凍て開く氷の花 5.5話
看板娘たちvsイルシーの会話。
多くの者が酔ってダウンし、王子とコージャイサンがゆったりとしたペースで飲み始めた頃。
「ふぅ、一旦波は去ったかな」
「やっぱり騎士様たちは食べるのも呑むのもすごい勢いだね」
「ほんと! あれちゃんと噛んでるのかな?」
ココとロクシーがカウンターに凭れて話す中、サナはコージャイサンを見つめた。
——王子様も素敵だけど、やっぱりコージャイサン様が一番カッコいい……。
王子と話しながら飲む姿を見て、諦めたはずの恋心がときめきに波打つ。
——このペースで呑んでるならきっと……きっと、うまくいく……。
淡い期待を抱いたが、すぐに婚約者の存在を思い出して胸が痛くなる。
サナの辛そうな横顔にロクシーはあえて明るい声を出す。
「それにしても意外だよね」
「何が?」
「コージャイサン様ってこういう騒がしいの嫌いそうじゃない?」
「あー、確かに。でも飲み会に混ざってると案外普通の男の人って感じだよね」
ココも同意を示す。
絶世といえる美貌、冷めた態度、演習場を氷漬けにした実力。将来を約束された酷氷のプリンスも、自分たちと変わらないただの人だと。
「この前婚約者さんと来た時も普通の恋人って感じだったし」
そして、それは婚約者も。
サナは諦めると言ってはいたが、誰がどう見ても引きずっているのは明らかだ。
そんな友人を思えば「少しくらい意趣返しをしても」とロクシーとしては思うところもあったが、いざ目の前に現れた彼女は驚くほどに毒気が抜ける人で。
——なんて言うか……普通にいい人っぽい。
だからこそ来てほしくなかった、とロクシーは思った。
ざわめきが落ち着けば王子とコージャイサンの会話の声がよく聞こえてくる。
それは当然彼女たちが知らない、婚約者の二人が積み重ねてきた時間と想いの話。
話が進むほどにサナの表情が冴えなく、沈んだものになっていく。見惚れてときめいた時とは正反対に暗く暗く。
しかも呑ませて暴くと彼らが言っていた通り、彼の心の内は遠慮なく詳らかにされていき。
それでもどれだけ酒がすすんでも酔う素ぶりがない彼に生まれる焦り。
婚約者の事を語るほどに甘くなるコージャイサンの声と表情が拍車をかけて。
辛い、聞きたくない、と訴えるサナの心拍は痛いほどだ。それでも目が離せずに、ゆったりと微笑んだ彼に釘付けになった。
「だから言ったんです。俺が欲しいのはイザンバただ一人だと」
それは肌を刺すような冷気の中でなされた宣言。
——その時と変わらずに堂々と
——その時よりも深い想いを朗々と
熱く滾る恋慕が音となって人々の鼓膜を揺らす。
サナが聞いていなかった、聞きたくなかったその宣言が今再び成されて。
——ああ、もう…………ダメだ……。
やれやれと肩をすくめる飲み会メンバーの背後で、たまらず彼から目を逸らして駆け出した。
「あ、サナ! ねぇ待って!」
「リナちゃんごめん! ちょっとだけ外すね!」
「はーい。任せてください」
慌てて後を追うココとロクシーに笑顔で請け負ったリアンだが、スッと表情を消すと飲み会とは離れた席に視線を送る。
視線を受けた人物は心得ているようにニコリと微笑むと——ゆっくりと席を立った。
さて、彼女たちが駆け込んだのは女子トイレ。洗面台に手をついてぼろぼろと涙を流すサナに、ココとロクシーの気遣わしげな視線が向けられる。
サナは力なく笑った。
「あは、あはははは……ダメだね、こんなの……一回だけって頼んでも……きっと……——思い出にもしてもらえない……!」
大粒の涙がぼたぼたと洗面台に落ちる。酒宴の後、一夜の情けを願っても決して無理だ、と。
どう声をかけるべきか。共に聞いていた二人は答えあぐねていると、そこに突然、自分たち以外の声が乱入してきた。
「そうでしょうね」
