とある朝1-牧園常葉より-
伊坂幸太郎の小説のように、視点が変わるごとに絵文字を入れていく予定だったんですがそれできないことが判明したんですよね。しょうがないのでサブタイトルに名前を入れていくことにしました。
とある朝―牧園常葉より―
意識が浮かびあげると、ぱらぱらと何かがたたきつける音が断続的に耳に入ってきた。ああ、雨だ。
雨の日は、いまだに好きになれない。
――「お母さん、いっしょにいたいよ、なんで何も教えてくれなかったの。いきなり離婚なんて、それに私は」
「常葉、わがまま言わないの。もう子どもじゃないんだから、自分のことくらい自分でできるわね。いい子でいるのよ」―——
待って。行かないで。あっという間に走り出した車に、走っても追いつけるわけがない。つまずいて転んで、セーラー服に泥がしみ込んだ。寒い、寂しい、悲しい。どうして、私は、愛されなかった――――
目を開けると、そこはいつもの湿った匂いの充満した安アパートの部屋。過去の夢を見ていたらしい。容易にあの頃の記憶が蘇ってくる。台風の中、あの田舎道に置き去りにされたあの日から、私は子どもではいられなくなった。
いや、違う。この夢には、いつも続きがある。
――「詩乃おばあ様、須藤常葉です。これからよろしくお願いいたします」
「常葉どうしたん!あんたこげにびしょぬれになって!柚子はどげしたんえ!ああむげねえなあ、あんたんことはわがずーっと守っちゃるきいの」――
私はあの日から、やっと子どもになれたのだ。26歳の、今に至るまで。
「また泣いてるね、常葉」
そう声をかけられて、私は指で涙をぬぐった。
「おはよう、明乃ちゃん」
「おはよ。またあの夢?」
「うん」
「そっか」
そう言って、私の頭をなでる明乃ちゃん。
「ご飯作っといた。お茶淹れるんでしょ、はい起きて」
1LDKとは名ばかりの、寝室とキッチンのおまけしかないような狭い部屋。明乃ちゃん―私の4つ年下の恋人―が私の手を取って私を起き上がらせる。襖の向こうでは彼女が作ってくれた朝食が湯気をあげていた。
「・・・会社は?」
「常葉、今日土曜だよ。だから泊まりに・・・って、研究者に土日も祝日もないかあ。ほら二度寝しないの!顔洗って!」
明乃ちゃんに引っ張られてキッチンへ連れてこられた私は、なんとかお湯を沸かして、薬缶を火にかけた。カップを水きり場から出して、缶から3杯分の茶葉を掬っていく。冷蔵庫の中のカボスのストックは、まだあった。半分に切って、片方はラップで包んで冷蔵庫へ。果汁をカップの底に数滴、絞り入れる。お湯が沸いたので、手巾で鉄器のふたの頭を包んで開けて、茶葉を入れた。それを終えると、シャワーを浴びることにした。安アパートの例にもれず、ここもユニットバス。
「明乃ちゃんお手洗い使う?」
「大丈夫―、それよりご飯冷めちゃうから早くしてー」
「はいはい」
シャワーを浴びると、頭が一気にすっきりした。一晩で、けっこう汚れられるものね。汗とかいろんな体液の乾いたものが流水といっしょに流れ落ちていくのを眺めていた。それからタオルで水滴を拭いて、下着と部屋着をそのまま洗濯機から取り出した。お風呂を出て、茶こしをセットして淹れた紅茶は、いつも通りの香りを放っていた。12年前と、ずっと変わらない。そのうちに一杯をもって、祖母の仏壇に供える。仏壇といっても、部屋の片隅に棚を据え付けて、遺影と位牌を置いただけだけれど。元は寝室に置いていたのだけれど、明乃ちゃんを家に招いて以来「落ち着かない」という抗議を受けて、こっちに移動することにした。
「おはよう、ばあちゃん。今日はちょっと午後から大学いかなきゃだけど、午前中はゆっくりできそうでよかったわ」
そう声をかけて、手を合わせて。振り返ると明乃ちゃんがご飯を用意してくれていた。ごはんと、お味噌汁とお漬物。けっこう明乃ちゃんは、マスコミ関係者らしいその先進的な思想に見合わずこういう古いものが好きだ。彼女の目の前には山盛りのごはん。あとさっき私の淹れた紅茶。
「これくらいなら食べれるでしょ?あーお腹空いたあ」
「ありがとう、いけそう。いただきます」
「めしあーがれ」
しじみのお味噌汁と、炊きたてのごはん。・・・料理のできない私の恋人でも、お味噌汁とご飯は炊けるようになったみたいね。そう口にだしたらきっと怒るから、何も言わずにおいたけれど。あ、これ、インスタントね。一口飲んでそう気づいた。昨晩家に来た時、妙に荷物が大きかったのはそういうことか、とだけ考えた。あとご飯はがんばって炊いてくれたみたい。ちょっと硬いけど。
「うん、おいしいわ」
「でしょ?」
そこに隣の部屋の人の洗濯機の音が響きはじめ、明乃ちゃんは顔をしかめた。
「うるさ・・・」
「ここ防音なんて板一枚だものね。かといって明乃ちゃん実家だし・・・防音設備しっかりしてるとこだと、お家賃ここの倍近くするのよねえ、さすがにちょっと・・・ままならないわね」
「いやそこまでしてくれなくていいって。だいたい常葉はあたしのお願いなんでも聞いてくれすぎ」
「そうお?」
だったら、良いのだけれど。一応夜中には騒音を立てないでいてくれる人たちだし。そう思いながらお味噌汁を飲んだ。
「あ、今日なんだけどさ、大学は夕方からでしょ?」
「うん、4限から授業ね、そのまま月曜からの実験の準備しちゃいたいから・・・帰るの9時くらいかしら」
「だよね、じゃあさあ、お昼ここ行かない?」
そういって、SNSに写真のアップされた三鷹の方にある猫カフェのアカウントを見せてくれた。ご飯を食べながら猫ちゃんと触れ合えるのね、いいわね。
「行きたいわ。でもちょっと午前中はゆっくりしたいから・・・出るの11時くらいでいいかしら」
「いいよー。予約入れとくね」
「うああ可愛い・・・可愛すぎるう・・・あー・・・にゃー、にゃーんにゃー・・・」
猫カフェに到着して一時間。注文したオムライスはほとんど手をつけられないままテーブルの上に猫ちゃんの誤食防止用ネットをかけたまま放置され、猫たちに構い倒す私たち。ついに明乃ちゃんが文系であることを放棄し始めた。茶トラ猫ちゃんを抱いて、さっきから意味のわからないことをずっと言い続けている。かくいう私も、寄ってきてくれたシャム猫ちゃんが膝の上に乗ってくれて以来、正座にしびれる足を無視して御猫様のためにご奉仕中だ。ああかわいい。
「にゃーう」
猫様は甘い声で鳴いて、お水を飲みに行ってしまった。そこにアラーム音が鳴る。そろそろ学校に行く時間だ。猫ちゃんをびっくりさせなくて良かったわ。カバンを漁ってスマホを取り出して音を止めた。
「時間?」
「うん」
「そっかあ。うたにゃんバイバイ・・・」
明乃ちゃんは茶トラ猫ちゃんをそっと地面に降ろして、お会計に向かった。私は店員さんに声をかけて、オムライスを持ち帰れるように包んでもらうことにした。これは、お夕飯にでもいただきましょう。
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