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2.金色の少女と狼の騎士

 既に太陽が傾きかけてきている。クラウスがそろそろ怒り出しそうな予感を感じて、メイルは急いで二人を西門へと案内する事にした。

 二段目を進み三段目への階段を上ったあたりから、人の流れは酷い人込みへと変わる。

 角を曲がって眼に飛び込んできたのは、白い石に青みがかった緑の模様が浮かぶ高級な大理石の石柱と扉。

 その門越しに豪華な屋敷が立ち並んでいる四段目の景色。そして、その上に五段目の領主の城を望む事が出来る。この街の綺麗な部分だけを切り取ったような眺めだ。メイルにはあまり面白くない風景であるが、ひゅう、とクラウスは感嘆したように口笛を吹いた。

 その門の前に佇む、儀礼用の細かな紋様の入った青い鎧を来た兵士。石柱の前に一人ずつ、若く見た目もいい兵士が槍を片手に背筋を伸ばして立っている。

 この兵士は有事以外は動かないよう訓練されている。つまり、基本的にいつもじっとしているのだ。なんて退屈な仕事なんだろうと、メイルは呆れてしまう。

 ラウルはというと、小柄な身長と人込みの所為で門の向こうが良く見えないのだろう。必死に背伸びしていたが駄目だと悟ったのか、なにか言いたげな顔でクラウスを見上げている。

 気付かない振りをしているようだが、クラウスの口元が引き攣っていた。まさか肩車でもねだっているのだろうか。


「ほ、ほら、もう行こうよ。そこのでっかいのがあんた達の探してた『金のカワセミ亭』」


 ほーお、どれどれ、とわざとらしくクラウスが乗ってきた。あう、とラウルが小さく呻くが、無視して金のカワセミ亭へ向う。

 西門の景観を壊さないように同じ大理石で建てられたその宿は、メイルなんかは一生足を踏み入れる事は出来ないくらい敷居が高い。もちろん、料金も。

 こんな所に泊っているような人物に用があるなんて、やはり教会関係者はメイルとは住む世界が違うようだ。


 玄関の前に立っていた宿の支配人らしいの男が、客をにこやかに送り出していた。

 クラウスとラウルに気づくと彼らにも笑顔を向けたが、メイルを見て微かに訝しげな顔をする。気持ちは分かるが、少し傷ついた。


「失礼、少々お尋ねしたい事があるのですが宜しいでしょうか?」


 一瞬誰の声だと思うくらい丁寧な口調でクラウスが支配人に話しかける。ギョッとしてクラウスの顔を見上げてみれば、見知らぬ柔和な表情の男がそこにいた。

 ラウルも先ほどまでとは違う、聖職者らしい穏やかな笑みを浮かべクラウスの隣で支配人を見ている。

 いやあ、本当に、住む世界が違うわ。メイルは思わず心の中で呟いた。


「はい、どのようなご用件で?」

「フレン・シルバという教会騎士がこちらに滞在しているはずなのですが」

「シルバ様ですか?ええ、教会騎士の方々なら……ああ、丁度、あちらの食堂で隊長殿がお食事をなさっています。教会関係者からの伝令があればお通しするよう命じられていますので、宜しければご案内します」

「ええ、ではお願いします」


 実ににこやかに一礼するとラウルを連れて中に入ろうとして、クラウスは足を止めた。メイルはこんな不釣合いなところに入る気はなかったので入り口前に立っていたのだが、どうやら当然付いて来るものだと思っていたようだ。

