表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

雨傘

 ぬかるみに足を取られないよう、リッカの手を取り、山を下りる。結界を越えた途端、どこか遠かった雨音が、急に大きくなった、気がした。

「ここまで来れば大丈夫だろ」

 山の麓、アスファルトで舗装された道までたどりつき、手を離す。リッカは、青い目に溢れる期待を込めて、きょろきょろと辺りを見渡している。

 リッカの手に握られているのは、先代が愛用していた和傘だ。朱に塗られた傘に、水滴がはじけ、落ちるのをぼうっと見ていると、リッカが不意に志郎に向き直る。

「ね、シロウ。これから、どこに行くの?」

「まずは文房具屋だな。その後、細かい雑貨を仕入れる」

「ハツカへのおみやげも忘れないでね」

「ああ、忘れてないよ」

 話しながら、歩き出す。歪曲や歪神(ユガミ)が現れないか不安だったが、今のところ志郎の目にその兆候は見えない。もしかしたら、クメイが隠しているのかもしれないが。

 リッカは、傘をくるくる手の中で回しながら、小声で歌を口ずさむ。志郎の知らない言葉と旋律は、目の前にいるのが自分と同じ人間でなく、異界からの来訪者であると思い知らされる。

 それでも。握った手は、志郎と同じ温かさだった。その感触を確かめるように、そっと、手を握る。

「何だか、不思議な町ね」

 突然、リッカが言った。リッカに気を取られているうちに、周囲の景色は商店街に変わっていた。

 傘を差した人が、浴衣姿のリッカを不思議そうに見つめては、目が合いそうになるとすぐ視線を逸らす。中にはじろじろ眺めてくる者もいたが、リッカが笑顔で手を振ると、慌てて小さく一礼し、足早に立ち去っていく。

 そんな後ろ姿を見送って、リッカはぽつりと言う。

「人がたくさんいるのに、静か」

「そうか?」

「うん……」

 傘の下で不安げに頷くリッカの気持ちも、わからなくはない。志郎とてわかっている。志郎たちは、町の中では、どうしても目立ちすぎる。だから、誰もが二人を遠巻きにする。

 リッカに非はないが、道行く人を責める気にもなれない。きっと、自分がリッカを見かける側なら、やはり彼らと同じように、一歩引いた場所から、息を殺して見つめていただろうから。

 だから、せめてリッカの不安を和らげられるよう、つとめて軽い口調で答える。

「きっと、雨続きで憂鬱なんだろ」

「そうかな。わたし、雨の日も好きよ」

 リッカは長靴で水たまりを踏んで、志郎を振り返る。大きな青い目を瞬いて、ふわりと笑みになる。

「雨の空気、土の香り。それに、雫に濡れる花も好き」

 リッカの笑顔に、志郎を気遣うような色はない。素直な思いを言葉に乗せて微笑むリッカは、薄暗い世界に明るく咲いた、一輪の花を思わせた。

 そして、リッカが目を留めたのも、また一つの花であった。

「このお花、ずいぶん綺麗な青をしてる」

「紫陽花だ。そっちの世界にはなかったのか」

「お花はいっぱい咲いてたけど、こういう形のお花は知らないの。ここまで鮮やかな青い色も、珍しいよ」

「ああ、そういえばうちの裏手にも、紫陽花が群生してる場所があったな」

「本当? 帰ったら、案内してほしいな」

 小さく頷いてリッカを見れば、すっかり青い花に意識を奪われ、周囲の視線や空気からは注意がそれたようだった。

 本当は、できる限り早くこの場を立ち去りたかったけれど。じっと道端の紫陽花を見つめるリッカの横顔を見ていると、声をかけるのも躊躇われて。しばし、傘を叩く雨の音を、聞くともなしに聞いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