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相川さんの口紅 2


 ――プルルルルル!

 どこか駅のホームを思わせる音色が耳元で鳴り響き、勢いよく体を起こした。

 目の前に広がるのはいつものボロアパート。

 夢の影響もあり、その電子音に異常に反応してしまったらしい。

 うわ……体中汗まみれだし。

 ガンガンと二日酔いで痛む頭を押さえながらスマホを手に取れば、そこには上司の名前が表示されていた。

 どうやら目覚ましではなく、通話が掛かって来ていたらしい。


 「あぁー……もしもし、おはようございます」


 枯れた声を上げながらスマホを耳に当てると、向こうからは楽しそうに笑う上司の声。

 何だコイツ、朝一から連絡してきやがって。

 こっちは昨日から気分最悪だっていうのに。

 なんて事を考えながらイライラしていると、電話越しの笑い声は鳴りを潜め、やがて語るような口調で喋り始めた。


 『おぅ、おはよう。 昨日はしこたま飲んだもんなぁ、そりゃ二日酔いにもなるし、体調悪くても仕方ねぇよなぁ』


 「はぁ……」


 飲ませたのはお前らだろうが、というか朝一から何訳の分からない電話掛けて来てんだコイツ。

 思わずため息が出そうになるのを我慢しながら、とりあえずペットボトルの水を口に運ぶ。

 非常に温い、温いが体に染み渡る。


 『ま、無事なら良いんだ。 何の連絡もなかったから、コレでも心配したんだぞ? 今日お前は休みって事にしておいたから、感謝しろよぉ?』


 「え? は? 何言ってるんですか、普通に出勤しますよ?」


 『それこそ何言ってるんですか、だよ。 時計見て見ろ、時計』


 いまいちかみ合わない会話を交わしながら、壁に掛けてあった時計に視線を送る。

 そこに表示されているのは12時30分。

 ……ん?

 夜の12時じゃないよね? 外明るいし。

 え? は? 今何時? 12時半か。

 会社に居れば、丁度お昼休みに入った時間帯だ。

 これは……うん、不味い。


 『気づいたかぁ?』


 「……すんません、今すぐ行きます」


 顔面蒼白になりながら、急いで鞄を引っ掴み着替えを……昨日はスーツのまま眠ってしまったらしい。

 あぁもういい、このまま出勤してやる。

 なんて事をどったんばったんと音を立てながらやっていると、電話越しに呆れた笑い声が帰って来た。


『だから今日は休んでいいっての。 落ち着かねぇ様なら昨日持ち帰った資料でも家でまとめとけ、部長に俺が言っておくから』


 「いや、でも」


 『でもじゃねぇよ、今更出勤しても会社に泊りコースだぞ? 二日酔いの奴が来ても仕事が増えるだけだ。 つーわけで休め、これ上司命令。 んじゃな』


 そう言って、上司は一方的に電話を切ってしまった。

 普通に言えばありがたい。

 めちゃくちゃ二日酔いだし、昨日風呂入ってねぇし。

 だがしかし、これをネタに今後どれだけ弄られる事か。

 それだけならまだしも、また先輩と絡んで悪巧みでもしてなきゃいいが……


 なんて、色々思う訳だが。

 結局の所無断欠勤してしまった俺が悪い訳で、そのフォローをしてくれたのだ。

 感謝やら申し訳なさが交じり合い、大きなため息を溢した。

 明日会社言ったらお礼言っとこ……


 「とりあえず風呂……の前に片付けか。 ひっでぇなぁ……何本飲んだんだよ」


 テーブルの上に転がった空き缶と、何故か広げられている製作途中の資料を片付けていく。

 なんで資料が出てるんだろうな、酔っぱらった頭でも仕事しようとしてたのかな。

 いろんな意味で頭を痛めながら、資料を鞄に放り込んでいく。


 「あぁぁもう、何やってんだか俺は……」


 乱暴とも言える手つきで最後の資料を鞄に放り込んだ時、突っ込んだファイルの先からコツッと固い感触が帰って来た。

 はて? 何か入れたっけ?

