8 異常性能な新型機が産まれた理由
巡洋空母プトレマイオス。その乗組員の全てが仮想世界の住人である。
それ故に現実世界の者にとってのこの船は無人船であり、船の形状をしたロボットに等しい。
艦内部にヒトが歩くための通路すらなく、水や食料すらも積んでいない。
現実世界にとってフロンティアの兵器は不気味な代物だろう。彼等が此方を『自我を持ったマシーン』と断じる事からもそれは明らかだった。
そんな船に現実世界の人間、しかも瀕死状態の少女を触手に絡めて連れ帰ったのだから、それはもう尋常では無いくらいの大騒ぎになってしまった。
だが、少女が脳にニューロデバイスを導入している事実を伝えると状況は一転する。
ニューロデバイスを導入は、フロンティアへのダイブ能力を得ることを意味し、少女が肉体を持ちながらに此方側の人間である可能性を示唆していた。
「彼女の意志は確認できたのか?」
「いいえ」
「そうか……」
艦長はあからさまに表情を歪めた。
「処置をお願いします。この子を何としても助けてください」
そう言って頭を深く下げたのは妃花だった。
「しかし、こればかりはヒトの生死感に関わる問題だ。万が一、彼女がそれを望んでいなかったとなれば、かなりマズい事になる」
「分かっています。責任は私が取りますから」
尚も食い下がった妃花に、艦長は眉間に皺を寄せたまま頷いた。
「十二氏族の御方にそこまで言われてしまっては仕方ありませんな」
それを受けて、少女が運搬用作業ユニットで運ばれて行く。
妃花はそれを沈痛な面持ちで見送った。
2
「あの子の事、なんか知っているのか?」
「多分……」
「多分?」
「でも、状況から考えて恐らくそう。彼女はネメシスを知っていた。何処となく面影もある」
「え?」
「彼女は、ネメシスの設計者、スターシア・マーキュリーの妹だわ」
「なる程、それで彼女はニューロデバイスを……」
「なら、彼女の肉親は間違いなくこちらに居るんだな?」
その問いに妃花は瞳を閉じ、首を横に振った。
「彼女はもういない」
「どういうことだ?」
「月詠のタイムレート加速、彼女はその中で寿命を全うした。ネメシスは彼女が生涯をかけて設計したものよ」
「あれは、タイムレート加速の産物だったってことか!? どうりで」
自分達の本土、月詠は現実世界の100倍と言う速さで時を刻んでいる。全てはこの圧倒的に不利な戦争に勝つために。
そしてあの機体はその過程で生まれた。未来技術の産物のようなものだ。
「ええ」
「だが何故!? 加速に対応した高速製造プラントだってまだ完成して無いはずだ。だからこそ俺達は、本土が加速を終了するその日まで不利な状況で戦線を維持して……」
仮想世界の中でどんなに時間を進めて世代交代と技術進歩を進めようと、その産物を現実世界に産み落とすための設備が無ければ意味が無い。
そしてその建設スピードは仮想世界の時間のように加速出来ないのだ。新技術が次々投入されながら、プラントの完成を最優先に進められてはいるが、それが完成するのはまだ先だ。
「本来はそう。でも私はそれまで待てなかった。彼女が生涯を賭けて作り上げたものを私はどうしても形にしなければならなった。それが親友である彼女との約束だったから」
そこで言葉を区切った妃花は、視線を逸らし続けた。
「それに、今の状況で戦線が維持できると思えない。それが私と彼女の共通認識だった。現に軌道上の拠点は毎日のようにミサイル攻撃に晒されてる。低軌道拠点が落とされることも珍しくない」
「軌道上攻撃の能力がある基地の破壊作戦は、軌道上から攻撃が可能だった地表施設を殲滅した後は一行に進んでない。地下に潜った施設は愚か、移動式、潜水艦。まだまだある。
貴方達が必死で一つ一つ潰してるのは分かってる。けど……」
「全然追い着いていない……確かにな」
「ええ、私達が月で製造する兵器の何倍もの量が、この星では生産されているわ。このままでは何れ、核による飽和攻撃に本土は晒される。この前のあの地下施設を見たでしょう? そうなる前に、状況を覆せる一手が必要だった」
「それがあの機体だった訳か」
「その通りよ。スターシアに現実世界で生きる妹がいることは聞いてた。けど、まさか……」
そこで言葉を詰まらせてしまった妃花。
その瞳には強いやるせなさが浮んでいた。
3
巡洋空母プトレマイオスのデッキを再現した仮想空間に一人の少女がたたずみ、黄昏時の海を眺めていた。
腰に届く程までに伸ばされた長い金髪が特徴的な少女だ。
名をエレン・マーキュリーと言う。
少女の視線の先では筒状のカプセルが金色に染まる海を漂い遠ざかって行く。
そこに役目を終えた少女の肉体が納められているのだ。
「なんだか、自分の葬式を見ているようで少し不思議な感じがします。姉もこんな気持ちで自分の身体を弔ったのでしょうか……」
「ごめんなさい。私はフロンティアに純粋に生まれたから、肉体を失うと言う事がどういう事なのかは分からない……」
「そう……ですか」
少女はそれだけを言い海を見つめ続ける。
「済まない。君の意志を確認しないまま処置をせざるを得なかった」
「いえ、もし訊かれていたら、間違いなく私は肉体を捨ててでも生きる道を選んでいました。だからこれで良いんです。
残念なのは私と共にボートに乗っていた者達も、きっと同じ選択をしたと思うので、その機会を得られないまま逝ってしまったことです」
返すべき言葉が見つからない。
途切れてしまう会話。
やがて、カプセルを視認するのが難しい程に遠ざかると、少女は気持ちを切り替えるかのように大きく息を吸い、此方に瞳を向けた。
「一つお願いがあるんです」
「ん?」
「姉の残したあの機体を、ネメシスを見せて欲しいんです……」
「勿論よ」
妃花がウィンドウを操作した瞬間、光と共に黄昏の空は消え去り、機体格納庫の光景が再構築される。
少女はゆっくりと機体に近づくと、感触を確かめる様に触れた。
そしてそのまま自身の額を機体にそっと着け瞳を閉じる。
その頬を涙が伝った。少女の細い肩が震え始める。
どれぐらい時間が経っただろうか。
「有難う御座いましたと」
少女は言いながら、一度は視線を外した機体を再び名残惜しそうに眺める。
「もし、良かったら乗ってみるか?」
言った瞬間、少女は明らかに顔色を変えた。
「良いんですか?」
「勿論だ。なぁ、妃花」
「ええ」
頷いた妃花の瞳にも見れば涙が溜まっているように見えた。