記憶
「ああ。癒される」
「フレデリク様。お疲れなのですから、きちんとお部屋でお休みになられた方が」
「ここがいい」
優しい陽射しが降り注ぐ庭で、気持ちよさげに目を瞑るフレデリク様。
その様子は、本当に寛いでいらっしゃるようで喜ばしい、のだけれど、本当にこれでいいのだろうか、と私は周りを見渡してしまう。
今フレデリク様が横になっているのは、庭に敷いた敷物の上。
そして、その頭は、同じく敷物の上に座った私の膝に乗せられている。
フレデリク様たっての希望でこの状態になったのではあるけれど、この数日満足に眠る時間も取れないほど忙しくされていたのを知っている私としては、きちんと部屋で休んで欲しい。
そう思って辺りを見回すも、侍女さん達も護衛さん達も微笑ましく見守ってくれるばかりで、援護は期待できそうもない。
「ああ。本当に気持ちがいい」
「確かに。心地いい陽射しですね」
確かに今日は日向ぼっこに最適な陽気で、とても気持ちがいい。
「ああ。エミィの膝枕、というのも最高だ」
「っ・・・気に入ったのなら、そのまま眠ってしまっていいですよ」
思いがけない発言に顔が熱くなってしまったけれど、目を瞑っているフレデリク様には見られないから、と、いつもなら気まずく逸らせる顔もそのままに、私はその赤味がかった金色の髪を梳きながらそう言った。
「そんな勿体ないこと、したくない」
「そ、そうですか」
「うん」
薄目を開けて、本当に幸せそうに微笑むフレデリク様を見つめていると、私まで幸せな気持ちが溢れて、ぽかぽかと胸が温かくなる。
「それにしても、フレデリク様は本当に凄いのですね。宣言通り、速攻で事件を解決してしまわれて」
『速攻で片付けて来るから』
その言葉通り、フレデリク様は素早い動きで事件を解決してしまった。
まず、囚われていたコーラの妹を救出し、更にその犯人が私やフレデリク様を襲った犯人と同一の組織だと暴き、彼等の罪状を詳らかにしたうえ、その黒幕までも明らかにしたのだとか。
黒幕は、やはり元側妃のブリット様と元アンデル公爵ヨーラン、そしてふたりの子イエルド。
三人は、私を毒殺することで再びの王家簒奪を試みたらしい、のだけれど、その失敗によって、最初に収容されたのより更に厳しい、最も過酷だと言われている囚人の塔へ移動させられてしまった。
三度にも亘り王女暗殺を企てた者には極刑を、との声も多かったようだけれど、その囚人の塔は、終生過酷な強制労働が課されるうえ、粗末な食事と粗末な寝床、何より灼熱とも言われる厳しい熱さに耐えなければならない、という、極悪人の厳罰施設としても有名で、死ぬより苦しいこの世の地獄、とさえ言われている場所だそうで、貴族、王族、準王族として生きて来た彼等が、相当の苦労をするのは確定していると思う。
何にせよ、今回の毒殺未遂事件でフレデリク様と私を亡き者にしようとする勢力は消滅し、当面の不安は解消された、とフレデリク様が晴れ晴れとした顔で報告してくれた。
その時、フレデリク様は王城から三日ぶりに戻ったところで、目の下の隈がそれは酷いことになっていたけれど『エミィの顔を見たら安らいだ』と、嬉しそうにエントランスで私を抱き締め微笑んで、けれど邸の滞在時間は本当にそれだけで、休む間もなく、またすぐに王城へ戻って行かれ、それから数日お戻りにならなかった。
そして今朝早く、まだ暗いうちにお戻りになったフレデリク様は、そこから漸くおやすみになって。
そのまま、今日はゆっくり寝ていらっしゃるのだと思ったのに、私をこうして庭に誘い、優しいひと時を過ごしてくださっている。
「あの。ご出立の折には、我儘を言ってすみませんでした。やっぱり記憶が無いからなのか、一緒に行くのが当然のような気がしてしまって。で、でも。あの時の、一緒に行く、という私の我儘を聞けなかったから、と、このように一緒に過ごしてくださるのは嬉しいです。凄く」
私を宥めるためだとしても、こうして一緒に過ごせるのは嬉しい、と素直に言えばフレデリク様が、その目をぱちりと開いた。
「そういえば、記憶が無いのだった。余りにいつも通りのエミィなので、違和感が無さ過ぎで忘れていた」
「え?」
私は思わず声に出してしまうけれど、ふむふむと頷くフレデリク様からそれ以上の説明は無い。
「あの、それはどういう・・・」
「そのままの意味だよ。エミィは、自分だけが護られることを極端に嫌う。それどころか、率先して周りを助けようとする困った姫君なんだよ、君は。あ、それと、こうして一緒に過ごしているのは僕が心からそうしたいからで、別にエミィのご機嫌取りのためじゃない」
訥々と言われ、私はフレデリク様を凝視した。
「そう、なのですか?」
「そう、なんだよ」
そう言ったフレデリク様は、私の膝に頭を乗せたまま、嬉しそうに私の髪に手を伸ばす。
「私、フレデリク様に髪を撫でられるの、好き、です」
くすぐったくも幸せで、首を竦めて言った私に、フレデリク様が何故か空を仰いだ。
「ああ、エミィ。僕を試しているのかい?」
「え?」
「ねえ、エミィ。寝室、戻って来る気はないかい?」
フレデリク様の言葉に、私は首を傾げてしまう。
