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相川さんの口紅

 企画で書いたモノなので、全4話です。


 「つっかれたぁ……」


 もう何度目になるかわからない呟きを漏らしながら、駅のホームで電車を待ちながらフラフラと揺れる。

 いかん、飲み過ぎた。

 先輩と上司に誘われるがまま居酒屋やお姉ちゃんが接待してくれるお店を回り、今や終電の時間。

 言わなくても分かるかもしれないが、当然強制参加という扱いで連れまわされた。

 そう遠くない場所へ出張した帰り、せっかくなら疲れを癒していこうとか意味わからない事を言い出したのだ。

 あれやあれやと言う間に記憶は曖昧になり、財布はすっからかん。

 よく覚えていないが、キャバクラの指名料とかオーダーは俺が払わされた気がする。

 ふざけんなよ、マジで。


 「キッ持ち悪ぃ……」


 そんな事を呟いている内に電車が到着し、目の前で扉がプシュー! と音を立てて開く。

 中を覗き込みながら足を踏み込めば、普段では考えられない程空いている。

 とはいえ、それなりに人は居る訳だが。


 しかし満員ではない、これは良い事だ。

 とは言っても、人が集まる駅に着いてしまえばこうはいかないだろうが。

 なんて事を考えながら席に腰を下ろし一息ついた。

 どれくらいぶりだろう、こうしてゆっくりと座席を確保できたのは。

 普段の自宅から会社までの電車は、時間帯にもよるがこうは行かない。

 なんたって住宅街なんて呼ばれている場所から、一番込み合う駅まで通勤しているのだ。

 とにかく人が多い。

 そして何より、普段降りる駅の近くに高校があるのだ。

 なのでとにかく若い子が多く、女子高生が近くに来ようものならサムズアップ状態で立ちっぱなしになる事が多い。

 そんなこんなで、朝から晩まで疲れる毎日を送っている訳だが……


 『まもなく――、――です。 お出口は左側です』


 車内アナウンスが流れ、問題の混雑スポットに到達した。

 やはりこの駅に止まると、一気に乗客が増える。

 ボケッと出入口を眺めている間に人が押し寄せ、目の前までつり革につかまったサラリーマンたちで埋め尽くされた。

 すまんな、今日の座席は俺が頂いているぜ。

 なんて、つまらない優越感に浸っているさなか、ふと入り口の方に赤いシャツを着た女性が乗り込むのが見えた。

 人の隙間から見えただけなので、はっきりと顔までは見えなかったが……何となく気になってしまった。

 この時間に女性が乗り込んでくる割合自体が少ない訳では無いが、あんな真っ赤なシャツを着て乗り込んでくる女性は今まで見たことが無い。

 あんな派手な格好をしているくらいだ、夜のお仕事の人なんだろうが。


 「うぅ……」


 とかなんとか考えていると、目の前から苦しそうな声が聞こえて来た。

 視線を向ければ、そこには青い顔の男性が口元を抑えて俯いている。

 おいまて、まさか御同類か?

 やめろよ? 絶対吐くなよ?


