王女と公爵
「エミィ、今日は庭を散歩しようか」
目覚めてから、ひと月弱。
かなり体調の戻った私は、ずっと外に出たいと願っていたけれど、なかなかお医者様の許可が下りず、過保護なフレデリク様が裏で操作しているからなのでは、などと疑いを持ってさえいた。
けれど、倒れた時の私は、魔力枯渇、というかなり危険な状態だったため、過保護でもなんでもなく未だ許可できない、とお医者様にはっきり言われてしまい、何も言えなくなってしまっていた。
それを超えての今日。
漸くお医者様の許可も下りて、フレデリク様がお庭のお散歩に誘ってくださった。
「はい!よろしくお願いします!」
嬉しくて、弾んだ声で即答した私は、そのまま出かけようとしてアデラに止められた。
曰く、庭とはいえ外に行くのだからそれなりの用意が必要、とのこと。
なるほど、と思ってから、何がなるほど?と思いはしたものの、帽子やショールを揃える姿を見て、そういうことか、と納得した私は、張り切るアデラに髪を可愛く結われてフレデリク様の元へと送り出された。
そして、フレデリク様とふたり、広い公爵邸の庭を歩く。
ふたりといっても、後ろからアデラと護衛の方も付いて来ているのだけれど、私はそれも気にならないくらいはしゃいでいた。
「ああ。陽に輝くエミィの髪は、本当に美しいね。また見られて、本当に良かった」
フレデリク様が感慨深く言うのを聞くと、それだけ私が心配をかけたのだという事を実感する。
なにしろ、そのまま儚くなってしまっても何の不思議もない状態だった私を、フレデリク様がその片腕に抱き締め馬駆け戻って来たのだ、とバートさんに聞いた。
その時の勢いがとても凄まじかったことも、そしてその後、意識の戻らない私のことを自ら必死で看病してくれたのだということも。
だから今、私がこうして再び外へ出られるようになったことは、フレデリク様にとって、私自身とは比べものにならないくらい大きなことなのだと思う。
「ふふ。蜂蜜みたいな色ですよね。舐めてみます?」
「えっ!?思い出したのか、エミィ!?」
しんみりしているフレデリク様に、わざとらしくふざけた調子で言えば、フレデリク様が焦った様子で私の両肩を掴んだ。
「え?え?」
蜂蜜のような淡い金色の髪色なので、そう言った私に他意は無い。
けれどフレデリク様には違ったようで、私を見つめるその目には期待の籠った強い光が宿るも、きょとんとした私に、見る間にその光は消えてしまった。
「ああ。思い出した訳じゃないのか・・・いや、エミィは、記憶を失う前もそう言って僕を揶揄っていたから、なんか、こう」
「ごめんなさい」
謀らずも落胆させてしまったことを謝れば、フレデリク様は大きく首を横に振ってくれる。
「いいや。いきなり叫んだりして、驚いただろう」
こちらこそごめん、と言いながら私の髪を撫でてくれる手は優しい。
きっと記憶を失う前も、たくさん撫でてもらったのだと思えば、早くその記憶を取り戻したいと思わずにいられない。
「そういえば、フレデリク様のお父様とお母様からも、お見舞いをいただいていて。お礼状はしたためたのですが、一緒に何か贈り物をしたくて。そうしても、ご迷惑にならないでしょうか?」
記憶を取り戻すためにも、と私は周りに教えてもらいながら、なるべく前と変わらない生活をするように心がけている。
もちろん、心がけている、だけで、大した役には立たないのだけれど、それでも公爵夫人として出来ることはしたいし、今回のこれは、何より私がいただいたお見舞いなのだから、と、フレデリク様の、その髪と同じ赤味がかった金色の瞳を見つめて言えば、フレデリク様が嬉しそうに笑った。
「もちろん。ふたりとも、とても喜ぶ」
「それから、国王陛下と王妃陛下からもお見舞いをいただいて。こちらは、公爵家としてお礼した方がいいでしょうか?」
公爵家も大家だけれど、王家となれば更にその上。
そして、前公爵夫妻は義理の両親、つまりは身内になるけれど、国王陛下と王妃陛下はそうもいかないのでは、と私が考えつつ言えば、フレデリク様が微妙な顔になった。
「それは、悲しまれるだろうな」
「え?悲しまれる、ですか?」
国王ご夫妻が一公爵家の夫人に見舞いを贈り、それを家としてお礼されて悲しまれる、という理由が判らず、私は首を傾げてしまう。
「ああ。ましてや、父上や母上にはエミィの心づくしの贈り物もあった、なんて判った日には、兄弟喧嘩が始まりかねない・・・いや、確実に始まる。ああ、目に見えるようだ」
そう言ってどこか楽し気に苦笑する、という器用な表情を見せるフレデリク様の言葉に、私の疑問は、更に深くなった。
「きょうだい喧嘩、ですか?」
一体、誰と誰の、と、フレデリク様の言葉を反芻していると。
「ああ。父上は、今の国王陛下の同母の弟にあたるからね」
そんな、爆弾発言が繰り出された。
「ええっ!?お義父さまは王弟殿下、なのですか!?」
