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浴衣

 旅の歪神(ユガミ)に与えた部屋の前で、志郎はただただ立ち尽くす。

 志郎は男であり、女だったことはなく、また、人間の女との交流もとんと絶えて久しい。

 ……そもそも、自分に、女の知り合いがいたかどうかも覚えていない始末だ。

 だから、「それ」は志郎にとって極めて重大な問題であった。

「だめだ……さっぱりわからん……」

 リッカを保護していた風海の姫曰く、リッカの生態は、この世界の人間とほとんど変わらないらしい。もっと露骨な表現を使うならば、ヒトの雌に限りなく近い肉体と知性を持つ生命体。

 ならば、生活に必要なものも、一般的な女性のそれと同等であると考えるべきであり、さて、「一般的な女性のそれ」とは何なのか、と考え始めて泥沼にはまり込んだ次第である。

「お前、たまに致命的に阿呆だよなあ、シロウよ」

「うるさい。ちょっとは一緒に考えろ、考えないなら黙れ」

 天井辺りから降ってくる声を一方的に拒絶して、それから、襖から顔を覗かせて驚きに目を丸くしていたリッカに、慌てて弁解する。

「あ、君に言ったんじゃない。いや、君のことではあるのだが、ええと」

「あの、シロウ?」

「な、何かな」

「これ、どうやって着ればいいのかな。変わった形をしてるけど」

 そう言って、差し出されたのは白地に藍色の花が染め抜かれた浴衣だ。

 屋敷で困らないように、と必要最低限の下着や生活道具は持たされたが、かさばる服などは現地でどうにかしろ、と風海の姫に言われたのだとか。

 しかし女物の服なんてこの屋敷にあるのか、と屋敷の歪神たちに聞いたところ、先代のものがあるではないか、と指摘され、何とか探し出してきたものが、これだ。

 いくつか柄はあったのだが、その中でも、白と藍色の対比が、白い肌に青い瞳を持つこの歪神に合う気がして、とりあえず渡してみたのだ。

 だが、言われてみれば、浴衣の着方など、教わらなければ身につかないものだ。

 そして当然、女の着付けを手伝ったことなど、志郎にあるはずもない。

 さほど暑くもないというのに、背筋を汗が伝う。リッカは、志郎がどうして沈黙しているのかもわからないのか、不思議そうに小首を傾げている。

 すると。

「きゃっ」

 急に、リッカが高い声を上げた。その声に志郎もびっくりしつつ、リッカの視線を追う。すると、リッカの袖を、真紅の着物の少女が掴んでいた。

「ええと……ハツカ?」

 リッカの問いに、ん、と小さく頷いたおかっぱの少女――屋敷の歪神であるハツカは、仏頂面で言う。

「着方、教えてあげる」

「いいの? ありがとう!」

 浴衣を腕に抱いて、リッカは無邪気な笑顔をハツカに向けた。その反応は、ハツカも想像してなかったのか、まじまじとリッカを眺め、それから手を引いて部屋に導く。襖を完全にしめ切る寸前、振り向いたハツカはシロウを睨みつけ、ぼそりと言った。

「覗いちゃだめだよ、シロウ」

「誰が覗くか」

 早く行け、と手を振ると襖はぴしゃりと閉め切られた。

 何だか、妙に疲れた。息をついて、無意識に肩に入ってしまっていた力を抜く。梁の辺りでくつくつ笑う声が聞こえてくるが、無視を決め込む。そうして、別に待っていろと言われたわけでもないのだが、腕を組んでその場で待った。

 しばらく、襖の向こうから二つの声が密やかに言葉を交わし、笑いあうのが聞こえていたが、ふとそれが絶えたかと思うと、横にハツカが現れていた。この少女が突然現れるのはいつものことだから、志郎も特に驚くこともなく、ハツカに問う。

「どうだった?」

「ちょっとぶきっちょだけど、すぐ覚えてくれたから、もうすぐ終わるよ」

 ぽつぽつと言葉を落としたハツカは、襖を振り向いて言う。

「リッカお姉ちゃん、やな匂いがしたけど、全然怖くないね」

「やな匂い?」

「冷たい風と、電気の匂い」

「それ、奴にも言ってたよな」

「だからアイツは怖いし、ちょっとだけ、きらい」

 ぷう、と顔を膨らませるハツカ。屋敷の精に嫌い、と言いきられる家主はどうなんだ、と思わなくもないが、それもある意味家主の人徳だろう。

 そんなことを思っていると、すう、と襖が開かれる。そちらに目を向けると、すらりとした身体に、浴衣を纏ったリッカが立っていた。流れるような黒髪に白い肌を持つリッカに、白地に咲く藍色の花は予想以上に良く似合っていた。赤みの帯が、白と青の世界に鮮やかさを添えている。

「どうかな」

「ああ……よく、似合ってる」

 正直に言うと、リッカは少しだけ頬を染めて笑った。

「嬉しいな。それに、何だか不思議な着心地の服ね。ぎゅうぎゅう締め付けて、きつそうに見えたけど、着てみるとそうでもない」

 袖を振り、腕や身体の動きを確かめたリッカは、ハツカに向き直る。

「教えてくれてありがとね、ハツカ」

「うん。代わりに、いっぱい遊んでね」

 随分懐かれたものだな、と半ば呆れつつ、笑いあう歪神二人を眺める。一ヶ月はろくに話もしてもらえなかった自分や、数年間一緒にいながら今も「嫌い」と言われてしまう家主とは大違いだ。

 けれど、こういう雰囲気は、悪くない。

 何とはなしに、先代と家主がいた頃の騒々しさを思い出していた。

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