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笹竜胆の王   作者: 笹竜胆
第一部 収容所と呼ばれた部隊
7/24

黒い狼4 ―斐伊川クラウス=ギードより—

残暑。市街地を模した演習場は地獄のごとき暑さだった。上は俺たちをアンドロイドかなにかだとでも思っているんじゃないのか。気温は40度近いだろう。レンジャーを取得している者も多く、過酷な選別

―一切の食料を山の中で自給して半月過ごしたり、不眠不休で数日間戦闘を続けたり―

をくぐり抜けてきたとはいえ、俺たちだって人間なんだが。


「クソ暑いな、狼」


「そうっすね・・・っと、お客様だ」


 防大の2期上で同時に特殊作戦群入りした2尉とともにダクトで待ち伏せる。腹の下の振動から数人の対抗相手―B班の連中が走ってきていることを感知し、いつでも飛び出せるように構える。


「ちっ、いねえか。どこに隠れやがった犬っころ」


 お互い足音を殺したところで、すでに潜伏先を見つけている相手には意味がない。俺たちがぶつかることになったのは部隊で一番俺を嫌っている根子田2曹の隊だった。俺たちがすでに一階天井裏に陣取っていることには、まだ気づいていない。

やるか。5秒後に出る・

 夢野2尉が指文字でそう伝える。


「2曹上です!換気口に泥が付いてます!」


それと同時に俺たち二人が3人に襲い掛かった。


「子鼠どもが!私を邪魔できるとでも思ったか!?」


「黒い猫」―根子田2曹は上空からの不意打ちにもかかわらず、それすら利用して強烈な蹴りを放ってきた。まともに当たったら再起不能になりそうだ。それをぎりぎりで避けたところで、飛び込んできたもう一人―黒い蛇と呼ばれている男が絞め技をかけてきた。対抗相手は5名、ここで半数以上を足止めできれば十分だろう。全身の力を抜いて気絶した振りをすると、蛇は絞める力を緩めた。


「よし、斐伊川はこれで戦闘不能だな、このまま上に―っとお!?」


頭を逸らせての頭突きで拘束から逃れる。そこに猫が加勢してくる。俺のことが大嫌いらしい彼女のことだ、ここぞとばかりにボコボコにしてくるだろう。囮として俺は上々だ。


「行ってください!」


 黒い獏を先行させる。俺は二人と格闘戦を始めた。彼が2階の仲間と合流する時間が稼げれば十分だ。


「すてがまりでもやる気か狼!?そのきれいな顔ぐちゃぐちゃにしてやる!」


 この演習で俺は、根子田2曹のサンドバッグにされた。審判役のC班の制止後も3発くらい殴られた俺は、「トカゲ」と呼ばれている部隊の看護師に処置を受けた。


「狼さん大変でしたねえ。ほんと猫さんイケメン嫌いなんだから」


「まあな。・・・待てそんな理由なのか?」


「あれ、知りませんでした?まず男は女の自分より努力せずに強くなれる上、顔もよくていい思いできるイケメンはもっと嫌い、らしいですよ。まあよかったじゃないですか、というわけで狼さんはSTFs公認のイケメン隊員です!」


 ・・・正直、実害が大きすぎてまったく嬉しくない。




10月。だんだん涼しくなってきた。院試が迫っている。あれから俺は、毎週のように研究室を訪れては牧園さんから論文の抜き刷りやら書き込みの入った参考書やらを受け取っていた。一度は


「N大にも同じ研究をしているグループがあるから見ておいで」


と言われたが、調べてみると自衛官の入学をその大学は認めていなかった。牧園さんにもそう伝えると


「それって職業差別だよねえ」


と悲しそうにしていた。たしかここも妙見さんが手の者を送り込んでいたはずだったが、これでは難しいだろう。俺たちの方が、あきらかに当たりだった。


それにしても受かって見せないことには、どうにもならない。次第に俺は、対象との接触よりも勉強に時間を割かざるを得なくなっていった。なんだか本末転倒な気もするが、これも計画のためだ、仕方がない。とはいえ受験勉強は、実際海蜂について学べることも多かった。俺は時間を見つけては妙見さんの元へ、新たにわかったことを報告しに行った。