「寝室に戻る、ですか?」
これからまた寝る、お昼寝でもしよう、ということなのか、と私はフレデリク様の言葉を待った。
「ああ。エミィが今使っている寝室は、君個人の寝室。君があの寝室を使うのなんて、結婚して初めてなんだよ。ずっと僕とふたりの、夫婦の寝室を使っていたから」
聞けば、今私が使っているのは、公爵夫人個人の寝室で、夫婦の寝室を使えない場合を考えて結婚当初から用意はされていたけれど、私が倒れるまで使うことはなかった、らしい。
それが、生死の堺を彷徨うほどの重態となって、初めて使われたのだとか。
「すみません。覚えていなくて」
「覚えていなくとも、来てくれる?」
夫婦の寝室へ戻る。
私の感覚としては、行く、になるわけだけれど。
夫婦の寝室、ということは、当然、そこにはフレデリク様もいらっしゃるわけで。
恐らく、というか絶対、ベッドはひとつしかない。
「わ、私には敷居が高いというか、畏れ多いというか、心臓が爆発する予感もしますし」
フレデリク様とひとつのベッドに寝る、と考え焦った私は、あたふたとよく判らない事を言ってしまう。
「エミィは、僕と一緒に寝るのは、いや?」
「いや、ではない、です。はい」
「エミィ!」
私の答えに、フレデリク様が嬉しそうに笑い、私を抱き締めた。
といっても、膝枕体勢で、のことなので、フレデリク様が私のお腹に抱き付いた、というのが正しいと思う。
「フレデリク様」
「エミィ」
そうして優しい声で私を呼び、下から見つめるフレデリク様の瞳に、とろりと極上の甘さが宿った、と思ったその時。
「旦那様!奥様!お寛ぎのところ申し訳ございません!たった今、国王陛下と王妃陛下がご到着なさいました!」
ひとりの侍女が、転がる勢いで駆けて来た。
陽だまりで過ごす、ふたりの幸せな時間。
もしかして、また一歩その距離が縮まるのでは、と思った時に聞いた報告に、私はそれまで感じていた甘やかさも、きれいに吹き飛ばされてしまう。
「え!?今!?もう到着されているのですか?」
何の先触れも無かった筈、と思う私の膝から、ゆらりとフレデリク様が起き上がり、それはもう不機嫌な声を出した。
「ひとの至福の時間を」
「もっ、申し訳ございませんっ、旦那様っ。お、お忍びでいらした、とかで・・・っ」
「大丈夫よ、落ち着いて。フレデリク様の不機嫌は、貴女のせいじゃないわ。判りました。すぐに支度をして向かいます。いらっしゃるのは、応接室でいいのかしら?対応しているのは、バート?」
「はっ・・はいっ」
凶悪な顔になったフレデリク様に怯える侍女に聞けば、こくこくと頷きながら懸命に応えてくれた、けれど。
「エミリア!・・・リーア!」
そう男のひとの声が聞こえた、と、そちらの方向を見れば、邸のなかから数人がこちらへ向かって歩いて来るのが見えた。
「えっ!?どうしてこちらに!?」
報告に来た侍女が固まり、フレデリク様が舌打ちしたのをみるに、あの集団に国王夫妻が居るとみえる。
否、国王夫妻がこちらへ動いたから、使用人達も一緒に移動しているというべきか。
などと冷静に判断しつつ、私は、おふたりを迎えるべくゆっくりと立ち上がった。
「まったく、仕方のない」
その隣で、文句を言いつつフレデリク様も立ち上がる。
「ああ!エミリア!」
私の名を大きな声で呼びながら先頭切って歩いて来るのは、私とよく似た金色の髪が見事な男性。
恐らくは、あの方が国王陛下、と思い視線をずらした私は、そのまま固まった。
見えたのは、国王陛下に少し遅れて小走りで続く、ひとりの女性。
遠目でも判る、その光り輝く美しい銀色の髪。
「っ!」
そして、瞬間、私のなかで溢れ出した光。
私を優しく呼び、私を見つめて微笑み、一緒にお茶をし、時に眦を釣り上げてお説教をする。
光のなかにあるのは、私の記憶。
私をこの世へと送り出し、愛し、慈しんで育ててくれたそのひと。
「お母様!」
「リーア!」
弾けた記憶のままに駆け出した私に、両手を広げてくださるお母様。
「お母様!」
もう一度叫んで胸に飛び込めば、しっかりと私を抱き締めてくださる。
懐かしく優しい、私の場所。
「ああ。わたくしのエミリア。もっとよく顔を見せて?身体は?記憶が無いと聞いたのだけれど、今ちゃんと」
「はい、お母様。もうすっかり元気です。そして、判ります、私。お母様が」
朧だった過去が確かな記憶として私のなかに蘇る。
霞がかったようだった意識がクリアになった、清々しい感覚。
「エミィ?記憶が?僕のことも?」
涙するお母様の手が私の頬に触れ、私もそっとお母様の手に自分の手を重ねる。
そんな私の行動に驚いた様子のフレデリク様が、恐る恐るという感じで私の肩に手を掛けた。
「ええ。思い出しましたわフレデリク様。いいえ・・・フレッド」
にっこりと微笑み、心込めて呼び慣れた愛称を口にすれば、泣き笑いの表情になったフレッドが、感極まったように私を引き寄せ抱き締めよう・・・として、お父様に阻まれた。
「・・・・・」
え?
僕はずっと傍に居たのに、義母上を見た瞬間に思い出したの?
え?
い、いや、気に何てしない・・・・。