アーモンド
『エミリア王女殿下。将来、私の妻となってくださいますか?』
小さな紳士が、小さな王女の前で跪き言った言葉に、言われた小さな王女は首を傾げる。
『フレッドにいさま?どうしたの?』
いつも通り手を引いてここまで来てくれて、いつも通り遊んでくれていたのに、と尋ねれば、小さな紳士は照れた様子で、はにかんだ笑みを浮かべた。
『結婚の申し込みだからね、きちんとしたいんだ』
『けっこんのもうしこみ?』
『うん。エミィに僕のお嫁さんになってほしい、ってことだよ。エミィは、僕とずっと一緒にいるの、いや?』
『いやじゃない!わたし、フレッドにいさまだいすきだもの!』
そう言っていつも通り抱き付けば、いつも通り抱き留めてくれる優しい手。
そうして覗き込んで来る、きれいな赤味がかった金色の瞳。
『僕も、エミィが大好きだよ。なら、僕のお嫁さんになってくれる?』
『うん、なる!わたし、フレッドにいさまのおよめさんになるわ!』
嬉しさに瞳を輝かせれば、同じくらいの輝きで見つめ返してくれる優しい瞳。
『ありがとう、エミィ。必ず君に相応しい男になって、ずっと傍に居るからね』
『ずっと?』
『ああ』
『じゃあ、ゆびきりして?』
『もちろん』
そうして幼いふたりはゆびきりして。
小さな紳士は、その約束の証として、淡い桜色の花が付いた小枝を小さな王女の髪に挿した。
「懐かしい」
特別な魔法で加工し、髪飾りとしたその桜色の花を見つめ、私はとても優しい気持ちになる。
この花の花言葉は、真実の愛。
あの時の私は、その花言葉を知らなかったけれど、あのフレッドが知らずに偶然選んだ、なんてことは考えられないから、知っていて選んでくれたのだろうと思う。
それまでも、ふたりでよく遊んだ花苑。
その思い出の場所の想い出の花でもあるそれは、フレッドによって更に深い想いを残すこととなった。
王城の一画にあるこの花苑、その満開の木の下で、幼いあの日、フレッドは私に結婚の申し込みをしてくれた。
それは、私にとって大切な記憶。
「思い出せてよかった」
心から思い、私は髪飾りにそっと唇を寄せ。
「エミィ」
フレッドの声に顔をあげた。
「どうかなさいましたか、王太子殿下」
そして茶化すように言うと、フレッドは少し目を見開いて、それから悪戯っぽく笑って、私の前で恭しい礼をする。
「お迎えにあがりました。王太子妃殿下」
まるで、これからダンスでも始めるかのその様相。
「もう、フレッドったら」
「始めたのはエミィだろう?」
その道化た様子に思わず笑えば、フレッドが澄ました顔で言った。
「そうだけれど。でも、事実だし」
今日の午前。
立太子の礼を終えて、フレッドは正式に王太子となった。
その式典での姿は本当に立派で、見慣れた私も魅入ってしまったほど。
周りの女性も当然見惚れていたうえ、愛人でもいいから、なんて囁きまで聞こえて、私は何だかもやもやしてしまった。
けれど式典が終わった後、衆目のなか私をエスコートしてくれたフレッドは、その視線を周りに向けないことが不安になるくらい、本当に私しか見ていなくて。
その幸福に輝く笑みを向けられた瞬間、そんなもやもやは消えてなくなってしまった。
それどころか、この素晴らしいひとは、心ごと私の傍に居てくれるんですよ、と自慢したくさえなって我ながら苦笑せざるを得ない事態となった。
もちろんすべて、私の心のなかでの葛藤で、表情になど微塵も出していないのだけれど。
私、性格悪いかも。
「エミィ?思い出し笑いなんてしていないで、僕を見てほしいな」
そんな私を覗き込み、フレッドが揶揄うような目を向ける。
どうやら表情に出てしまっていたらしい。
フレッドだけだとどうしてもこうなる、とまたも苦笑しつつ私は反撃を繰り出した。
「ええ、そう。今日のフレッドは、本当に格好よくて素敵だったな、って」
「っ!」
反撃といっても本当のことを言っただけだけれど、フレッドには予想外だったらしくて驚いたように目を見開いて固まってしまった。
「顔、赤いわよ?」
くすくす言いながら頬をつつけば、わざとらしく目を眇める。
「からかうな」
「からかってなんていないわ。周りの女性も皆、フレッドに釘付けだったわよ?愛人でもいい、んですって」
何となく面白くなかった、その気持ちも混ぜ込んで音にすればフレッドが自分の前髪を片手で持ち上げた。
そんな仕草も、凄くさまになって格好いい。
「周りはどうでもいい。エミィがそう思ってくれるなら、それだけで」
「私は、愛人でもいい、なんて思わないわよ?」
「当たり前だ、莫迦」
わざと、つんと澄まして言えば、こつん、と頭を小突かれ、私は大げさに首を傾いだ。
「でも、本当。その盛装も素敵だわ」
式典の時より華やかな装いになったフレッドに、私はまたも見惚れてしまう。
「エミィも、凄くきれいだ。式典のドレスも清楚で素敵だったけれど、そのドレスもよく似合っている。今日は、もう一回違うドレス姿を見られるから、そちらも凄く楽しみなんだよね」
これから行われる昼餐、そしてお披露目のパーティ。
どちらも、諸外国から王族の方も臨席してくださることになっていて、フレッドと私には、王太子、王太子妃となって初めての外交が待っている。
当然緊張もするけれど楽しみでもあり、何より頼りになるフレッドが傍に居るのだから心強いことこのうえない。
「私も。フレッドとお揃いのドレスを着るの、凄く楽しみ」
これまでも、そういう機会はあったけれど、今日という日はまた格別。
「ところでエミィ。手に持っているのは、なに?」
「これは、一等大切で特別な髪飾りよ」
「一等大切で特別な髪飾り?・・・・っ、エミィ。もしかして、それ」
私の答えに不思議そうな顔になったフレッドは、私が手のひらに乗せて見せたそれに息を呑んだ。
「覚えている?」
自信はある。
けれど、不安もあって見つめたフレッドが、まるで泣き笑いのような表情になったことに驚いてしまう。
「フレッド?」
何故そんな表情になったのか判らずおろおろしている私を、フレッドが優しく抱き寄せた。
「嬉しい。あの日の僕の想いを、それほど大切にしてくれて」
「凄く嬉しかったのだもの、当たり前だわ・・・ね、着けてくれる?」
この髪飾りのために空けてある部分を指さし言えば、フレッドが戸惑いを見せる。
「うまく着けられる自信が無い」
「大丈夫。あの日と同じように挿し込めばいいようになっているから」
「緊張する」
「私は、嬉しい」
「っ・・・そうか」
「うん」
こんこんと、尽きることなく心の底から込み上げる幸せ。
その想いのままに微笑み合い、見つめ合って。
あの日と同じように。
あの日と同じ、この場所で。
ふたり。
後。
国王となってからも、フレデリクは王妃であるエミリアと秘密の文通を続けた。
共にあっても交わされる恋文。
それは、王太子時代からのふたりの恒例のことで、公然の秘密ではあったが、その内容は誰も読むことが出来なかったという。
日本語、というエミリア王妃が生み出したその暗号は、やがて重要な役目を果たすことになり、代々王家直系に伝授されていくことになるのだが。
それは、まだ少し未来の話。
了
『これからずっとひみつのぶんつうをしよう』
それが、フレデリク最初の日本語での恋文。
完結です。
読んでくださって、ありがとうございます。