 先ほど支配人の男に向けていたのと同じ、びっくりするくらい品のいい顔で振り返ると手招きをした。

 さっきまでの顔と差が大きすぎて、気持ち悪い。

 なんだか、知らない人のようだ。


「メイル」

「え、でも」


 毛足の長い絨毯の敷かれたエントランスには、明らかに上流階級の貴婦人やお嬢様。

 きらびやかなドレスに身を包んだ彼女達と視線があう。油を塗って手入れされた綺麗な髪、ばら色の頬、ふくよかな丸い体。同じ生き物をは思えないくらい彼女達は綺麗なのだ。

 その中の一人が、くす、と小さな笑いを零した。

 ハッとして身を竦める。

 小汚い布靴。泥まみれで擦り切れた麻の服。ぼさぼさの赤毛。ろくに洗っていない、汚い、うすっぺらで固い体。

 頭の中で自分の姿を頭に思い浮かべて、少し泣きそうになる。

 

(こんなところ、入れない……だって、あたし、汚いもの)


一度その事実に気がついてしまえば、足元すらぐらついた。この場にあまりに不釣り合いな自分が、恥ずかしくてしかたない。


「ああ、困ります、その…他の方のご迷惑になりますのでご遠慮下さい」 


 支配人も当然のように止めた。メイルも頷くしかない。


「そうよ、あたし……外で待ってる」


 しかし、少し不機嫌そうに眉を寄せて、若干重い声でクラウスがもう一度名前を呼ぶ。まるで命令するみたいに。


「……メイル」

「……やだ」


 頭がくらくらした。明らか貧民層の自分がこんな所に居て、どれだけ浮いてしまっているか判らないのだろうか。

 それが、どれくらいメイルにとって悔しいものなのか、分からないのか。

 金色の目を見詰める。

 お願いだからやめて、と視線で訴えた。


「いいから来なさい」


 その口調にカッと来て、メイルはクラウスを睨んだ。


「なによ、なんであんたにそんな風に命令されないといけないのよ!お上品ぶっちゃって!」


 見下されているような、そんな気分になる。実際、周囲の目はそうだ。従業員の男も周りの客達も。

 どういうつもりなんだろう。今日はじめて会って、まだそう時間も経っていない。どうしてそんなにメイルを連れて行きたがるのか、どうしてこんなに偉そうにされなきゃいけないのか。

 感じていた彼らへの好意が怒りへと変わる。ついさっきまでとても身近に感じていたのに、遠い世界の住人だという事を思い知らされた気分だ。

 所詮、彼らにメイルのような貧しい者の屈辱は理解できないのだ。

 鼻の奥が熱くなって、じわり、と涙で視界がぼやける。

 ボケた視界の向こうで、クラウスとラウルが虚を突かれた様な顔をしていた。


「メ、」

「だからお金持ちは嫌い!バカァ!」


 ラウルが何か言おうとしていたが、そう吐き捨てて、メイルは踵を返した。

 もう、知らない。道案内は済んだ。仕事はもう終わったじゃない。

 おい、と。焦った声が追い駆けてくる。

 しかし、振り返らず走った。追い駆けてまではこないだろう。もし追ってきても、人込みをすり抜けて駆けるメイルに追いつける訳がない。

 男には分からないんだ。

 自分が醜いってこと、思い知らされる事がどんなに辛いかなんて。


 小さい頃に母さんは死んだ。流行り病だった。二人でこの下町へ移ってきてすぐの事だ。父親の事は知らない。物心ついたときにはもう居なかった。

 もうずっと、メイルはこの下町の片隅の小さな小屋で一人暮らしをしている。

 一気に街を駆け下りて住処に飛び込むと、水瓶からお椀に水を汲んで飲み干す。

 下町の人たちはあの濁った川の水を漉して、こうして瓶に入れて上澄みを飲み水にしている。苦い、屈辱の味がする水だ。と、誰かが言っていた。

 本当にそうだ。

 普段は意識しないが、あのお嬢様たちの姿を思い浮かべると、濁った水の味と共に苦いものが胸に湧き上がる。

 教会で貰った毛布の上に、一枚のヒビの入った手鏡。市民街で拾ったものだ。鏡を手にとって袖で拭って覗き込む。

 涙でぐしゃぐしゃになったメイルがそこにいた。鏡を見るたび、市民街で同じ年頃の少女を見かけるたび、可愛くなりたいと思う。

 毎日食うや食わずの生活をしているのに、こんなことを望むのは、贅沢なのかもしれない。でも、可愛ければ花街で働く事も出来るし、市民の男の人と恋に落ちて、上へ上がれることだってあるのだ。

