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歪神

「この屋敷に歪神(ユガミ)とはいえ若い女を連れ込むとは。すっかり枯れてると思ったが、意外と積極的だな、シロウ?」

「カザミの姫からの直々の命令だ、逆らうこともできない」

「ふうん、嫌なのか?」

「嫌……ってわけでもないが」

 ほおら、と梁の上から笑いを含んだ声がする。志郎は影になったそこを軽く睨みつけながらも、盆に載せた茶がこぼれないように、静かな足取りで客間を目指す。

 襖を開ければ、四角い卓の前にきちんと正座をして、物珍しそうに周りを見回す女の姿があった。そして、部屋に入ってきた志郎の姿を認めると視線を一点に定め、改めて会釈した。

 女の服装は、レースをあしらった真っ白なブラウスに、紺色のスカート。古風だが決して野暮ったくはないものの、季節はずれの首巻が不思議なアクセントだ。

 どう見ても志郎と変わらない人の姿をしているし、実体を完全にこちらに置いている。けれど、纏っている雰囲気は確かに、この世のものではない。歪神にしては珍しい性質だ。

 仕事柄、つい詳細に観察してしまっていたが、女の形をしているものをまじまじ眺めるのも不躾だと気づき、視線を落として茶を女の前に置く。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 僅かに強勢の置き方が不自然な、しかし流暢な日本語で礼をいい、湯飲みを手にする。それを確認して、志郎も座布団を引き寄せて座った。

「改めて、コバヤシ家にようこそ。キリアから聞いてると思うが、僕はヒヤマ・シロウという。この家の管理代行と、記録者の役目を任されている」

「シロウ」

 ぽつり、と。女の桃色の唇が志郎の名前を紡ぐ。その声が、余りにも透き通っていて、不覚にもどきりとする。首をかしげた女は、ほんの少しだけ微笑んだ。

「そう、呼んでもいいかしら」

「あ、ああ。別に、何と呼んでくれても構わないんだが」

 しどろもどろになりながら、それでもできるだけ動揺を抑えて言葉を重ねていく。

「ええと、君は……リッカ、というのかな。キリアからの手紙にあったが」

「そう、リッカ。キリアが名づけてくれたの。本当の名前は隠さないと危ないから、って」

 世界の境界線に時折生じる歪み――歪曲を超えてやってくる存在『歪神』は、この世のものでないが故に、この世の理に縛られない存在だ。縛られないからこそ、人とは全く違う存在、神や悪魔、妖怪などと称されてきた。

 だが、この世の理が時に歪神を縛り、この世の人や獣と変わらぬ存在に変容させてしまうこともある。例えば、この世の食物を口にすること。例えば、本当の名前を呼ばれること。要因は様々だが、名前はその中でも大きな比重を持つ、らしい。

 故に、この世の歪曲の一部と、歪神の出入りを管理している風海の一族には、歪神に対して、この世でのみ通用する名前をつける風習がある。

 リッカ。

 この、女の姿をした歪神に与えられた、名前。

「あちこち旅してきたけど、ここはいいところね。みんな優しいし、わたしの夢も、叶えてもらえた」

「だが、次の歪曲日には旅立つらしいな」

「元の世界に、帰らないといけないから」

 さあ、と。雨の気配を乗せた風が、リッカの長く伸ばした黒髪を揺らす。その時、風に乗って、甘い香りが志郎の元にも届く。薔薇の花に似た花の香り。

 柔らかな香りを漂わせて、リッカは刹那、目を伏せる。

「大きなお家だけど、ずいぶん静かなのね」

「ここに住んでいる人間は僕一人だから。だが、歪神がいくらか居着いているよ。顔を見せた時にでも紹介する」

「それじゃあ、あの子も歪神さん?」

 リッカの視線を追うと、ちらりと、薄く開いた襖の向こうに赤い着物の裾が見えた。だが、それはすぐ音もなく引っ込んでしまう。

「ああ。あの娘はハツカといってね。この屋敷の守り神のようなものだ」

「そうなんだ。仲良くなれるといいな」

「人見知りで、未だに僕の前にもなかなか現れてくれないが……仲良くなれるといいな」

「うん」

 にこりと子供のように笑った女は、畳に指をついて、流れるような所作で頭を下げた。

「改めて、次の歪曲日まで、お世話になります」

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