11月に入った。上旬にあった院試はなんとか終えたが、本業の方が忙しく、なかなか任務を遂行できずにいる。演習に訓練、任務と忙しい日々が続く。


「斐伊川、お前今度の訓練の助教やってくれないか」


挙句の果てに黒い熊1尉-小隊長が仕事を増やそうとしてくる。こんなのは俺が二人いなくては達成不可能だ。


「すみません、俺勉強あるんですけど」


「斐伊川お前熊野隊長に逆らう気かああん?グダグダ言ってっと金玉もぎ取るぞコラ」


「根古田2曹、下品すぎですよ」


「うるせえなトカゲ、大体なあ混血野郎、お前のかわりなんざいくらでも」


「おお、そうだったなすまん。おーい!獏!お前代われ!」


「えっ!?」


丁度俺の後ろにいた同期入隊者である黒い獏-夢野2尉が俺に代わって教官を務めてくれることになった。悪く思ってくれるな、夢野。熊野1尉に発言を遮られた根子田2曹-この部隊唯一の女性隊員で、俺を目の仇にしている「黒い猫」と呼ばれる先輩-は、近くにあった椅子を蹴り飛ばして去っていった。


「あ、斐伊川、それ片づけておけよ」


「はい!」


夢野が代わりに犠牲になってくれたとはいえ、特殊作戦群の小隊付きと妙見さんの手足、1.5人分の仕事をこなす俺が忙しいことに変わりはない。それでも少なくとも月に二度は、対象と接触しておきたかった。


「牧園さーん」


「あーまた来てくれたの斐伊川くん!」


「…疲れてます?」


「まあね。博論、そろそろ大詰めなのよ。昨日ここに泊まっちゃった。先生には怒られたけどね、『ちゃんと帰って寝なさい』って」


床に目をやると、確かにくちゃくちゃになった寝袋が転がっているのが目に入った。妙齢の女性の寝袋。なんか見てはいけないものを見てしまった気がする。


「・・・それは、ちゃんと寝た方が良いと俺も思います」




11月の終わり。なんとか、受かった。合格したことを伝えに行くと、馬喰さんという方が迎えてくれた。牧園さんの兄弟子で、この研究室の助手をしているという。秋園教授から聞いているとは思いますが、と前置きして、来年から牧園さんの研究室に入ることを話す。


「そうですか。それはとてもよいことだと、僕は思います」


なんとなく、会話がかみ合わない人だった。表情も声のトーンも常に一定で、ロボットと話している気分になる。秋園教授は出張中とのことで、牧園さんはというと文献の積みあがった机に突っ伏して寝ていた。よっぽどの佳境らしい。


「常葉―、着替え持ってきたよ、洗い物まとめて・・・あ、寝てる」


そこにリュックを抱えた女性が慣れた様子で実験機械や水槽、培養器の間から現れた。牧園さんの友人だろうか。


「あれ誰、君。このゼミの子じゃないよね」


女性は胡散臭いものでも見るような目で俺を見つめる。


「来年から牧園さんの研究室に入る斐伊川です、初めまして。今日は先生方に合格したことをお知らせに」


「あー、君かあ自衛官で来年度修士に社会人入学する尊敬すべき斐伊川青年って。あたし藤堂明乃、この人のカノジョ。これは内助の功ってやつだよ、よくやるよね7年も大学に残るなんてさ。あたし去年からツバキテレビでADやってんの」