 「あ、あの。 辛そうなんでどうぞ、座ってください」


 そう言いながら席を立ち、目の前の男性に譲ると……


 「……相川さん口紅見つけました……相川さん口紅見つけました」


 何やらブツブツと呟きながら男性は席に着いた。

 一応こちらに頭は下げていたので、俺を認識していない訳ではないみたいだが……些か気味が悪いな。

 まるで薬物中毒者だ。

 視線はユラユラと揺れながら周囲を見渡す様に動いているし、小刻みに震えながら何かを手に握りしめ、目の下には真っ黒いクマが見える。

 最初は酒に酔った同類かと思ったが、よく観察してみれば全くの別モノのようだ。

 両隣に座る乗客も顔を顰めながら距離を置こうと身を引くくらいの勢い。

 それくらいに、彼の様子はヤバイ。


 「ちょっとすみません」


 なんて声を周りに掛けながら、人の間を抜けてその場を離れる。

 もし何かあった場合、絡まれたら嫌だし。

 一見薄情にも見える行為かもしれないが、誰しも身の安全が一番なのだ。

 周りに嫌な顔をされながらも、ドアの前まで移動する事に成功した。

 都内の様にぎゅうぎゅう詰めの状態だったらこんな事も無理だろうが、地元の電車……というよりこの時間だからという理由が大きいのかもしれないが。

 人を押しのければ移動できるくらいにはスペースがある。

 ふぅ……とため息をもらしながら列車のドアに背を預ければ。


 「あの……すみません」


 すぐ隣、というか首元近くから女性の声が聞こえて来た。

 余りにも近すぎて、吐息が首に掛かる。


 「っひゃぃ!?」


 思い切り裏返った声を上げ、再び周りの乗客から白い目で見られてしまった。

 しかし、今はそれどころではない。

 なんたって女性の声が本当にすぐ近くから聞こえていたのだ。

 空いているスペースに体を突っ込んだ気でいたが、もしかして声の主を押しのける形になってしまったのだろうか?

 というか、声からして若い。

 下手に身を寄せれば、一体何を言われるか分かったもんじゃ……


 「口紅を見ませんでしたか? さっきの駅で落としてしまって。 もしかしたら電車の中かも。 “A.A.A”って刻印が入っているモノなんですけど」


 は、はい?

 これまた変な人に絡まれたか?

 混雑している電車内で、いきなりそんな事聞いてくるヤツが居るとか普通無いだろ。


 「は? いや、口紅って……」


 電車内で声を上げるのも恥ずかしいが、無視する訳にもいかず返事をしながら首を曲げた。

 すると……


 「とても大切なものなんです。 もし見つけたら、教えてくれませんか?」


 さっきチラッと見えた、赤いシャツの女性がいた。

 夜のお仕事なんだろうとか勝手に思っていたが、とてもじゃないがそうは見えない。

 薄化粧に、サラサラな黒髪。

 小柄な体を乗客に押され、俺に引っ付くような形で真剣な眼差しでこちらを見上げていた。

 そして何より、腕に当たる確かなボリューム。

 何がとは言わないが、とても素晴らしいモノをお持ちのようだ。

 うん、タイプです。

 むしろストレートど真ん中です。

 さっきまで上司たちと一緒に居た店の、ドレスのお姉さん達よりずっと可愛い。

 ちょっとシャツは派手な色をしているが、それでも可愛い。

 連絡先とか聞きたい。


 「え、えっと……俺は見てないですね。 すみません、でももし見つけたら駅の落し物とかに届けて……ん? 口紅?」


 なんか、さっきチラッと聞いた気がする。

 なんだっけ、口紅がどうとか言ってる人が……


 「あ、そうだ。 さっき席を譲った人が、口紅がどうとかって――」


 そう言いかけた時、プシュー! と音を立てて背後の扉が開いた。

 バランスを崩し、駅のホームへと転がり落ちた。

 何という事でしょう。

 この歳になって、大勢の前でコケてしまいました。

 恥ずかしいったらありゃしない。


 「いってぇぇぇ……あ、すみません。 すぐ退きます」


 俺の事を見下ろしながら無言で避けて通る人たちの群れ。

 若い女性やお年寄りならまだしも、俺みたいなおっさんを助け起こしてくれる人なんている訳がない。

 慌てて立ち上がり、人の流れが落ち着いた辺りで電車に再び乗り込むと……赤いシャツの女性の姿はなかった。

 この駅で降りたのかな?

