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紅百合さんも、墓井さんも来て、職員室の前に集まった。
「お、その可憐な少女は一体誰なのかしら」
さっそく獲物を見定める紅百合さん。
「素敵だわ。ボーイッシュな髪型に、すっとした眼鏡、さらに白衣。だ、抱きついてもいいかな」
「あ、あなたが、噂のレズですね。話は聞いています。ちゃんと、対策してきました」
怯えつつ、強がる墓井さん。
なんだろう対策って。
「わーい」
一体何を聞いていたのか、紅百合さんはとびかかった。
すると、その動きをみて、さっと懐から拳銃をとりだした。
あれは、某ホラーゲームで最初から持っていそうな……。
墓井さんの手には余る大きさだ。
って、そうじゃない。墓井さんが持ってるんだぞ。まともな銃なわけがない。
「こないで」
そう言って、撃った。
その瞬間弾がでて、紅百合さんの身体をえぐ……ることはなく、ただの水が飛び出した。
なんだ。水鉄砲か。
驚くことに、紅百合さんはその水を避けた。
普通、なんの練習もしていない人間が、咄嗟に身体を横にずらせるだろうか。
身体の角度を変えるのではなく、真横にスライドするように。
その結果、対策はなんの役にも立たず、抱きつかれた。
頬ずりまでいしている。
「ひいい、離れてえええ」
「いい匂いだわあ。抱き心地いいわあ。ぐへへ」
「そのくらいにしておいてやりなよ、紅百合くん。まあ、初対面の挨拶はこれくらいでいいかな。さあ、入ろう」
それに従い、蝋沼くんは扉を開けた。
仲がとてもよさそうに見えてしまう。
それにしても、この床の水は放ったらかしなんだろうか。
教頭先生は、驚いていた。
といっても、あまり顔にはでてないけど。
若干顔を引いて、おでこの光の当たり方が変わったくらい。
紅百合さんのことも、墓井さんのことも、職員室では当然噂になっているだろう。
豪華メンバーがそろって、少したじろいたのかもしれない。
僕はなにものでもないんだけどね。
教師の誰も、ウサギについても、人に乗る女子についても、白衣についても、小さい帽子についても、何も言わない。
「さあ、教頭先生。5人揃ったぞ。部室を用意するがよい」
教頭先生にも相変わらず尊大な態度。
なんのかんの言い合って、結局使われていない部屋を、ゲットした。
ただし、掃除しろとのこと。
その部室について見てみると、中はホコリまみれで、物置状態だ。
窓はあるけど、くすんでいて、夕日があまり入ってこない。
長机とパイプ椅子は、一応あった。
物を片付ければ、人数分は余裕で座れそうだ。
「じゃ、まかせたぞー。とりあえず、物を大体廊下に出して、中を綺麗にしたら呼んでくれ」
案内してくれた、若い男性教師はそう言って去っていった。
足元には雑巾数枚とバケツとモップ。
「じゃあ、始めようか」
「庵道は、まさか俺に乗ったまま、掃除する気か?」
「なんだ、嫌かい? ならば、墓井さんに乗ろう」
「あたしにして」
紅百合さんが、切実にお願いしているが、スルーされている。
「いやそういう事じゃなくてだな」
「まあまあ、手が三本になったと思えばいいさ。あいにく片手はしがみつくのに使うから、掃除には使えないんだけどね」
そう言って、墓井さんの背に乗った。
「ひゃう」
「あまり動くと危ないよ」
庵道さんの身が危ないのだろう。
背があまりかわらないので、庵道さんは足がつきそうだったけど、膝を曲げている。
あれで本当に重さを感じさせないんだろうか。
「ま、まあいいですよ。庵道さんは変人ですからね。これくらい許します」
眼鏡をなおしながら、変人、の部分を強く強調した。その発言に対して、
「さすがだ。墓井くん。君のその柔軟な頭が、数多の作品を生み出しているのだろうな」
庵道さんはどこ吹く風だった。
「掃除といえば、ピカリンガル、使います?」
墓井さんは例のアレを話にだした。
今日の出来事にも、めげてないらしい。
「僕はいいぞ。見られてこまるぱんつは履いていない」
「うちももちろん大丈夫だけど」
「ん?」
紅百合さんはピカリンガルの存在を知らない。
もしこの場で使ったら、どうなるだろう。
紅百合さんはピカリンガルを凝視するために、這いつくばるかな。
すると、紅百合さんのスカートの中は、もちろん見えなくなる。
つまり、誰も困らないわけだ。
みんな幸せ。
なわけない。
「だめだよっ」
「何故だ?」
庵道さんが聞いてきた。
貴女のスカートの中を、皆に見せるわけにはいかない。
もちろんそんなことは言えない。
「ここは狭いから、そんなのなくても大丈夫だよ。僕がちゃんと、モップがけするから」
我ながら、もう少し言いたいことを言えたらと思う。
「そうか。それなら、モップは君に任せるよ。その前に荷物整理だ」
その合図とともに、皆は物を運び出した。
ウサギは廊下で待機させている。
紐でつながなくても、逃げないらしい。
さすが蝋沼君の彼女だ。
部屋の中には、古い本や、授業で使う机と椅子や、人体模型なんかもあった。
夕方なのもあって、ちょっと怖い。
紅百合さんは女子にだきついたりせず、蝋沼君はウサギが気になって手を止めたりせず、ちゃんと働いていた。
庵道さんは、相変わらずだけど。
埃っぽくて、マスクが欲しくなる。
とりあえず奥まで辿りつけたので、窓をあけた。新鮮な空気が嬉しい。
