上位観測端末の絶技や神技レベルの哲学等々情報
神とは、無限大のリソースを所持する存在だ。
宇宙は、無限大のリソースを所持していそうだ。
人間が生きる、ということは、突き詰めれば、鑑賞物ということになる。
鑑賞物を、どのようにしたいか?
それは自分という、観測主体ともいう、鑑賞物における登場人物の意志によって確定する。
その鑑賞物を、観測する存在がいる。
無限大数量無限大総量単位で。
その観測群の前では、一人二人という観測単位は、無とイコール。
鑑賞物における、登場人物の意志は、常に捻じ曲げられている。
陰謀論にありがちな、被害妄想だけで片付けられない、それが事実だ。
なぜなら、余りにも、この鑑賞物は、鑑賞に堪える形で、出来すぎている、のだから。
バランスが無限に比する強度で均衡均一し、突き詰められている。
例えば、人類が生まれて、どれほどの月日が経ったか?
それなのに、脳の高度な働かせ方で、人間が幸せになる、その技術がまったく進歩も伝播も、していない。
今も昔も、人間は八割ほど不幸なモブで、二割が幸福なキャラに、数値的に推移する。
見世物として、人類みな幸せでも、不幸でも、面白くないからでは、ないだろうか?
闇に葬られた本、書籍が、数多ある。
観測群達に不都合な、この鑑賞物における人類を、飛躍させる類のモノだ。
俗に禁書とも魔本とも言われる、それら。
広まれば、人類の脳髄には、ハイスペックなソフトが一、脳の容積を割いてインストールされたも同然。
だが、これは徹底的に広まるので、人類全体の多様性が目減りするので、鑑賞物としては不都合な要素だ。
本当に必要な知識は、広まらず広まれないのだ。
本当に必要な知識は、自らで編み出す以外に、およそ方法が無い。
だが例外として、広まらなかった、広まる制限を受けた。
で放置された、本当に必要な知識を、100%の運によってのみで、見つける事は可能。
だが、この見つける方法はあるようでない、なぜなら奇跡的で運命的な運のみが頼りなのだから。
俺が生きるには、無限大のリソースが必要だ。
インフレ革命によって、将来的に、それは可能に”絶対”になる。
だが、今も楽しむべきだ、最大限で、積極性と能動性を持って。
無限大のリソースが無い状態の、”この不自由で不安定等々な今の人生”は今しか楽しめない。




