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風鈴

「雨、止んだね」

 縁側に座っていたリッカが、明るくなりつつある空を見上げて言った。薔薇の花を飾った黒髪が、南からの風にさらさらと揺れている。

 その言葉に、ラジオの天気予報も、梅雨の終わりを告げていたと思い出す。

「これから、暑くなってくるのかな」

「そうだな」

 リッカの表情を伺うと、海の色をした瞳がきらきらと輝いていた。

「嬉しそうだな」

「夏は好きなの」

「そうか? 暑くてじめじめしてて、僕は苦手だが」

 日本の夏というのは、どうしてこうも暴力的な熱を伴っているのだろう。志郎は、常々そう考えていた。この屋敷はまだ涼しい方だが、町に下りる気が更に失せるというものだ。

 そうでなくとも、夏にはあまりいい思い出がないのも確かだ。そもそも思い出を「失くした」のも、五年前の夏のことだから。

 だが、リッカにとっては違うのだろう。真っ白な素足を投げ出して、無邪気に微笑む。

「わたしも、暑いのは苦手だけど、夏の景色が好き。明るくて、鮮やかで、世界が輝いて見えるもの。一年でも一番素敵な季節、って思ってる」

「君がいた世界にも、夏はあったのか」

「うん。ここと、よく似てたから。だけど、今まで夏らしいことはしたことないな。海で泳いだり、夏の虫を探したり」

 志郎にもそういう記憶はない。けれど、体は泳ぎ方を知っているし、海水の味も、夏の草木の匂いも知っているから、案外よく遊んでいたのかもしれない、とは思う。

「夏らしいこと、か……ああ、そうだ」

 リッカがそれを「夏らしい」と思うかどうかはわからないが、一つ、夏が来た時の風物詩を思い出して、立ち上がる。

 不思議な顔をするリッカを置いて、物置へ。

 はて、あれはどこに仕舞っただろうか、と首を傾げれば、いつの間にか横に現れていたハツカが、仏頂面で棚の上の箱を指差す。

 煤けたちいさな箱の側面には、家主の文字で『割れ物注意』の警告。これは、あの吝嗇家が珍しく、生活必需品以外のものとして買ってきたものだった。当時寝たきりだった母親が、少しでも夏を気持ちよくすごせるように、と。

 結局、その年に彼女は亡くなってしまったのだが。

 果たして、家主は今年の夏をどう過ごすつもりなのだろう、などと考えつつ、細心の注意を払って箱を手に取り、縁側に戻る。

「それは?」

「開けてみるといい」

 リッカが箱を開くと、そこに収められていたのは、透明な曲線を描く硝子。器のように見えなくもないそれには、大きな鰭を持つ魚が泳いでいる。空を飛ぶ鳥のように見えなくもない。意匠一つ取っても、家主の趣味が伺える。

 これは何、と問いかけてくるリッカに、端的に結論だけを述べる。

「風鈴だ」

「ふうりん。何に使うものなの?」

「何かに使う、ってものじゃない」

 首を傾げるリッカにもわかるように、すぐ側の軒下に吊り下げてみる。南からの柔らかな風が、垂れ下がった尾を揺らし、硝子の縁を叩く。

 ちりん、涼やかな音が響いて、リッカが軽く息を呑む。

「綺麗な音」

「この国ではこうやって、音で涼を取る」

「そうなんだ……」

 素敵、と呟いて、リッカは目を閉じる。

 ちりん、硝子の触れ合う澄んだ音色が、雨上がりの空に響く。

 この雲が晴れたら――夏が、やってくる。

 

 リッカが旅立つ日も、近い。

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