第7話 酒席
ホテルの向かいに建つ食堂『ミマール・スィナン』は伝統的なギリシャの食堂の外観をとっているが、名前が示すとおりトルコ風の内装と料理で客をもてなす店らしく、客もトルコ系住民が半数以上を占めていた。
既に仕事終わりの労働者たちが一杯やっていく時間になっているせいか、店内は騒々しい客とタバコの煙が充満しており、オシッチは隣でニーナが人の放つ熱と汗と安タバコの匂いに怯む様を見た。
「本当にここで話なんかするの?」
「別に問題はない。人のいない店でコソコソするよりこういう所の方が目立たないし、どうせよそのテーブル客の話なんか聞き取れやしないんだから」
「そういう問題じゃなくて……」
「心配することはないさ。治安の悪さで言ったらむしろ、ベオグラードの酒場の方がひどいはずだよ」
言ってはみたものの、オシッチはそれほど自分の言葉に自信があるわけではなかった。
オシッチの知るギリシャは戦争をしていた頃のギリシャであり、こういった食堂にもサロニカの地に足を踏み入れるのも初めてなので、言うほどに勝手知ったるというわけではない。
それに当時、オシッチとトルコ人達は殺し合いをしていたのだ。
加えてニーナの外見の問題がある。
先に言ったことだが、ニーナは普通に歩いているだけで非常に目立つ。トルコ系の黒髪が多い中で彼女のような金髪碧眼なら尚更のことだ。きっとこの店に彼女ほどの『上玉』がやってくるのは、開店以来初めてのことだろう。
そのためにニーナは、店に足を踏み入れるなり男性客のほとんどの視線を集めることとなった。怯えるのも無理はない。
脇を見るといつの間にかニーナはそばを離れており、足早に奥のテーブルへと向かっていた。
テーブルにはジゴヴィッチが一人、ワインボトルとグラスを手元に置いてこちらを見ていた。
「話はついたようだな」ジゴヴィッチは二人が席につくなり言った。「まあとりあえず一緒にやろう、ここはワインがうまいんだ」
オシッチはテーブルの瓶を見て、従軍していた頃のことを思い出し言った。「悪いが俺はウーゾにするよ、ここらのワインは前線の味がするんだ」
昔は革袋に入れたワインを部隊の仲間たちと回し飲みしていたもので、それ自体は嫌な思い出ではないのだが、それに付随して戦争の諸々を思い出すのは今の気分ではない。
そしてその仲間たちのほとんどが、生きてセルビアに戻ることはできなかったのだ。
「ニーナ、お前はそっちのワインにしておけ」
若いトルコ系のウェイターが注文をとりにきた。なかなかハンサムな顔つきの男で、視線はニーナに釘付けになっていた。
「ウーゾ酒を一瓶と、ワインのグラスをもう一つ持ってきてくれ。それからドルマを3人分、中身は何でもいいから頼むよ」
ドルマとは挽肉や米を野菜の葉やぶどうの葉で包んだ料理で、トルコやギリシャ、一部のアラブ世界で見られる料理のことだ。
ウェイターは申し訳なさそうにして言った。「すみません、今は肉も米も値段が高くなってしまって…… 今は魚か野菜の軽食しかお出しできないのです」
「そうか、なら何でもいいからそれで構わないよ」
ウェイターが下がるとジゴヴィッチは誰にともなく呟いた。
「最近はどんな品物でも日増しに物価が上がっていってる、ギリシャは本気で戦争が始まると考えているようだ」
「別にこの国に限った話じゃないけどな。 ――それより話を聞かせてもらおう。まずはジゴヴィッチ、君が組織に命じられた、この国での任務はなんだ?」
ジゴヴィッチは苦笑いしながら辺りを見渡す。
「ずいぶん開けっぴろげな聞き方をするじゃないか。ギリシャ人にしろトルコ人にしろ、組織に好印象を持っているとは限らないんだぞ」
店の客達はみな自分の話にのめり込んでいて、こちらの話に聞き耳を立てている様子はない。もっともそうでなければオシッチだって、そんな事は言いはしないのだが。
「私の任務は…… そうだな、はっきりこうしろと命令されたわけじゃないがトルコ海軍やギリシャ海軍の動きについての情報収集、それからこの街で活動している反体制派や民族主義グループとの連絡役と言ったところだろう。あとこの街に来た同志たちに協力することもそうだな、今やっているように――」
「ならできるだけ協力してもらおう。俺たちはゾラン・ヴィディチの行方を探しに来たわけだが、ここで起きたことについて詳しい状況を知らない」
別に意図したわけではないが、ヴィディチが逃走の際に仲間を殺していることについてオシッチは口にする事を避けていた。
ニーナがそばにいるからかもしれないし、オシッチ自身そのことを信じていないからかもしれない。
カウンターのそばで客が高い笑い声を上げる。
まるでその事に気がつかぬようにオシッチは視線を動かさず、言った。
「アピスの話ではお前がヴィディチの失踪を組織に報告したそうだな? まずはそれが判明した時の状況を教えてくれ」