ハレの休日 5.5話
パパ上たちとその他お偉い様たちの会話。
それは王族、大臣、防衛局上層部のみならず貴族議会の議長や議員、また裁判局の裁判官連盟の理事や役員、教会からは大司教や関係者が一堂に会した時の事だ。
防衛局は国防を、貴族議会は金融を、裁判官連盟は秩序を、教会は救済を、それぞれ担っている。
年齢を重ねた圧を放つ面々の中、年若い者は王太子と王子、裁判官連盟の理事のみ。
そもそもの議題は新たに増えた領土や民についての現状把握と今後どのように統治していくかであったのだが、たちまちの方針が固まると話の内容はすっかり別方向へ。
「オンヘイ公爵家にはすでに王妹であるセレスティア様が降嫁されている。ならば、退魔の才能を持つイザンバ嬢は別の高位貴族に嫁ぐべきだ!」
「いやいや、火の天使様は神の御使。退魔の才能を待つ女性は周辺国では聖女として崇め奉られています。イザンバ嬢もまた我が国の象徴として神のお側に在られるのが正しいのです」
「オンヘイ公爵令息は新領地となった北側を治めるのはどうですかな? 荒地であるからこそ優秀と言わしめる手腕の見せどころでしょう。ああ、新婚であの地は可哀想だ。偶然にも我らの理事は独身でしてな。イザンバ嬢は理事の妻としてお迎えするのがよろしいかと」
様々な機関の、あらゆる思惑が絡み、本人たち不在でまさかの婚約見直しを提案されている。
「何を言うか! 民意を鑑みれば王位継承権をお持ちの方だ! 王太子殿下、いかがでしょうか⁉︎」
彼らの言い分にまるで意味がないと言うように目を閉じていた王太子だが、突如水を向けられそれはそれは無表情に言った。
「断る。私にはすでに正妃がいる。側妃を娶るつもりもない」
まさに一刀両断。即答である。
「ほら、ご覧なさい。これは神の思し召し。イザンバ嬢は神の花嫁として求められているのです」
「何をぬけぬけと……そうだっ! ケヤンマヌ殿下との婚姻だ! お二人は同窓生でもありますし、それが一番良い!」
好き放題言う彼らの口からは、なんとかつてやらかした王子の名が担ぎ出されるではないか。
その瞬間、寝耳に水だった当の本人は立ち上がると同時に大層顔色を悪くしてこう叫んでいた。
「やめろ! 勝手に私を巻き込むな! 私は魔王と敵対する気は微塵もないぞ!」
会議室が一瞬の静寂に包まれたのち、王と宰相、そして防衛局の上層部四人が吹き出した。
「コージャイサンで魔王ならコイツはどうなるんだ」
ゴットフリートを親指で指差しながら騎士団長が言えば。
「魔術士団全員の魔力を吸い尽くしたからね」
魔術士団長が笑みを湛えながら続き。
「小生も管理棟の屋上からダイブさせられましたぞ」
密かなる武勇伝を魔導研究部長も自慢げに語る。
「面白いという理由でただの新米文官を戦場に行かせる方ですから」
行政大臣の眼鏡がキラリと光れば。
「短期間で一国を落としてくるんだから色々とおかしいとしか言いようがない」
国王が頷きながら言い切ったなら、つまりはこう言う事だ、と五人が声を揃えた。
「防衛局長は大魔王だ」
ただ静かに神秘的な灰色の瞳の色を深めて微笑むゴットフリートは、さて何を思うのか。
その笑みの底知れなさを前に気安い空気を出す父たちも大概だ。彼らに向かって王太子が制止をかける。
「陛下。お戯れは後ほど」
ごほん。とケヤンマヌが咳払いを一つ。襟を正した彼は議員たちにその視線を向けた。
「貴殿はお忘れのようだがコージーの宣言もイザンバ嬢の献身も既に多くの民が知る事だ。その二人の間に水を差すなど魔王……んんっ、本人はおろか二人を応援する民を敵に回す。それこそ国を潰す気か。むしろそんな事を言い出す貴殿にこそ謀反の意があると見て取るがいかがかな」
キリリとした問いかけに、まさか自分が謀反を疑われるとは思ってもみなかったのだろう。
「そんな……まさか! ですが、その可能性はオンヘイ公爵家の方が……」
「貴殿らが言っている事はこれまで国防に尽力してくれているオンヘイ公爵家の忠義、またか弱き令嬢でありながら戦場に立ち民を救ったイザンバ嬢に恩を仇で返す行為だ。コージーが本気になれば貴殿らなど容易く葬られるぞ。国のためを思うなら二度とそのような世迷言を口にするな!」
彼に日和ったというなかれ。
野心だけは立派だが、実際にオンヘイ父子を敵に回して生き残れるほどの実力や気概がある者はいないと言っても過言ではない。
現実を見ていないお花畑に元お花畑が釘を刺しただけである。
だが、御し易いと思っていた王子の反論に彼らの勢いは削がれた。
王が口を開く。