 実際、知り合いの綺麗なお姉さんは市民街の商人に見初められ、結婚して市民の資格を手に入れたのだ。

 鏡を置いて、毛布に包まって丸くなる。自分の膝を抱いて、今朝の騎士の事を思い浮かべる。


(もし、あたしがすごく可愛かったら、あの騎士と恋に落ちたりしてたかもしれない。でもきっと結構障害が多いんだわ。身分が違うし、彼には秘密があるもの。)


 そんな空想をして、ふと馬鹿らしくなった。こんな事考えるだけ無駄だ。腰布の間に挟んでいた銅貨2枚を取り出して、メイルは一枚を戻してもう一枚は水瓶の下に隠した。


「これは拾ったお金と思って、後は忘れよう…」


 そう。やたら綺麗な顔をして、小さな子供みたいに無邪気な男の子にも、リンゴみたいに赤い髪の短気な男にも。


 会わなかったのだ。

   


 

         ☆



 

 お金があるって言うのはいい事だ。心底メイルはそう思う。

 くさくさした気分を晴らす為に、メイルは一段目の商店街へと出かけ、早速新しい鍋を買った。

 安物ではあるが、前から欲しかった陶器のお鍋だ。街をちょっと出たとこの草原で花の蜜を集めて、これで煮詰めて花飴を作るのだ。そこそこの小銭が稼げる。

 丁度、今使っているのはもう古くて穴が空きかけていたので、花飴作りが出来ず困っていたところだ。

 お鍋のつるつるした鍋底を撫でると、にこにこと頬が緩むのを抑え切れない。

 そうだ、水瓶のもう一枚は服を買おう。可愛い服。そんな事を考えながら一段目の下級市民の町を鍋を抱えて歩く。

 一段目は観光客はほとんどいない。見るようなものが無いからだ。今メイルがいるのは下町を上がってすぐの南側。歩いているのは街の人ばかりだった。

 この辺は割りとメイルのような貧民層が買い物に来ても嫌がらない店が多い。一番下町から近く、市民の中でも貧しいほうの人たちの街だからなのかもしれない。

 家も木造の質素なものが多い。それでもメイル達のぼろぼろの土煉瓦に比べれば立派なもんだ。下町と同じように、どこからか笑い声や怒声、だれかの息遣いが常に聞こえてくる。

 うるさくて派手な三段目より、ずっとこの辺りのほうが好きだとメイルは思う。なんとなく、耳を澄ませて周囲の音を聞いていると、短く悲鳴のような声が聞こえた。

 一瞬聞き違いかと思ったが、続けてもう一度、今度は長く女の子か細い悲鳴が聞こえてきた。思わず声の聞こえたほうに駆け出す。入り組んだ家々の隙間の薄暗い裏道を駆けぬけて声のした路地裏へ急ぐ。

 そして、飛び込んでしまってから、しまった、と思った。

 そこには、いかにも柄の悪そうな男と、その男に羽交い絞めにされている少女がいた。男の手は少女の…胸辺りを掴んでいる。その光景に、男の目的がなんなのか察して、メイルは頭が沸騰しそうに腹が立った。