「うん、そうだよ。臣籍降下して、もう長いけれど」
あっさりと言われ、私は心臓が悲鳴をあげるほど鼓動が速くなるのを感じた。
「で、では、国王陛下はフレデリク様にとって伯父上様にあたる、と」
「うん、そうなるね。陛下には、王女殿下がおひとりいらっしゃるだけだから、子どもの頃から随分と可愛がっていただいた。まあ、余計な奴はいたけれど」
最後に呟いた、唾棄するような言葉はよく聞こえなかったけれど、フレデリク様が国王陛下の甥御様なのだと知って、私は気が動転してしまう。
「で、では。国王陛下は、その王女殿下とフレデリク様のご縁を望まれたのではありませんか?」
この国では、女性の即位は認められていない、と習っていた私は、一気に不安が押し寄せるのを感じた。
自分の子どもに継がせることが出来ないのなら、甥と娘を結婚させて、と考えるのは、とても普通なことの気がする。
「ああ。だから、エミィと僕の恋は、大歓迎されたよ。ふふ。言ったでしょ。僕とエミィはいとこ同士だ、って」
「へ?」
悪戯っぽく言うフレデリク様の言葉がよく理解できなくて、私は淑女にあるまじき声を発してしまった。
「エミリア王女殿下。私の愛も忠誠も、生涯貴女ひとりに・・・僕は、確かに君にそう誓った」
そして、突然私の前に跪いたフレデリク様にそう言われて、私は固まってしまう。
「王女・・・殿下?私が?」
「そうだよ、エミィ。君は、この国でただひとりの王女殿下なんだ。そして僕は、ひとりの男として君に終生の愛を誓い、ひとりの騎士として君を護り抜くと誓った・・・それなのにあの日、僕は、君を護り切れなかった」
私が王女である、という事実も驚きだったけれど、何より苦しそうに言葉を紡ぐフレデリク様が心配で、私はそっとその手を取った。
「フレデリク様。あの時フレデリク様は、私を抱きかかえて馬を駆け、迅速に治療を受けさせてくださった、と聞いています。そのお蔭で私は助かったのです。ですから、そのようにご自分を責めないでくださいませ」
記憶の無い私が言っても説得力はない、むしろ、そんな資格は無いかもしれない、と思いつつも、私は言わずにはいられない。
「エミィ」
「それよりも、その時の状況を、もっと詳しく教えてはいただけませんか?」
私が魔力枯渇を起こす原因となったのは、襲撃を受けたからだ、とは聞いているけれど、それ以上深く説明をされていない私は、今のフレデリク様を見て、それを知りたいと強く思った。
記憶が無くとも、出来る限り共有したい、寄り添いたい、と。
「けれど」
「アデラにも、忘れていられるならその方が、と言われてしまったのですけれど、でも、私は知りたいのです・・・記憶が戻る、きっかけになるかもしれませんし」
フレデリク様の表情が動かないのを見て、最後は思いつきのような発言になってしまったけれど、それでフレデリク様が私に話す気になってくれたのは僥倖だった。
「判った。でも、辛くなったら、すぐにそう言うんだよ。途中でもなんでも構わないからね」
庭のベンチにふたり腰掛け、フレデリク様はそう言って口を開き、私は耳を澄ませる。
襲撃のあった日は、公務があってフレデリク様と私、ふたり揃って王城へあがったこと、その帰り襲撃を受け、フレデリク様や護衛の騎士達が応戦したこと、私は魔法で援護していたこと。
そして、後少しで襲撃犯を全員捕らえられる、という時に、相手方の魔導士がその命を根源とした大きな魔法を王都中心街へ向けて放ち、それを相殺するための魔法を放った私が、魔力枯渇を起こしたこと。
「エミィがいなければ、街は甚大な被害を免れず、大変なことになっていたに違いない」
そう締め括ったフレデリク様は、耐えかねるように私を抱き締めた。
「フレデリク様」
「街の上空で、大きな魔法がぶつかり合って消えて。安心すると同時に君が倒れて。僕の腕のなかで、君の体温がどんどん下がっていって・・・物凄く、怖かった」
「それで、馬を走らせてくださったのですね」
「それしかないと思った。魔法で医師へ連絡を入れて、君をとにかく早く診せる。それしか、考えられなかった」
「フレデリク様が、魔力供給もしてくださったと聞きました。目覚めてからも、手厚く看病してくださって、記憶が無くとも不安なく過ごせました。お蔭で、こうして元気になりましたよ?・・・ぽんこつなもので、記憶はまだ戻りませんけれど」
肩を竦め、少しふざけた様子で言えばフレデリク様が小さく笑ってくれる。
「言動は、余り変わりが無いけれどね」
「そうなのですか?」
「ああ。エミィは、今も昔も、僕のエミィだ」
にこにこと邪心無い様子で言われ、私は改めてフレデリク様の過保護ぶりを実感した。
これは。
私が余り変わらない、というのも、半分くらい本気で聞いておいた方がいいのかしら。
後で、アデラに確認してみないと、ですね。
ブクマ、評価。
そして、読んでくださってありがとうございます。