 会話も途中だったんで、何となく気になり駅のホームやら電車内を見回してみる。

 しかし、あの悪目立ちしそうな赤いシャツが見つからない。


 まぁ……関係ないか。

 なんてため息を溢しながら、駅のホームへと再び視線を投げる。


 『4番線に回送電車が参ります。 黄色い線の内側に――』


 御馴染みのアナウンスが聞こえ、忙しそうに歩いていく人々が見える。

 本当にいつもの光景、毎日毎日繰り返すだけのつまらない光景。

 だというのに、一点だけ違和感があった。

 皆が右に左にと歩いていく中、一人だけ立ち止まっているのだ。

 それ自体はおかしい事ではない。

 電車を待って居たり、乗り換えを確認していたり。

 それくらいは日常的にある。

 でもその後姿は、先程の席を譲った男性のように見えたのだ。


 「……けました。 相か――口紅、……た」


 ぶつぶつと呟く男性の声。

 周りの音に掻き消されて良く聞こえないが、未だのさっきのセリフを繰り返しているらしい。

 本当にヤバいヤツだ……関わらんとこ……

 運悪く結構近い位置で立ち止まっている彼が、こちらにいきなり走ってこないかとヒヤヒヤしながら見守っていると。


 「相川さんやっと見つけた! 口紅ありまじだぁぁ!」


 急に男は大声を上げながら走り出した。

 反対側のホームへと向かって。

 もはや正気ではない、周りの人達もドン引きしている。

 彼は手に持った何かを振り回しながら、嬉しそうな奇声を上げて走っていく。

 そして……落ちた。

 駅のホームから線路の上へと。

 あーぁ……、もう完全に異常者か酔っぱらいだよ。

 なんて、思った次の瞬間。


 「キャアアァァァァ!」


 誰かの悲鳴と同時に、回送電車が走り抜けた。

 それはさっき男性が落ちた線路の上を走る、ノンストップの列車だった。

 え? は? 今の人、まさか死んだ?

 思考回路が追い付かないまま唖然としていると、何人もの人間が俺を押しのけながら車外へ飛び出しスマホを構えた。

 彼らは何をしているんだろう? 誰もが悲鳴やら何やらを上げながら、通り過ぎた電車と男性が落ちた辺りの線路に必死でカメラを向けている。

 え、嘘。

 マジで死んだの? っていうかお前ら何やってんの?

 あり得なくない? スマホ向けてる場合じゃないって。

 なんて事を思いながら、呆然と突っ立っている俺の耳元で、再び声が聞こえた。


 「見つけたら、教えてくださいね」


 ゆっくりと振り返れば、そこにはスマホのカメラを構える人々が居た。

 俺に声を掛けて来たと思われる人物は、そこには居なかった。

 でも間違いない、さっきの赤いシャツの女性の声。

 なんだ? 何が起きている?

 緊急のアナウンスやら、乗客の叫び声やらが響き渡って、あまり状況が理解出来ない。

 でも、さっきの女性の声だけはしっかりと聞こえたのだ。

 見つけたらって、口紅の事か?

 さっき線路に突っ込んだ男も口紅がどうとかって言っていたけど、それと関りがあるのか?