 基本的に鞄には仕事道具ばかりで、他に入れるモノと言えば日用品くらいなものだった筈だが。

 もしかして内ポケットから印鑑でも転がり出たか?

 なんて事を思いながら鞄に手を突っ込むと、指先に例の固い感触が返って来た。

 コイツか、と言わんばかりに掴んでみればやはり印鑑くらいのサイズ。

 危ない危ない、認印とは言えど下手に転がしておけば何処に行くか分かったもんじゃない。


 「やっぱチャックがあるとこに入れて置かないと、すぐどっかに――」


 鞄からソレを引っ張り出し、握りしめた掌を開いた瞬間、つぅっと額から冷たい汗が流れて来た。

 探していたソレは、印鑑なんかじゃなかった。

 よく見りゃテーブルの上に印鑑転がってるし。

 では、これは何だ?

 分かってる、コレ事体が何かは知っている。

 でも、なんで俺の鞄に入っているのかが理解出来ない。

 紫がかった黒い本体、金の模様が入った持ち手の部分。

 本体といってもコレがキャップというか、蓋の役割でしかない事は知っている。

 いざ取り外してみれば金色の筒が出て来て、中には赤い色をした紅が見える。

 まごう事なき、“口紅”。


 「い、いやいやいや。 おかしいだろ、絶対おかしいって」


 現実逃避気味の思考で、口元に引きつった笑みを浮かべながら口紅を観察する。

 あり得ない、なんでこんなものが俺の鞄に。

 しかもこのタイミングだ、もはやドッキリとしか思えない。

 思いだされるのは先程見た夢。

 あのグロい夢の中で、女性が持っていた口紅。

 そして最後には手首だけになっても離さなかった、あの口紅と酷似している様に思える。

 あまりにも現実離れしすぎていて、理解が追い付かない。

 口紅を握りしめたまま、思わずスマホを掴んだ。


 「しゅ、周辺のニュース」


 ボイス機能に反応して、付近で起きた事故や事件の表示していく端末。

 その内の一つに、『○○駅で人身事故、自殺の疑い』という項目で指が止まる。


 ○○駅で、会社員の男性(54)がホームへ転落するという事故が発生した。

 男性が転落した直後、運悪く回送電車通り過ぎ男性は即死だった思われる。

 ここ最近多く発生する人身事故。

 駅の防犯カメラの映像を確認しようにも、例の如く何故かこの時間帯だけ映像が残っていないと駅員は証言している。

 ○○駅から――駅の間で多発する人身事故。

 何かしらの関連性が疑われるが、未だ真相は明らかになっていない。

 ただ周辺に居た利用客の話によると、自ら飛び込んだという証言が後を絶たない為、やはり今回も自殺を疑われている様だ。

 似たような事故がここ最近――


 ……これって、昨日のアレだよな?

 俺が酔っぱらい過ぎて、乗車中に夢を見ていたって訳じゃないんだよな?

 今更ながら、昨日眼の前で起こった事故を思いだしてゾッと背筋が冷えていく。

 自殺……本当に自殺なんだろうか?

 とてもじゃないが、昨日のアレを見ると……


 『見つけたら、教えてくださいね』


 あの直後に聞えた声を思いだして、膝から力が抜けた。

 間違いない、夢で見たあの女の声だ。

 そして、昨日話しかけて来た赤いシャツの女の声。

 嘘だ、こんな事あり得ない。

 ガクガク震えながらも、掌に残る口紅に視線を落とし、持ち手の部分を確認してみれば。

 『A.A.A』

 間違いなく、あの刻印が彫られていた。


 「は、はは……はっ。 今度は俺が標的だってか? ふざけんなよ、一体何が目的なんだよ」


 乾いた笑い声を上げながらも、手に持った口紅を睨みつける。

 間違いなく夢で見たモノ。

 そして昨日の人身事故、そして線路に飛び込んだ男の最後の言葉。


 ――相川さん、やっと見つけた。 口紅、見つけました。


 間違いなく、彼は彼女に口紅を返そうとしていたのだ。

 だが、死んだ。

 ホームから落ちるという、偶然にも彼女の同じ結末で。


 つまりは何だ? 向かいのホームに彼女の姿を見たという事でいいんだろうか?