木々の奥に、グラウンドが見える。
あれは野球部かな。
庵道さんには絶対できないスポーツだよね。
もし、普通になれたら、一緒にやってみるのもいいかも……。
おっと、手が止まっていた。
しばらくすると、物は片付いた。
それから、机や床や窓や棚を拭いていく。
教師を呼んで、物をあちこちに運んだ頃には、もう外は薄暗い。
「ふう、結構大変だったな」
「そうだね。でもさっぱりしたよ」
蝋沼君に同意する。
「今日はもう遅いから、部活は明日からだ。授業が終わったら、この部室に集まるように。では解散」
部長の庵道さんがそう言って、皆はそれぞれ帰路についた。
帰り際、
「あの、いつ離れるんですか」
「なあに、時期が来れば乗り換えるさ」
だとか聞こえた。
家は両親はあまり仕事で家にいない。
だからか、妹がご飯を大体作ってくれる。
妹がいなかったら、僕は寂しくコンビニ弁当だとか、出前を食べていただろう。
帰ったら、妹が色々と聞いてきた。
何故かそうしている、サイドテールを揺らしながら。
「あにちゃん、こんな時間までどこいってたの?」
「ああ、ちょっと部活に入ってね。これからも少し遅くなるかな?」
「えー、部活? 一年の時は入らなかったのに、急にどうしたの?」
「友達に誘われてね」
今はまだ友達だ。いつかきっと。
「どんな部活? 運動……はあにちゃんには似合わないけど」
「どういう意味さ。うん、まあ、文化部だよ」
詳しくは言えない。
いやー実はさ、変人たちを、普通代表として見守ることになったんだ。
なんて、言ったら心配をかけてしまう。
妹も同じ学校で、一年生だから、ばれるのは時間の問題かもしれないけど。
「やっぱりねー。あにちゃん細いもん。私としては、もうすこし身体鍛えたほうがいいとおもうけどね」
「いいよそんなの。じゃあジョニーの散歩行ってくるよ。まだ行ってないだろう?」
「うん。あ、その部活、女の子はいるの?」
「いるにはいるけど……」
変な子ばかり。
「ふうん。お散歩、気をつけてね」
陽が落ちて、暗くなった道をジョニーと歩く。
通行人も少なく、街灯のほうが多いくらいだ。
夜になってもジョニーは気にせず元気そうに道をゆく。
散歩道を中ほどまで来たところで、彼女は現れた。
「こんばんは、鈴木君。先程ぶりだね」
「こんばんは。もう驚かないよ」
「ちぇー」
可愛く口を尖らす庵道さん。
「それで何か用なの?」
「用がなければ来ちゃだめかい?」
「そういうわけじゃないけど」
むしろ嬉しい。
そのまま、歩き続ける。
「……」
地面を踏みしめ、夜の静かな空気を感じ、月の明かりをみたりして。
「……」
あれあれ、さっきから何も喋ってないような。
「あの、庵道さん?」
「なんだい」
前を見ていた庵道さんが、こちらを向いた。
いつもは、よく喋る人なのに、どうしたんだろう。
「いえ、なんでも……」
僕の怪訝な態度がばれたのか、庵道さんは喋り出した。
「いやそれにしても、君のペットは見事だね。いくら僕が乗りこなすプロだとしても、人に乗られてなお、こうも悠然とした姿をみると、犬なのにライ
オンかと思えてくるよ」
「ライオンはネコ科なのにね」
「……君はどう思う?」
一瞬思いをこめるように、庵道さんは聞いてきた。
「ジョニーですか? たしかに犬にしては立派だとうちの犬ながら思いますけど」
「違う、そうじゃない。僕、僕達は、まともになれるだろうか」
「ああ、えーと、頑張ればきっと」
僕はどっちの庵道さんも好きでい続ける自信があります。
とは、恥ずかしくて言えない。
かわりに当り障りのないことを言ってしまった。
一瞬あとに、思いついて聞いてみた。
「庵道さんは、どうして人に乗ってるんですか?」
聞いていいかわからないけど、尋ねる。
「もしかして、足が動かせないとか」
「いいや、そんなことはない。人のいないところなら、地面を歩けるんだ。ただ、人の目があると、どうしても、足が動かなくなってしまう。いつのま
にか、そうなっていた」
珍しく真面目な顔で言う。
いや、少し哀しそうに。
自由に道を歩けないというのは、どんな気分なんだろう。
立派な足がついていても、だ。
僕には想像もつかない。
ひと目のない場所なんて、そうそうないだろうし。
今だって、僕の目がある。
「それは……、そうなんだ」
何とも言えない。
「なら、僕に乗っても大丈夫だよ。紅百合さんみたいに襲ったりするわけじゃないし。少しでも多くの足があったほうが便利でしょ?」
これは励ましになっているのだろうか。
「ばっ、そんな、こと、できない」
そっぽを向いて、何やらつぶやいている。
前に聞いた時とは随分違う反応だった。
これも、からかいの一種だろうか。
僕の励ましが、ギャグにきこえて、それにのっかったとか。
「そ、それじゃあまるで恥ずかしがってるみたいだなー」
一応突っ込んでみた。
庵道さんは何も言わない。
滑ったかな。
ジョニーの息遣いが聞こえる中、歩き続ける。
庵道さんの顔は見えない。
進み曲がり信号で止まり、また進む。
そろそろ家が近い。
「では、僕はそろそろ帰るとするよ」
結局、その言葉まで庵道さんは何も言わなかった。
振り返る庵道さんはいつも通りの、にやにや顔だ。
「また明日、学校でね」
「うん、また」
そして、乗り手のいなくなったジョニーと、僕は家に戻った。