 もはや意味が分からない。


 どれくらい唖然としていたのか、唐突に目の前の扉が閉まった。

 そして何事も無かった様に動き出す電車。


 『次は○○、○○。 お出口は、右側です』


 今さっき目の前で起きた出来事が信じられないまま、俺は帰路についた。


 人身事故とかニュースや駅のアナウンスではよく聞くけど……眼の前で起こったのは初めてだった。

 今日は……もう少し飲もう。

 このままでは眠れそうにない。

 電車を降り、近くのコンビニでお酒を購入してから、長年住み続けているボロアパートへと帰って来た。

 悪い夢だったんだ、そう思う事にしよう。

 だって俺には関係ない、明日からも同じ毎日が続くんだ。

 そう言い聞かせながら、買って来た酒のプルタブを開くのであった。


 ――――


 「これ、新しく出そうと思ってる試作品。 使ってみてもらってもいいかな? 感想聞かせて」


 「もーまたぁ? いいけどさぁ」


 会話が聞こえる。

 若い男女の仲睦まじい会話。

 呆れる声の主は、子供をその腕に抱えながら男性から何かを受け取った。


 「あれ? 貴方の会社の商品って、こんな刻印入ってたっけ? “A.A.A”って、どんな意味があるの?」


 「……だから試作品だって。 だからその……俺とお前、それから息子の名前を入れてみた。 今後プレゼント用に刻印するサービスなんかもするからな」


 「プッ、つまり結婚記念日のプレゼント? もう少し分かりやすくしてよね」


 「うるせぇ」


 普段だったら「爆発しろ」とでも言いたくなる甘い空間だったが、何故かこの時はボケッと眺めていた。

 まるで映画のワンシーン。

 何の感情もなく、その光景を眺めている俺が居た。


 あぁ多分コレ、夢だわ。

 なんて思った瞬間場面は変わり、駅のホームへと移った。

 ベビーカーを押すスーツ姿の女性。

 その顔は、どこか見覚えがある気がする。

 どこだったか……思考が纏まらなくて、よく思い出せない。


 「はーい、電車がくるよー? 下がってようねぇ?」


 キャッキャとはしゃぐ赤子をあやしながら、彼女は一本の口紅を取り出した。

 見るからに高級で、一本ウン万とかしそうな見た目。

 それを息子に持たせ、幸せそうに微笑む。


 「お前はぁ、ほんとにソレが好きだねぇ?」


 困った様な口調で喋りながらも、幸せそうな彼女。

 赤子の手に持たせたのは、先程見た光景にあった口紅。

 つまり彼女の旦那さんが、彼女にプレゼントした品物だった。

 赤ん坊は楽しそうにソレを弄り回すが、やがて飽きてしまったのか、手にもった高級品を安物の玩具の様に投げ捨てる。


 「あっ! ちょっと!?」


 慌てて地面に落ちた口紅を追いかけ、彼女は走る。

 線路側に赤子を近づける事を嫌ったのか、ベビーカーに急いでロックを掛けて走り出す姿が映った。

 駅のホームに頃がる口紅。

 それに手を伸ばそうとした瞬間、歩いて来た男性の靴に当たり弾かれてしまう。


 「え? あ、すみません」


 「い、いえいえ。 こちらこそ」


 そんな言葉を交わしながら両者頭を下げて、彼女は駅のホームギリギリに飛ばされた口紅を追った。


『回送電車が参ります。 危ないですので、黄色い線の内側に――』


 ホーム内に電子音が響き渡る中、やっとの思いで彼女は口紅をその手に取った。

 持ち手の部分に刻印されているのは『A.A.A』の文字。

 ソレを見て、ホッと息を吐いた瞬間。

 ドンッと彼女の後ろから何かがぶつかった。


 「あ、すんませ――」


 若い男性の声が聞こえたと同時に、彼女はバランスを崩し頭から線路に落ちた。

 第三者視点から見ている俺からすれば、「コレだから歩きスマホは!」なんて言いたくなる状況だが、それどころじゃない。

 彼女が落ちた線路。

 それは、運悪く回送電車が通る線路。

そして目に見える最悪は、目と鼻の先に迫っていたのだ。


 「え?」


 それが最後の言葉だった。

 何の意味もない、疑問の声。

 余りにも短すぎる声を上げて、彼女はこの世から消え去った。

 きっと彼女が最後に見た光景は、列車のバンパーか何かだったのだろう。

 猛スピードで突っ込んでくる列車に顔面から潰され、車輪の間に挟まれ。

 手も足も、体も顔を分からない程のミンチになって、その血と肉を駅にまき散らした。


 そこら中から悲鳴が上がり、彼女とぶつかった少年……と言えるくらい若い男は、失禁しながら走り去っていった。

ただ気がかりなのは残された赤子。

 駅のホームに残され、一人で泣いているのではないか?

 これからどうなるのか?

 そんな事を思いながら視線を向ければ……赤子は笑っていた。

 自身の膝の上に乗った“手首”を弄り回しながら、その身を真っ赤に染めて。

 ゾッとした。

物心ついていない赤ん坊が、ここまで恐ろしく思えたのは初めての事だろう。


 彼女の子供は母親の一部を弄り回しながら、必死に“手首”が握っているナニかを奪い取ろうと頑張っている。

 最後の最後に必死で握りしめたのか、その手はなかなか開いてはくれない。

 そして、その隙間から見えるのは『A.A.A』の文字が入った口紅。


「見つけたら、教えてくださいね?」


 夜の電車で会った彼女の声が、再び耳元から聞こえたのであった。



 本日もう一話更新します。

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