 しかし、だめ、と本能が叫ぶ。足がすくんで動かない。


「……なんだ?」


 つるりと頭を剃り上げた男が山賊のようないかつい髭面で凄む。男の言葉でメイルの存在に気付いたのか、少女が顔を上げてメイルを見た。

 サラ、と髪が肩を流れる音が聞こえた気がした。

 金色の稲穂みたいな髪、陶器みたいな真っ白い肌。真っ赤に染まった顔に、涙で濡れた長い睫毛とその奥の翡翠みたいな緑色の瞳。

 なんて、綺麗。

 そう思った瞬間、なんだか恐怖が吹っ飛んだ。


「あんた、なにやってんのよぉ!!最ッ低!」

「な……、んだと、こいつは」


 男がなにか言いかけたが、メイルは大きく息を吸い込むと思いっきり声を上げる。


「だれか、だれかぁぁぁぁぁ!!!」


 勢いに任せて腹の底から叫ぶと、男は一瞬たじろぐが、すぐに少女を放り出して、禿げ頭に青筋を立てメイルに掴みかかろうとした。

 その腕をすり抜けて、メイルは男の懐に飛び込む。大柄な男の腕の中に飛び込むと、ぐっと腰を落とした。 

 そして、思いっきり飛び上がる。

 ガツン!と激痛が頭頂部を襲う。

 眩暈と共に体中の力が抜けそうになるが、必死に自分を奮い立たせそのまま横に転がるように逃げた。

 よろめいて尻餅をつき男を見上げると、顎を押さえて蹲っている。

 今だ!

 メイルは渾身の力をこめて鍋を振りかぶって、全体重をかけて男の頭へ振り下ろした。


「おご!」


 鈍い音と共に、男は呻いてそのまま前のめりに倒れ、顔面から地面に突っ伏した。激しい動悸と、頭の痛さと、妙な達成感にメイルは腰が抜けてしまいそうだった。

 男はピクリとも動かない。まさか、死んでしまったのだろうか。


「ひ、あ、あたし……」


 思わず鍋を取り落とす。ガシャアン!と陶器の砕ける硬く渇いた音が路地裏に響いた。

 ……人殺しになってしまった。どうしよう。

 目の前が真っ白になりかけたとき、暖かいものが肩に触れた。


「大丈夫です。死んではいません」


 ハッとして、メイルは声の主を眺める。あの綺麗な少女がメイルの肩を支えてくれていた。

 たしかに、男は生きているようだ。うう、と呻いて体を起こそうとしている。

ホッとしたが、なら急いで逃げなければ。きっとこの男が動けるようになれば、怒り狂ってメイルに襲い掛かってくるに違いない。下手したらメイルのほうが殺される。


「やばいよ!逃げよう!」

「え、……でも」

「でも、じゃないよ!こんな奴、ほっとけばいいって!」


 彼女は、何故か躊躇うように男を見て走り出そうとしない。少女の細い方を掴んで揺さぶると、少女は困ったように眼を伏せた。少女の首には紐の付いた袋がぶら下がっていて、それを両手で握り締めて震えている。


「いいから、いこう!ほら!」


 手を伸ばすと、少女ははにかんだような微笑を浮かべ、メイルの手を握った。柔らかくて暖かいその手を握って走り出す。

 なんだか、今日は朝から走ってばっかりだ。

 少女を引き摺るようにして、裏路地から商店街へ飛び出す。メイルの悲鳴を聞きつけたのか、何事かと手に箒やら麺棒やらを持った街の人と出くわす。


「なんだ、メイルじゃないか。またなにかやらかしたのか?」


 箒を持った、商店街のパン屋のおじさんが声を掛けてきた。寝かせすぎたパン種のような顔に、心配そうな、でも面白がっているような表情を乗せている

「またってなによ!ああもう!退いて!」


 メイルと少女を囲むように集まっている人を押しのけて走る。少女は何度もあの路地裏を気にするように振り返っていたが、メイルは気にせず足を進めた。

 出来るだけ人通りの少ない道を選んで一段目を走り抜ける。もう少しで下町への坂、というところで坂を少女がほとんど悲鳴みたいな声で待って、と叫んだ。


「あ」


 振り返ると、真っ青な顔で少女が肩で息をしている。慌てて足を止めるとふらりとメイルの腕に倒れこんできた。荒い呼吸を繰り返している彼女をどうしていいかわからず、とりあえず道の隅に座らせた。