茶髪の女性魔術士だ。食事の後のメイク直しにきたのだろう。手にはポーチを持っている。
「酔った彼を持ち帰るつもりだったんでしょうけど……無理よ。思い出どころか相手にもされないわ。仮にその状態で抱かれてもあんたに残るのは虚しさ。彼から向けられるのは嫌悪、もしかしたら憎悪かしら」
サナの隣の洗面台を陣取った彼女はポーチから口紅を取り出す。
慰めるどころか傷口を抉るように刺す言葉に溢れる涙の量が増した。
「なーに、そんなに泣いて。彼が婚約者以外眼中にないって今じゃ有名な話じゃない。それに知ってる? 呪いまで使ってオトそうとした女の中には悲惨な最期を迎えた子もいるんだって」
鏡の向こうで引かれる紅を乗せた唇は動く。実に容赦なく。
「ねぇ。彼があんたの涙で落ちると、その程度の男だと、本気で思ってるの?」
彼女の見た目に派手さはないのに、鮮やかで明るい赤を纏ったぽってりとした唇が妙に色っぽくて。
それなのに猫が意地悪くじゃれるようにニィッと嗤う。
「だって……——このままじゃサナが可哀想じゃない! あんなにもコージャイサン様の事が好きだったのに!」
彼女の物言いにココはカッとなって噛みついた。
「どうせ婚約者さんと結婚するんだし一回くらいサナにお情けがあってもいいじゃない! 失恋しちゃったサナが可哀想だと思わないの⁉︎」
「思わないわ」
しかし、返されたのは予想外に冷たい声だった。
「失恋したのはその子だけじゃないのよ。そんな事言ったら彼は一体何人を相手にしなければならないのかしら」
そう言われてココは悔し気に押し黙る。
「好きでもない女の相手をさせられるコージャイサン様は可哀想じゃないの? 婚約者が他の女を抱く事に目をつぶれと、一夜限りだから許せと言われるイザンバ様は可哀想じゃないの?」
次々と詰められても、何も言えない。
「いい子ぶって周りの同情誘って。察して欲しい、叶えて欲しいって……あんた何様よ。そんな自分本位で他力本願な女、選ばれるわけないでしょ」
サナの行動を彼女はバッサリと斬り捨てる。
「あんたたちも可哀想ばっかり言ってないで一緒に次を探してあげたら? いつまでも同情されてたらそれこそカワイソウよ。じゃあね」
化粧直しを終えた彼女はあっさりと三人の前から立ち去った。
それとは反対に三人の間に重い沈黙が落ちる。
面倒な子だと思われたくなくて物分かりのいいフリをした。
良い子だと思われたくて、幻滅されたくなくて呪いになんか手を出さなかった。
想い人に良く思われたい、それは誰にだってある心理。その中に、イザンバに対して抱く嫉妬を隠して。
——私とそんなに変わらないのに……。
それなら自分だって運命的に見初められて、大事にされて、想いを告げてほしい。
そんな理想を抱くからこそ、どうしても『もしかしたら』が脳裏に過ぎり諦めきれなかった。
——それでも叶わないなら最後に思い出が欲しかった。それを糧に生きていくから……。
けれどもサナの願いは、彼らを傷付けるだけのもの。
流れていく。
——縋った願いも
——実らない恋も
涙と一緒に排水口の奥底に。
サナは自分の頬を目一杯の力で叩いた。
——もしも……万が一、コージャイサン様の記憶の片隅に残れるのなら……。
無理に叶えた結果の嫌悪ではなくて、少しでも綺麗に姿で残りたい。
その為のケジメをつける。彼でも他の人でもなく、自分自身で。
暫く続いた沈黙をサナが破った。
「……二人ともごめんね」
「サナ。ごめん、あたしたち……」
「大丈夫。こんな風にならなきゃ決められなかったけど……私、ちゃんとフラれてくる! さ、リナちゃん一人じゃ大変だし戻ろう」
それは悲しくも明るい次に進むための決意。
ホールに戻ったサナは茶髪で赤い口紅の魔術士を探したが、その姿を見つけられなかった。
活動報告より少し手直ししてます。