性に関する誤った認識を書く
かつて、日本の売春は、いわゆる遊郭と言われる場所や、あるいは宿場町において飯盛り女という名称で行われるのが主だったようだ。
もちろんこれは、中近世のことであり、中近世とは、古代日本的な大らかな性に対する視点が、次第に縛られ、潔癖的嫌悪感へと変貌を遂げる過渡期であった。
文明開化は、性の価値観をガラリと変えた。有り体に言えば、西洋的価値観が性の過渡期を終わらせたのだ。
かつての遊郭は、たしかに親の借金のカタに入れられたような悲惨な境遇の人が多かったが、しかし一方で、金持ちの旦那などを相手にするトップクラスの遊女の社会的地位は高かったし、気に入った遊女の借金を肩代わりして、遊郭から出すことができた。派手に金を使う金持ち達は、粋とされ、喜ばれた。そこには、生理的な生々しい欲望とは切り離された、別個の何かが存在していた。つまり、遊郭は、一方で即物的欲望が、そしてまた一方では金持ちの旦那の趣味にもなりうる二面性を持っていたのだ。そしてこの(現代からすれば)奇妙な二面性こそが、過渡期の一象徴と捉えることに齟齬はあるまい。
文明開化はしかし、その二面性を許さなかった。つまり、即物的な欲望を満たすための要素と、「生理的な生々しい欲望とは切り離された、別個の何か」とを完全に分離させてしまったのである。そして、その二つの兄弟は、風俗に代表される前者と、キャバクラに代表される後者と、付かず離れず、独自の発展を遂げることになるのだ。