「ごめん、ごめんね、苦しい?あたし、つい……」


 ふうふうと肩で息をしていたが、しばらく座っていたら呼吸が穏やかになってきた。頬にも赤みが戻ってくる。

 背中を擦りながら、ごめんと繰り返すメイルの頬を少女がそっと撫でる。


「……いいのです、私の方こそ……ごめんなさい……」


 汗で濡れた金色の髪を揺らして少女が首を横に振る。

 綺麗なだけじゃなくて、優しい声。

 いいなぁ、羨ましい。


「あの人にも、申し訳ないことをてか…」


 驚いた事にあの暴漢の事まで心配しているようで、遠くを見ながら呟く。


「そりゃあ痛かっただろうケド。自業自得よ、あんなの……ああ!」


 言ってから、メイルは折角買った陶器の鍋を割ってしまったことに気が付いた。頬を両手で挟んで、空を仰ぐ。


「うわぁ!お鍋……!くそおーあの禿げ男のせいだわ!」


 悔しがるメイルの姿に、堪えられない、というように少女が噴き出す。口を手で押さえて必死に笑いを抑えようとしているが、できないようだ。


「ふふ。ご、ごめんなさ……わたしのせい、ふ、なのに、ふふ」


 そんな仕草もとても可愛らしくて、メイルは少しどきどきしてしまう。


「あなたは全然悪くないじゃない!」


 素直な気持ちを込めて笑み返して、彼女の手に自分の手を重ね、軽く握って笑った。

 こんな綺麗なものを守れたなんて。

 生まれてきて今まで、こんなにも誇らしい気持ちになれたのは初めてだった。


「ね、名前教えてよ、あたし、メイル」


 メイル、と少女が呟いた。その唇が、る、の形で固まる。


「……だめ!」


 次の瞬間、突然彼女はメイルを突き飛ばした。どん、と胸を押される衝撃に、よろめいて地面に転がる。


「……えッ……!?」 


 なにが起こったのか、わからなかった。

 腕を伸ばしてメイルを突き飛ばした格好のまま、彼女は固まっていた。

 少女の目がゆるゆると見開かれ、開かれた唇からつう、と赤い物が伝う。

 なに?

 ゆっくりと少女の胸に視線を移す。

 なにか赤く濡れてぎらりと輝く…。

 そこには、いつの間にか、一本の剣が刺さっていた。まるで、壁から生えたように、背中の方から刺し貫かれている。

 悲鳴が、喉に詰まって呼吸が出来ない。

 じわり、と刃の刺さっている部分から赤い染みが広がっていく。

 口紅を引いたような赤い唇が微かに動いて、微かな吐息が漏れる。彼女は何か言ったようだったが、かすれてメイルの耳には届かない。


「……な……に……?」


 翡翠の目が、光を失っていく。悲しそうな笑みを浮かべたまま……ことり、と軽い音を立てて彼女の体は崩れ落ちた。

 彼女の胸元から吊っていた袋が石畳の地面に落ちてカツン、と固い音を立てて弾む。咄嗟にそれを手で押さえ、握りこむ。

 固くて冷たい感触。

 動かない彼女の姿を、夢の中のような、おぼろげな感覚で見下ろした。

 さっきまで目の前にいた綺麗な子は、もう、動かない。


「……残念、外したか」


 背後から、低い男の声が聞こえた。


「さぁ、それを渡してもらおう。メイル・アズロ」


 なにを言っているのか分からない。

 ゆっくりと振り返ると、そこには真っ黒な服を着た男が二人立っていた。

 片方はひしゃげた骸骨のような歪な形の仮面を付けていて、口元の他は顔が見えない。もう一人は、黒い髪を肩で纏めていて、細面で女みたいな顔をしていた。

 二人の胸元には、二重の金環を背負った十字が揺れている。

 回らない頭で二人をぼんやりと眺めていて、ふと気が付いた。

 何がおかしい──この二人には、影が無い。

 彼らの後ろに、傾きかけた太陽が見える。自分は、丁度影の中に入るはずなのに彼らの足元には何も無い。

 