 そして彼は猪突猛進に、見つけた彼女に向かっていったと。

 そこまで追い詰められていたのだろうか。

 毎晩あのグロい夢とか見せられたりすれば、流石に精神がすり減りそうな気がするが……彼はあの夢にそこまで追い詰められていたのだろうか?

 考え過ぎか? いやでも最悪の状況は考えておくべきだろう。

 そして幸い俺はまだ自制心が残っている上、この口紅に関わってから1日しか立っていない。

 そしてなんと、今日はお休みを頂いたのだ。

 ならば……


 「今日、あの子に口紅渡せば終わるんじゃね?」


 彼女は普通の人間で、全てが俺の勘違いったとするなら。

 多分相当間抜けな事をして居るだろう。

 でも夢の内容、そして何故か鞄に入っていた『A.A.A』と書かれた口紅が見つかった。

 これで恐怖を覚えない人間がいるなら名乗り出て欲しいくらいだ。

 化け物が出た訳でもないし、心霊現象が自宅で起き始めた訳でもない。

 でも、とてつもなく嫌な感じがするのだ。

 この手に持った口紅に視線を送る度、まるで誰かに見られている様な気になってくる。

 正直、いち早く手放したい。

 でも多分、ゴミ箱に捨てるとかでは解決しない気がする。

 本当に何となくだが、コレは彼女に返すべき品なのだと頭のどこかで囁いている俺が居た。


 「電車……乗るか」


 それだけ呟いて俺は鞄と口紅を引っ掴み、最寄り駅へと走った。

 早くコイツを持ち主の元へ返さないとヤバい事になる。

 どこか、そんな強迫観念を覚えながら。


 ――――


 『まもなく――、――です。 お出口は右側です』


 赤いシャツの彼女と出会った駅に到着した。

 コレと言った変化もなく、次々と乗り込んでくる乗客達。

 その中に赤いシャツの女は居ない。

 あぁくそ、やはりあの時間帯にならないと無理なのか?


 もう何往復しただろう。

 改札を通らず、問題に上がっている駅をひたすら周回している俺。

 監視カメラの映像とか見られれば、明らかに不審者だろう。

 痴漢被害の申し出とかあった場合、絶対疑われるヤツだよなコレ……

 自分で言っていて悲しくなってくる現状。

 もうそろそろ止めようか、なんて思ってきたところで高校生達が大量に押し寄せて来た。

 あぁもうそんな時間か、随分長い事電車に乗っていたんだな。

 とかボケッと思ってしまうくらいに疲れていた。

 例え俺のすぐ隣にうら若き女子が座ろうが、今の俺には何の関係ない。

 キャッキャと何やら煩く話してるが、そろそろ体力の限界を感じ始めていた。


 「そう言えば聞いた? 2組の○○さんが狙ったおっさん、昨日のヤツなんだってさ!」


 「それってアレ? 都市伝説っていうか、いたずらみたいな」


 「そうそう、罰ゲームでやってるらしいよ! ウチらもやってみる?」


 「えぇ……私はそういうのちょっとなぁ……」


 何やら意味深な会話が聞こえてくるが……ちょっともう無理。

 眠気が……アカン。

 ユラユラと揺られる電車の振動を感じながら、限界を迎えた俺は瞼を閉じた。


 「実はさぁ……用意してあるんだよね!」


 「うっわ、お前最悪じゃん」


 思考が途切れるその瞬間まで、若い子の声が聞こえて来ていた。

 全く、若い子は元気で良いですなぁ……


 ――――


 ガタンゴトン……なんて、絵に描いた様な電車の音。

 音の場合は絵に描いたとは言わないのか?

