伝えてくれるか」
「かしこまりました」
そしてゴットフリートは諜報部員を呼びつけ、ケヤンマヌについている王家の影に何があったのか聞いてくるよう命じた。職権濫用? 今更だ。
さて、夕食時になっても息子の苛立ちは治らない。
諜報部員から聞いた報告によると、差し入れの列を作る令嬢たちとは反対にイザンバは実にいい笑顔で「用意していない」と言ったという。ゴットフリートは息子に呆れたように言った。
「お前が差し入れは受け取らないとか言うからザナが遠慮しただけだろう。何を怒っているんだ」
「……別に」
なおも漏れ出る魔力によって凍てつくカトラリー。コージャイサンは使えなくなったそれを一瞥すると硬質な音を立てて手放した。
さて、此度の原因が婚約者絡みの案件で、冷やされた邸内の割に内容があまりにも稚拙で微笑ましく、モーリスを始め使用人たちは子息の心の変化を垣間見てほろりと濡れた目尻を拭く。全くもってよく出来た使用人たちである。
「そんな風に拗ねないで欲しいなら素直にそう言えばいいのに……ザナなら用意してくれるわよ」
心底呆れたような母親の言葉に息子からは一層不機嫌さが表に出てくる。
「そんな事したらまたザナが攻撃を受ける。俺はそれを望みません」
「成る程な。現状と課題に折り合いがつかないか。だからと言って無関係な者たちに八つ当たりをするな」
「それは……皆、悪かった。父上、久々に手合わせをお願いします」
「いいだろう。お前の成長をみてやろう」
攻撃の速度、打撃の重さ、多種多様な術式。幼い頃よりも確かな成長を認めたが、そこはやはり年の功。防衛局長は伊達ではない。
食後の運動にも丁度いいな、と呟いたゴットフリートにトムから「旦那様ー!」と喚き声が飛ぶのも、まぁ予定調和である。
〜〜〜
「なんだ。ちゃんと年相応な面もあるじゃないか」
「うむ。発散するには運動が一番だ」
「お陰であらゆる希少な苗を手に入れる羽目になったけどな」
友人たちに隠し切ったコージャイサンも家で隠さなかったのは彼が家族と良い関係を築けているからだ。ゴットフリートとの手合わせはいいガス抜きになっていたのだろう。
さて、どれだけゆっくり飲んでもワイン一本を三人で分けるとあっという間だ。それぞれに最後の一杯が行き渡る頃、ノック音が響いた。入室の許可を得て入ってきたのはゴットフリートの副官——ディケントだ。
「総大将、お客様が……って、あんたら揃いも揃って何飲んでるんですか⁉︎」
「陛下のワイン」
「へーかのわいん!!??」
三人揃った言葉の威力にディケントの声が裏返った。
「誰が持ってきたんですか⁉︎」
当たり前の疑問に両団長は揃ってゴットフリートを指差す。
「コイツ」
「流石に私たちでは陛下のコレクションを持ってくる事はできないよ」
華やかな笑みを浮かべるレオナルドにゴットフリートはグラスを掲げてこう宣った。
「飲んだからお前たちも共犯だ」
そう、飲んでる時点で三人とも同罪。結局ワインは一滴残らず胃の中へ。トップスリーの行為に副官は頭が痛む。
「本当にもう…………何やってんですか」
「心配しなくてもこれ一本一人で飲んでも酔わない」
ゴットフリートは笑って言うが違う、そうじゃない。
「他のコレクションも気になるな」
言いながらもグランは瓶を空中に投げると粉々に切り捨てて。
「はい、証拠隠滅完了ー♡」
さらにレオナルドが術式で三人の体からアルコールを抜く。
「そう言う問題じゃないでしょうがっ!」
涙目で叫ぶディケントに彼らは不敵に笑う。
「ふふ、悪い大人のエチケットだよ」
「まだまだ小僧共には教えられないがな」
「お前にも飲まてやれば良かったな」
巻き込めば良かったと言う上官にディケントは顔面蒼白で首を横に振った。
「やめてください! 全力で遠慮します!」
「おや、つれないな。それで?」
笑みを引っ込めた灰色の瞳を向けられて、副官はピシッと姿勢を正した。
「お客様が到着されましたので、今こちらにご案内しています」
「では、そろそろだな。ああ、あの子のために紅茶を用意してくれるか?」
「かしこまりました」
「俺は父親の仮面を被るとするか」
まもなく到着する彼女に倣うようにそんな事を言ってみるゴットフリートに、レオナルドとグランが胡乱な目を向ける。
「そんな事しなくてもキミはちゃんと父親だよ。子どもは親の背中を見て育つ。キミが私たちに言ったんだよ? もう忘れたの?」
「コージャイサンの言う事、やる事、お前にそっくりじゃないか。惚れた女に一途なところなんか特にな!」
「違いないね!」
カラリとした二人の笑い声に。
「そうか」
ゴットフリートもゆるりと口角を上げた。
そして再び響くノック音。
「ああ、よく来たね。ザナ」
副官が開けた扉の向こう側に立つ息子の唯一に、ゴットフリートは親愛を込めて柔らかな笑みを向けた。
活動報告よりも少し手直ししてます。