(ああ、こいつら、化け物だ。)


 メイルは腑に落ちた。そうじゃなきゃこんなにま綺麗な子を殺せるはず無い。

 女みたいなほうが、メイルの方に手を伸ばす。


(きっと、私も殺されるんだわ。)


 そう感じた瞬間、なにか赤いものがメイルの目の前を駆け抜けていって、一瞬遅れて轟音が鳴り響いた。

どおん、という音にメイルは遠のきかけていた意識を取り戻す。ハッとして立ち上がると、目の前には赤い鎧の背中。

 その向こうに、壁に叩きつけられたのだろう、足元の覚束ない様子の女顔の男と、それを支えている仮面の男がいた。


「貴様等、なにをしている!」


 怒りに震えた声には聞き覚えがある。ガチャリ、と硬い金属音と共に振り返る鳥面の兜にも見覚えがある。

 紫色の目の騎士。

 そうだ、今朝メイルからパンを奪っていった、あの若い騎士だ。

 どうやら走ってきてそのままの勢いで、あの女顔に体当たりを食らわせたのだろう。


「大丈夫か、君……!」


 唖然と彼の顔を見上げる。紫の瞳には、引き攣った顔で地面にへたり込んでいるメイルが映りこんでいた。


「あ、あたし、あた……し、」


 もし彼がくるのがもう少し遅ければ、殺されるところだった。

 一気に恐怖が襲ってきて震えが止まらなくなる。自分の肩を抱いてそれを押さえようとするが、上手くいかない。


「……貴様等、ここで彼女に何をしていた!答えろ!」


 騎士は剣を抜き、顔の横の高い位置で構え切っ先を女顔へと向ける。女顔は舌打ちをして仮面の男を前に押し出した。


「面倒だな……。リオルバ」


 リオルバと呼ばれた仮面の男は前へ出て騎士を対峙する。仮面の覗き穴には黒い色硝子が嵌め込まれていて表情は見えない。両手を突き出し、不気味に微かに覗いている口元だけで哂う。


「どうする?オルバ」


 短くリオルバが呟く。


「刺し貫け。リオルバ」


 答えて女顔が騎士を指差し、不敵に哂って叫んだ。

 次の瞬間。

 リオルバの頭上には無数の短剣が浮いていた。


「な、なに!?」


 リオルバが突き出した両手を顔の前で交差させる。同時に一斉にそれは騎士めがけて襲い掛かった。まる銀色の雨の様に降り注ぐ。

 騎士はそれを一瞥し、ぎり、と筋肉の軋む音すら聞こえそうなほど体を捻って……戻した。


「ふん!」


 ギュン、と風を斬る音。

 ギ、ギ、ギ、と固いもの同士がぶつかる音がメイルの耳を貫いた。恐怖のあまり、フレンの背中に縋り目を瞑る。何かふかっとしたものがそこにあったので、ギュッと抱きついて悲鳴をこらえた。