 なんて言えばいいんだろう?

 そんな事を考えながら眼を開いた。


 「拾ってくれたんですね」


 目の前に、女性が立っていた。

 その手に、どこかで見た様な口紅を持って。


 「ありがとうございます。 もう、見つからないって思ってたから」


 そう言って、彼女は頭を下げた。

 白いシャツを着て、タイトスカートを履いた彼女はどこか見覚えが……ある、どころじゃないな。

 間違いなく昨日見た、“口紅”の人だ。

 あぁ良かった。

 俺は昨日の人みたいにならずに済んだ。

 ちゃんと返せたんだ。

 最悪の結末を迎えることは無い、明日からは普通に生きられるんだ。

 途方もない安心感を胸に、温かいため息を溢してから周囲を見渡せば……誰も居ない。

 さっきまであんなに人が居たのに。

 この白みがかった列車の中には、俺と彼女しか居なかった。

 あぁこれも夢か。

 そう思う反面、ちゃんと彼女に届けられたのだという実感があった。


 「いえ、良かったっす。 ちゃんと持ち主の元へ戻って」


 薄ら笑いを浮かべれば、彼女も微笑みを返してきてくれた。

 これで終わり、俺自身としては長かったような、時間としては短かったような不思議な出来事はこれで終わりなのだ。

 そんな確証を手に、俺は目を閉じた……次の瞬間。


 『次は○○、○○です。 お忘れ物の――』


 最寄り駅に到着するアナウンスが聞こえ、ハッと目を開ける。

 目の前には疲れた顔の乗客達。

 周りを見渡しても、先程の赤いシャツの女はいない。

 やはり夢だったのか……なんて思ってポケットに突っ込んだ掌を開けば。


 「……ない」


 いくら掌を開閉しようと、そこに突っ込んでいた筈の代物の感触が返ってこない。

 ポケットに突っ込んでいたのは例の口紅。

 乗車中痛いくらいに握りしめていたのだ、間違うはずもない。

 そして寝ている間にポケットまで弄られて持ち逃げされたという線は薄いだろう。

 つまりは……


 「終わった……のか?」


 小さな呟きを漏らしながら、涙を溢した。

 周りからは相当痛い視線を向けられたが、今はどうだっていい。

 さっきの夢は、夢ではなかった。

 ちゃんと返せたのだ。

 俺の悪夢は、ここで幕を閉じたのだ。


 些か何も始まっていない時点で幕を閉じたような、そんな拍子抜け感もあるが。

 それでも俺は、安堵の息を漏らした。

 これでもう大丈夫、あの夢はもう見ない。

 そう考えるだけで、気持ちが軽くなった。

 そもそも人身事故を目撃してしまった影響で、俺がおかしな夢を見ただけなんじゃないか?

 赤いシャツの女なんて初めから居なくて、電車の中でも俺は眠って居ただけなんじゃないか?

 アパートに着くころには、そんな風に能天気な思考を取り戻せるくらいに気楽になっていた。

 まぁいいさ、もう終わったのだ。

 さて、今日は早めに寝て、明日は誰よりも早く出勤――

 テンションの余り放り投げた仕事鞄から、“ソレ”が転がりだした。

 ここにある筈もない、ちゃんと返した筈のソレが。


 「それも、夢だったとか? は、はは……笑えねぇ……」


 印鑑の様なサイズのソレは、綺麗な金の模様が描かれ。

 そして手元には『A.A.A』と書かれた刻印が見えた。

 何となく昨日と形が違って見えるが、男の俺にはそんな小さな違い何て思いだせるはずもない。

 多分、同じモノなんだろう。

 だって刻印入ってるし、同じ色だし。

 というか、ポケットに入れてた物が何で鞄に入ってるんだよ。

 もう、意味がわかんねぇ。


 結局、俺はその日なかなか寝付けないまま深夜まで必死に目を瞑り続けたのであった。


 


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