そう言ってリュックの中身を牧園さんの足元に置き、部屋の隅にあるロッカーのロックを外して洗濯物を詰め始めた。牧園さん俺のことどんな風に言ってるんだとか、それ以上に事前情報の通りほんとにこの人同性愛者なのかとか、せっかくきれいな人なのにもったいないなとか、いろいろと衝撃がでかい。いやこれまでの調査でそのことは把握していたし、知識としてそういう人がいるというのは知っているんだが。


帰り際、馬喰さんから彼の博論の一つのコピーをもらった。タイトルは「伝承から考える海蜂の生態―怨霊としての視点から―」理系の論文とは思えないタイトルだ。これ民俗学とか宗教学の範囲なんじゃないか。帰りの電車内で要旨文だけ読んだが、はっきり言って荒唐無稽だ。深海エビの一種に第二次世界大戦の死者の怨霊が取りついたことで知能が向上し、狂暴化したのが海蜂である、とのことであるが、読んでいるとこっちの頭がおかしくなりそうで、要旨以外は読むのをやめてカバンにしまった。怨霊ってなんだよ怨霊って。本気で言ってんのかこの人。もっと良い言い方あるだろ、突然変異とか。

明日またここに来ることにしよう。明日も非番だし。




12月。


「博論出し終わった――!自由だ―!」


牧園さんが壊れた。


「あの、えっと、おめでとうございます。」


「ありがとーー!これ、博論概要のコピーね。私ね、博士号取ったら猫飼うのよ、これからペットショ

ップ行くから一緒に行きましょう!」


 博論のタイトルが書かれた冊子を差し出しながら叫ぶ牧園さん。テンションがちょっと引くくらい高い。明らかに、足元がふらふらしている。これやばいやつだ。ていうかこれから査読もあるはずだし、博士号授与ってたしか卒業式、つまり3月だ。いま猫を見に行っても、そのときにはその猫はもういないのではないか。


「いや、今日は家帰ってちゃんと寝てくださいよ。また行きましょう、俺次の非番土曜ですから、ね!」


論文を受け取るとそう説得し、なんとか牧園さんをタクシーに押し込む。何やってるんだろう、俺。論文は妙見さんの屋敷に、そのあと持っていった。


屋敷につくと、妙見さんが慌てた様子で出てきた。


「ああ斐伊川くんか、初春がそっちに行っていないかと思ったんだが・・・」


表向きは、孤児の保護という名目で妙見さんは4人の少女を手元に置いている。工科高校を出て今年はいろいろと入校を繰り返しており、忙しいらしい。彼女たちは統合幕僚監部防衛計画部の作った「シークレットシリーズ」という兵器の一種で、彼が機密として監視下におき生活の面倒を見ている子供たちだ。で、今は小平に入校中のはずなのだが、その内の一人がいなくなったと連絡を受けたのことだった。


「俺も探します。彼女が行きそうなところは」


「姉さん、行先も告げずにいなくなるなんてありえないはずです。さらわれたんじゃ・・・」


「その可能性もある。斐伊川くん、悪いが頼むよ。警察にも届けてはいるんだが連絡が来なくてね・・・」




1月。年末のシークレットシリーズ行方不明事件は、破壊された発信機を辿って向かった先、厚木基地付近の雑居ビルで「迷子」として保護されているところを連れて帰った。今後カードとして使うための一部始終の撮影の方が時間がかかったが、非番だというのに今日も俺はなんだか仕事をしてしまった気がする。


年明けとともに防衛省内では海蜂の調査計画が動き出しているとのことを、公式発表より少しばかり早く俺は仲間から聞いていた。これまで俺は、「国の仕事に携わること」に、彼女が良い印象を抱くよう誘導してきた。これからは、牧園さんと妙見さんと引き合わせ、4月から発足する対策委員会への参加を、彼女に3月までにうんと言わせなくてならない。非常勤でかまわないとのことだった。そもそも講師の仕事が内定している以上、そちらを無理に取上げるのは計画を破綻させ得るし、彼女に一生職を与えられる保証もないのだ。2月中に、妙見さんと一度会わせなくてはならない。


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