 カン、カン!と地面を金属が叩く音が続き、恐る恐る目を開けた時には、短剣は全て叩き落とされていた。


「……す、すごい……」

「うぐ。す、すまん、君……そこから、手を離してくれないか」

「えっ、あ。ごめんなさい」


 無意識のうちに抱きついていたのは、鎧の飾りだろうか。ふかふかした尻尾のようなものが腰から生えている。そういえば、今朝もこれがフサフサ揺れているのを見た。

 暖かくてほのかにケモノの匂いがして気持ちがいい。だけど、引っ張って外れたら困るのだろう。大人しく手を離した。

 騎士は安堵したように、ふう、と息を吐くと、再度切っ先ををリオルバに向けた。リオルバは、全ての剣を落とされたというのに、腕を交差させたままピクリとも動かない。

 オルバは呆れたような顔で、騎士を見つめていた。


「貴様たち、()()()か。このような行い、神がお許しに成ると思っているのか!大人しく投降するがいい!そうすれば、貴様等の罪は神の名の下裁判で裁かれるだろう!」


「ハッ……貴様こそ、その人間離れした膂力りょりょく。異能のものではないか。地獄に片足を突っ込んだ貴様らが神を語るとはお笑いだ。リオルバ!」


 小馬鹿にしたようにオルバは鼻を鳴らす、そして、リオルバがすっと片腕を騎士の方に伸ばした。足元から。ずぐ、と嫌な音。同時に、なにか温かいものが頬を打つ。

 う、と短く喚いて騎士は膝を付く。見ると、彼の右腿に剣が突き刺さっていた。それは、地面から生えてきていた。

 ぬるり、と剣の表面を赤い血が滑り石畳へ零れる。ずる、と剣は再び地面に飲み込まれ消えるが、血は止まらない。


「い……いやぁ!」


 メイルの頬へも、ぱた、と血が飛び散った。慌ててその傷口を押さえると、ぬる、とした感触と鉄臭い血の匂い。騎士は黙って肩を震わせ、リオルバを睨みつけている。


「我々が執行人と知って、戦いを挑むとは馬鹿だな。我々には勝てない事くらいわかっているはずだ」


 執行人というのがなんなのかは分からないが、メイルはこの剣こそが少女を、あの綺麗な少女の命を奪った凶刃であることを確信した。

 さらに、動けない騎士に向かい短剣が無数に襲いかかる。


「あっ!!」


 身をすくめるメイルを庇い、騎士はリオルバに背を向けてメイルを抱きしめた。硬い鉄に額をぶつけるが、その痛みよりも鎧越しに感じる幾度も硬いものが肉を突き破る感触の方が、恐ろしく、痛い。

 ゴバッと、嘴状の面から血が溢れた。紫色の瞳が揺れ、瞳孔が引き絞られる。


「やだ!いやあああ!死なないで、死なないで!」


 パニックになり、メイルはその面に手をかける。兜の留め金が壊れていたのか、それはぱかりと外れて地面に落ちた。


 その下から現れたのは──真っ赤に染まった、白銀の毛並み。

まるで狼のような獣面の、異相だった。


「あ……」


 狼の顔をした騎士は、長い鼻から下を真っ赤にして、牙を食いしばっている。だが、メイルと目が合えば、その血塗れの唇で優しく微笑んでみせた。


「こわ、がらなくて、いい。君に、危害は加えない。奴らにも、手出しさせない」


 その声音に、メイルの混乱は収まっていく。


「その狼のような頭……貴様、狼の亜人アギテトの生き残りか。ならば、フレン・シルバだな。亜人のくせに教会に飼われて騎士になった犬など、一人しかいない」


 フレン・シルバ。

 聞き覚えのある名前に、メイルは息を飲む。

 あの二人組みが探していた人が、そんな名前だった。

 目の前の狼の騎士が、クラウス達の探し人だったとは。

 今にも倒れそうなフレンの肩を体を支え、メイルはオルバ達を睨みつける。


「なによ、なんなのよ!あんた達…なにが目的よ!」


 妙に芝居がかった動きで、オルバは肩を竦めた。


「初めに言ったろう?その手の中にある物を渡すんだ。メイル・アズロ」


 少女から手渡された小さな袋。握り締めると、中には小石のような、冷たく固い感触。

これを奪うために、あの少女を殺し、フレンを傷つけたのか。そう思うと、胃がひっくり返りそうな怒りを覚えた。


「こんなものの、ために?」


 中身が何かわからないが、人の命以上の価値があるものなんて、この世にありはしないのに。

 ハッとした様に、フレンがメイルの手の中に収まっている袋を見つめる。


「君、それは」


 そこから先は声に出なかった。

 その場に居た、メイル以外の全員が唖然とするしかなかった。

 

 メイルが、その袋の中に手を入れ中身をつかみ出すと……丸呑みにしたからだ。


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