「此度の件、防衛局の活躍ぶりは目を見張るものがある。皆の者、大儀であった」
「祝着至極に存じます」
ゴットフリートをはじめ防衛局の面々が頭を垂れた。
「ゴットフリートよ。そなたらの能力の底知れなさには驚かされるばかりだ。しかし、だからこそ民を守るためにその力が奮われた時、他の追随を許さない頼もしさがある。代々続くその忠義、信ずるに値する」
どのような場面であれトップが動じないというのはそれだけで心強い。
「確かにイザンバ嬢の退魔の才能は稀有である。しかし、その才能をコージャイサンと婚約した時点で知れるものではない。学園入学時に検査された魔法適正においても防衛局はもちろん王家も教会も把握していなかったと確認しているがどうだ?」
「検査は魔術士団員が派遣されていましたが、こちらで把握はしていませんでした」
王の問いかけにレオナルドがにこやかに答えれば、大司教は忌々しそうな目を彼に向けた。
「あー、それは、まぁ、なんですな。随分と後天的な開花であられましたので。ですが、力を持つ者であるならばそれは正しき場所で正しく行使されるべきかと」
退魔の才能を持つものは先代はおろか先々代の大司教の時も現れなかった。今代で現れたのであれば是が非でも教会の元に置きたいのだろう。
「イザンバ嬢はコージャイサンと婚約して以降随分と辛酸を舐めてきた事も皆が知る話だ。それでも要請に応えて正しく臣下として立派に務めた。これは貴殿の言にそぐわぬか?」
「えー……いえ、ご立派であったと……」
「今二人の婚約に横槍を入れる者はイザンバ嬢の功績を欲しているだけと誰もが思う事だろう。王家は国の安泰を望むが、仲睦まじき二人を引き裂くつもりはない」
それは王家公認の婚約である、と教会側の言葉を封じた。
「陛下。我が家へのお言葉、そして二人の婚約をお認めくださった事、ありがとう存じます。私も、息子も、これからも尽力させていただく所存です」
その言葉のなんと頼もしい事だろう。
だが大事なところが抜けていると王は思う——自分と愛する者の平穏を守るために、という彼らにとってとても大事な部分が。
だが、結果として国を守ってくれるのであれば知らぬ者の前でわざわざ言う事でもない。
「よろしく頼む」
ここで王が席を立つ。これ以上詮無い話をするつもりはない、というように。
「………………程々に。いいか? 程々にだぞ」
王は去り際に小声でゴットフリートにそう言い、王太子と王子も懇願するような視線だけを寄越して王族は退室した。
「さて、では改めて確認しておこうか」
にっこりと微笑むゴットフリートだが、その笑顔が空恐ろしい。室内の温度が一気に下がったかのように対峙した者たちは身を震わせる。
「そう言えば貴殿の息子は騎士団の所属だったな。確か少尉だったか。しかし、最近は姿を見ていないが?」
「いや、その…………少し、ですな、あー、体調を、崩しておりまして……」
「へぇ……体調を、ねぇ。それは心配だ。彼もこの国の未来を守る大切な戦力だ。騎士団の専属医を派遣しよう」
「お心遣い、誠に痛み入ります。ですが……えー、息子は不治の病でして……あー、その、専属医の手間をかけさせなくとも、えー、騎士に戻る事は、難しいでしょう」
しどろもどろな議員の言葉にゴットフリートは視線を動かした。
「グラン。辞表は受け取っているのか?」
「いや、まだだ」
グランは問いかけに悩むことなく言い切った。それは彼らが令息の動向を気に掛けていたということで。
ゴットフリートはにっこりと微笑む。
「では、やはり医師を派遣しよう。たとえ《筋肉をなくして》いても本人にやる気があるのならば騎士以外にも仕事はある」
「閣下っ! それは……!」
「何かな?」
「いえ………………なにも……」
その黒い微笑みに息子の状態を知られている事を察した議員は口を噤み、議長は諦めたように双方から視線を逸らした。
次の標的にゴットフリートの視線が向く。
「神の花嫁だったか。他国では真に力を持つ聖女は修道女のように生涯神に寄り添う所もあると聞くが」
「ええ、その通りです。火の天使様は神に侍る事を許された存在。人界の穢れから離れ、神の御心に触れればより一層その輝きも増す事でしょう」
「まぁザナが一番輝くのはコージーの隣だがな」
いけしゃあしゃあと言ったかと思えば、彼は悩ましいとばかりにため息を吐いた。
「しかし、このままでは息子は神の花嫁を奪ったことになる。どうやら二人の結婚は神には祝福されないようだ。仕方がない。教会での結婚式は取りやめて、別の場所を探そう。誰かいい案はないか?」
ぐるりとゴットフリートが見渡せば、ミハイルが手を上げる。
「それなら最近は人前式というものがあるそうです。神ではなく祝いに来てくれた人に誓うとか。せっかくですからあの広場はどうでしょうか? 二人の結婚式となれば祝いたい民衆で溢れかえりそうですが」
「なるほど。より多くの人に祝って貰えるのならばそちらの方が二人らしくていいかもしれないな」
「ええ。警備面は騎士団と魔術士団が行えば問題ないでしょう」
二人が教会で結婚式をしない。
——それは教会が二人を認めていないという事で
——それは神が二人の仲を引き裂くという事で
他の貴族は間違いなく追従し、今や教会よりも、神よりも、実際に現れた紫銀の火の天使を信じている民の足も遠のく。
神は人々を愛し救う——その教義すらも揺らぎ、求心力は目に見えて落ちるだろう。
そうなるくらいならば、と大司祭は考えた。
「………………神は、お二人の婚姻を……お喜びになられる事でしょう……」
「おや、そうか。それなら安心だ」
大司教が忌々しそうにギリギリと歯を鳴らしているというのに、ゴットフリートは涼し気な表情を崩さない。全くどの口が言うんだか。
その背後、大きくは動かないが司祭たちがそっと無礼を詫びるように頭を下げた。
そして、ゴットフリートの目が息子と年の変わらない青年に向く。
「君は急遽裁判官連盟の理事を引き継いだんだったな」
「はい。オンヘイ公爵閣下とご子息を勝手にライバル視していた父と兄がどういうわけか《男としての矜持を失い》使い物になりませんので。毎日癇癪がひどくとても人前には出せませんので隠居してもらいました」
「ああ。気難しい彼らにはその変化は受け入れがたいだろう。古狸どもの相手は大変じゃないか?」
ゴットフリートの言葉にやはりこちらの事情も把握されている、と理事は思った。
それにしても本人たちを前に古狸と言い切るとは剛胆にも程がある。
「彼らは祖父を担ぎ出そうとしたようですが、もう年ですから遠慮してもらいました。組織にも新しい風が必要ですから」
「そうか」
「若輩者ではありますが、どうぞご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いします」
低く腰を折る年若い理事に古狸と称された連盟の者たちはいい顔をしない。身内で受け継いできた機関であるからこそ腐敗したというのに、他者に頭を下げることの意味を理解できないのだ。
「困ったことがあれば防衛局を訪ねて来い」
「いつでも力になるよー」
グラン、レオナルドとその肩を軽く叩き。
「あ、小生はあまり当てにしないでくだされ」
「いい年した大人なんですからそこは頑張りなさい」
情けないことを堂々と言うファブリスにミハイルがツッコんだ。
ゴットフリートは彼らの言葉に楽しげに笑うが、スッとその空気が冷たくなった。
「防衛局は実力主義であって世襲制ではない。そんなに俺が気に食わないのなら——貴殿らがこの座を奪いにくればいい。いつでも相手になろう」
冷えた雰囲気とは反対の熱い闘志を灰色の瞳に宿し言う。奪れるものなら奪ってみろ、と。
その覇気の重さといったらない。気圧された小心者からバタバタと倒れていくではないか。
「それでは、我々はこれで失礼する」
ゴットフリートを先頭に彼らが立ち去った後の会議室からは金切り声が聞こえたが、そのどれも彼らを焦らせるようなものではなかった。
ふと、ゴットフリートは中空に声をかける。
「コージーに馬鹿な話は潰したと伝えなさい。ザナには……わざわざ伝える必要はないな」
「かしこまりました」
姿を現した二人組に防衛局の三人は見覚えがあったが、イルシーとファウストはそれだけ答えるとすぐにその場を去った。
「彼らは?」
首を傾げるミハイルにファブリスが答えた。
「あー、コージャイサンの部下ですな。彼らも厄介でおっかないですぞ」
「あそこまで気配を消せるの、うちの諜報部といい勝負なんじゃない?」
「ガタイが良い方は異形の一撃にも耐えるいい筋肉をしていたぞ。一度手合わせしたいものだ」
レオナルドとグランもそれぞれが感心したように声を出す。
一瞬の邂逅であったが、それを聞いたミハイルは納得の様子だ。
「グランは相変わらず脳筋ですね。それにしても……」
「ん?」
「息子の部下も顎で使ってるんですか」
「使えるものは使わないとな」
これぞオンヘイ公爵家の流儀である。
呆れたようなミハイルにゴットフリートは不敵に笑うと、そのままゆったりと歩を進めた。
活動報告より少し手直ししています。